62.邂逅
日差しの強い日だった。
その日サルキアはエリカのところへ行くことにした。
しばらく対面していなかったので直接顔を合わせるとなれば久々のことである。
悪行の塊のような母に会いに行く明確な理由があったわけではない。だがその日の朝何となく彼女のことが気になって。それで久しぶりに会いに行ってみることにしたのだ。
ちなみに護衛は二人同行している。
ただ、その二人は親しい相手ではないので、サルキアが彼らと何か言葉を交わすかといえばそんなことはない。
エリカが収容されている牢のある建物へ入り、階段を上ると、彼女がいると聞かされている場所にまで案内される。
廊下の奥に見慣れない影があって。
その正体にサルキアは愕然とする。
毛髪の一切ない頭、背が高く大きな身体、目つきは明らかに狂気をはらんでいて――。
その男をサルキアは知っている。
実際に会ったことはないがそれでも。
「お前、何者だ!」
護衛のうちの一人が不審な男に向かって叫ぶ。
すると男はサルキアらの方へ顔を向ける。
にたりと粘着質そうな笑みを浮かべた。
「だーれだろう? 当ててみて?」
男は目にするだけでぞわぞわしてくるような笑みを口もとに滲ませながらそんな風に返してくる。
見た目から想像するよりやや高めの声――。
「エリカの手の者か!」
「ちがーうよ?」
護衛は剣を抜いた。
「「怪しいやつは捕らえる!」」
すると男は両腕を上にやってわざとらしく背伸びをしつつあくびのような声を出し、それから口角を不気味に持ち上げた。
次の瞬間、男は護衛らに急接近。護衛らは即座に剣を振ろうとするがその時には既に遅かった。一人は剣を振る前に首を横から強く蹴られて壁に激突し気を失い、もう一人は腹を殴られ怯んだ隙にその大きな拳を顔面に叩き込まれて失神してその場で倒れ込んだ。
そして男はサルキアへ目を向ける。
「話は聞いーてる」
向けられた笑顔はとても不気味で。
「エリカの娘」
サルキアを護る盾はもうない。
「直接的な怨みがあるわけじゃないけど、エリカは嘘つきだったから、娘も同罪ってこーと。分かる?」
「エリカは嘘つき? 何を言っているのですか」
「そうーいうーこと。エリカは報酬ちゃんーと出さなかった。嘘つーきーだから許さない」
会話で時間を稼ぐサルキア。
今の彼女にはそれしか命を護る方法がなかった。
逃げようと走っても追いかけられてしまえばおしまいだ。
それゆえ、選べる選択肢は極めて少ない。
「……報酬とは?」
「この前のお仕事、おじさんの暗殺、ちゃんーとしたのに報酬出さない。エリカ、嘘つき女」
何とか意思疎通はできるような様子だ。
とはいえいつ何時襲われるか分からないのでどう頑張っても安心は手に入らない、それが現実だ。
「ムカつくムカつくムカつく、報酬出さないやつ、一番きらーい」
こうして対峙しているだけで寒気がしてくる。
それは恐らく男がまとっているただ者でないと語っているかのような空気ゆえなのだろう。
「だからエリカぶちのめした」
「何を……」
嫌な、予感が。
「ついでに娘もぶちのめーしておーく」
「やめてください」
「なんーで?」
「む、無意味です! ……そのようなこと。暴力ですべてを解決することはできません」
男は首を横に倒して、こき、と音を鳴らす。
「けーど、暴力はいだーい」
「落ち着いてください」
「偉大偉大偉大、暴力、偉大、だかーら」
サルキアはどう動くべきか分からなかった。
来なければ良かった、なんて思っても、もう遅い。
「もう一度言います、すべての物事を暴力で解決しようとするのは無意味な試みです」
この状況はもはや野生の獣に遭遇してしまったようなもの。
生き延びられるかどうかなんて運次第。
「主張があるなら、言葉で主張してください!」
サルキアがそう言い放った直後、一秒も経たず、男は攻撃を仕掛ける体勢に入る。
男は戦闘能力皆無なサルキアの方へ突っ込んでくる――が、二人の身体が接触するより早く、飛んできたナイフが男の左目あたりを掠めた。
それにより男の動きが一旦止まる。
「わりーなお嬢」
驚いたサルキアが振り返るとそこにはアンダーが立っていた。
「アンタいーこと言ってんのに、オレもふつーに暴力で解決してるわ」
「……どうして」
男は手のひらで傷ついた目もとから垂れた血を拭いている。
「オイラーがさ、一応ついていけって」
「陛下が?」
「アンタがエリカんとこ行くって情報得たからだろ多分」
「ですが護衛をつけてもらっています」
「んじゃ、そいつらあんま信頼ねーのかもな」
実際あっさり倒されてるしな、なんて、アンダーは口の中だけで呟く。
「邪魔者邪魔者邪魔者、邪魔するな、邪魔者、排除すーるー」
目もとを傷つけられた男はアンダーに対しても怒りを芽生えさせているようで。
「何言ってんだアンタ」
「排除排除排除」
サルキアと男の間に割って入るアンダーに、男は容赦なく襲いかかった。
拳での強烈な一撃。
アンダーはそれを胸の前に出した片腕で受け止める。
その時サルキアの視界に『武』の字が入った。
男の右わきの辺りに確かに刻まれている『武』の字は、うっすらとそこにあるものではない。体表にくっきりと現れている。それは間違いなく濃印だろう。
「お嬢に手ぇ出してんじゃねーよ」
敵の攻撃を防いだアンダーは蹴りを放ち男の鳩尾を叩く。
すると男は、ぐほっ、と空気交じりの声を吐き出した。
「触んな、マジで」
想定外の反撃だったのか、男は突然逃げ出す。
サルキアやアンダーがいるのとは逆の方向へ走り、ガラスを突き破って、そのまま建物から出ていった。
「追いかけるか?」
「いえ、今はやめておきましょう」
アンダーの問いにサルキアは落ち着いて返した。
「そうでした!」
サルキアはその時になってハッとしてエリカが入れられている牢へ向かった。
エリカはやはり倒れていた。
呼吸はあるように見えるが気を失っているようだ。
斬られたような傷は特には見当たらない。
「アンダー、誰か呼んできていただいても構いませんか?」
「何言ってんだ?」
遅れてエリカの牢のところへ足を進めてきたアンダーは一瞬首を傾げていたが。
「母が」
「マジか」
床に力なく仰向けに倒れ込んだエリカの姿を目にして多少は状況を理解したようだった。




