64.いつも何かに振り回されて
あれから数日、エリカの意識が回復した。
彼女が語ったことについてサルキアは一番に報告を受ける。
話によれば、突然あの大男が現れ柵を破壊して襲いかかってきたらしく、気づけば気を失っていたとのことだ。もうしばらくエリカはその男とは関わっていなかったそうで、それゆえ、何がどうなっているのか理解できなかったとのこと。ただ、関係を急に断った状態になっているため、そのことについて男は怒っているのではと語っていたそうだ。
あの男が言っていたことと多少の違いはあるものの、おおよそは近しい内容ではあった。
とはいえエリカを可哀想に思う者などいない。
なぜって、彼女が罪人であることを誰もが知っているから。
サルキアが城内で聞いたひそひそ話においても「ざまぁって感じね」「自業自得の極みだな」といったようなものがほとんどであった。
そんな状況だったのでサルキアの精神状態を心配する者もいた。特にジルゼッタなどは出会うたびに気遣いの言葉をかけてくれていて。だがサルキアはもう身内についてあれこれ言われることに慣れていた。そのため以前のようにくよくよすることもなく、心ない言葉は流して日々の仕事に打ち込むだけだった。
そんな中、エイヴェルン国内では武装組織が徐々にその勢力を拡大させつつあった。
その組織は元々物騒な事件を起こすことのある組織だった。だがその活動は限定的であり事件を起こすのは時々であった。しかしここのところその頻度が徐々に増加している傾向にある。また、国の運営に対して不満を持つ貧民層を仲間に加えることで、その戦力を強化している。元より貧しい層を取り込み弾丸として使っている組織ではあったのだが、その特徴がより強まっていっている形である。
現在はエイヴェルン軍が対処を行っている、が、それも十分ではない。
悪しき者の増加は早い。
また軍としても組織の人間も一応自国民のため攻撃しづらい。
様々な要因により対応が追いついていないこともまた事実だ。
◆
「あいつ死んだってさ」
すれ違いざまにアンダーから声をかけられて、サルキアは立ち止まる。
「……どなたの話ですか?」
「スミレ」
名を耳にした瞬間ぞわりと気持ちの悪い感覚がせり上がってきた。
「冗談ならやめてください」
「アホか、んな嘘つかねーよさすがに」
サルキアは言葉を失った。
目の前が真っ暗になるようなショックに見舞われる。
たった一度しか会ったことのない人だ。交わした言葉の数も限られている。だがそれでも、彼女は自分の背を押してくれた人の一人であり、愛おしい時間を与えてくれた人。また、憧れる部分もある人物であった。恵まれない生まれでもその手で明日を拓き栄光を掴んできた、そんな力強さのある女性で、尊敬の対象でもあったのだ。
「どう、して……」
灰色の眼が震える。
「犯人は客だってよ。ま、アンタからすりゃべつにどーでもいーだろーが、一応伝えとくわ。時間取らせたな、んじゃこれで――お嬢?」
その時サルキアは得体のしれない気持ち悪さを感じた。
アンダーの発言に、ではない。
自身の体調面という意味で、である。
その違和感は徐々に強まってくる。
ぐわんぐわんと世界がおかしな動きを始めたかのようだ。
そのまま足の力が抜けて倒れそうになって。
「おい!」
その身体をアンダーが慌てて支えた時には既にサルキアは意識を喪失していた。
「しっかりしろお嬢!」
反射的にサルキアの背へ回した腕にゴールドの髪がかかる。
アンダーは秒を一つ数える間もないくらい短時間その手で身体に触れてしまったことへの罪悪感を覚えたが、今はそのようなことを考えている場合ではない、と余計な思考は振り払う。
◆
医務室のベッドで目を覚ますサルキア。
乱れて顔に張りついていた細い髪をほぼ無意識の状態で手で払い除け、まだぼんやりしている頭で現在の状況を把握しようと試みる。
「お目覚めですか?」
レースカーテンを開けた医務室勤務の女性に声をかけられて、サルキアは小さく頷いた。
「アンダーさんが待っておられますよ」
「え」
「呼んできますね」
女性はにっこりしながらそう言って歩いていってしまう。
戸惑いに満ちたサルキアは「え、あの……」などと言葉を絞り出すが女性を引き留めることはできなかった。
それから二分くらい経過して。
再びレースカーテンが開けられたと思えば見慣れた人物が顔を出した。
「貴方がここまで運んでくださったのですね」
黒い髪と赤い瞳が視界に入ると徐々に記憶が蘇ってくる。
「手間をお掛けしましてすみません」
「いやいーよ気にすんな」
そうだ、あの時私は、彼からスミレの死について聞いて――。
サルキアの心に暗雲が立ち込める。
だがそれでも今は第一に感謝の心を持たねばならない。
それは目の前にいる彼への感謝。
いきなり倒れ込んだ自身を放置することなく医務室まで連れてきてくれたことへのお礼の気持ち。
「待機していてくださったのですか?」
「やっぱ一応謝っとくほーがいーかなと思ってな」
どこか気まずそうな面持ちのアンダーは訳もなく自身の黒い髪を触っている。
「いきなり過ぎたな、言うのが」
医務室は薬品の香りがする。
呼吸するたびにその独特の匂いのついた空気が肺を満たすかのようだった。
「スミレさんのこと……ですか」
「わりぃ」
「いえ、謝らないでください。情報は必要なものですから。倒れたのは私が勝手に倒れただけです」
「ある意味刺激強すぎたな」
「はい……」
女性はとうにレースカーテンの向こうへ消えている。
「ですが、まさかスミレさんが亡くなられるなんて……そんなこと、今もまだ信じられません」
サルキアは一旦落ち着いたがそれでもまだ告げられたその事実を理解しきれていなかった。
「事実だけどな」
「そう、ですね」
ベッドの上で仰向けになって寝ているような体勢のままでいるサルキアだが、その面に浮かぶ色というのは明らかに悲しげなもので、それを目にしたアンダーは「なんつー顔してんだアンタ」と思わず口を動かしてしまう。
「アンタあの女とそんな親しくねーだろ」
「はい」
「会ったの一回だけじゃねーか」
「そうです」
「のに何でそんなショック受けてんだ」
顔に疑問符を書き込んだようなアンダーは「そんな気にすんなよ」とややぶっきらぼうな調子で言うが、対するサルキアは「それでもショックですよ……だって、もう、会えないわけじゃないですか」と浮かない顔のまま返した。
「これからも当たり前に生きていくはずだった方が突然亡くなられるというのは、とても残念なことですし悲しいことです」
薬品の匂いさえも今は悲しみを際立たせる要素の一つとなってしまっている。




