59.ある日のエイヴェルン(1)
ワシーは走ってエネルギーを生み出すことを科された。
これは時折ある罰だ。
それほど恐ろしい印象のものではないが地味にかなり消耗するものではある。
とはいえまだ負傷後それほど時間は経っていないワシーを無理に走らせるわけにはいかないので、回復後という条件付きにはなっている。
運動能力が高いタイプの人間でないにもかかわらずなぜその罰が選ばれたのかは謎だが。
もしかしたらある種の嫌がらせなのかもしれない。
「聞いた? ワシーさん、走ってエネルギー刑になったみたいよ」
「へーっ」
「あれだけ家柄に誇りを持っていたあの人が、こんな形でバーナー家を辱めることになるなんてねぇ。びっくりだわぁ。世の中何があるか分からないものねぇ」
その話が城内に広まってからというもの、メイドたちはその話ばかりしている。
「しかもあの捨て子に進言してもらって死刑を何とか回避したんですって」
「かっこわる~い」
「あんなに見下してたのにねぇ」
「恥ずかし~」
もちろんそういった会話はワシー本人の耳にも入っている。
それでも彼は言い返せる立場ではなかった。
あくまで罪人だからだ。
「捨て子以下ってことぉ?」
「やだー、だめよー、言い過ぎ。でもおもしろーい」
「お仕事しっかりしてるふりして裏で色々悪いことしてたなんて残念だわ」
「きっつー」
「これからどうするつもりなのかしらねぇ。やり直すのかしら? 娘さんはそうするみたいだけど」
傷の痛み以上に心の痛みを感じているワシーだが、好き放題言われても仕方のないことをしてきたことも自覚しているので反論することもできない。
――陛下のために。
ワシーはそれだけのために生きているつもりだった、だがいつからかそうではなくなっていた。
――己の怨みを晴らすべく、復讐を。
妻を失って。
憎しみは膨らんで。
そうしていつからか道を誤った。
自身が不快に思う対象の人間を使い捨ての駒に仕立て上げては、それが殺処分されていくのを心のどこかで楽しんでいた。
何を言われても仕方がない、と、今のワシーは思っている。
◆
王城敷地内の中庭にて、汗の粒を散らす女がいた。
ジルゼッタ・エイヴェルン――国王の妻となった今も、彼女は己の強さに磨きをかけることを望み続けている。
本当なら戦いなど必要のない立場だ。
なんせ今の彼女は頂に近い場所に身を置いているのだから。
だが彼女の常により高みを目指したいという意思はその程度のことで押さえ込まれるものではなかった。
時にはオイラーにも手合わせを頼むジルゼッタだが、彼だけに頼むというわけではない。戦える者であれば誰もがジルゼッタの相手となる。それゆえ、今日のように、警備隊員が相手になっている日もある。
長い柄の武器を振り回す彼女の姿は戦神のような迫力。
「見て! ジル様よ!」
「ああ~、かっこいいわぁ、癒やしねぇ」
「好きぃぃぃぃ!」
「うっとりですわぁ」
「かっこよすぎいいいいい!」
そしてそういった時には大抵ジルゼッタファンの女性たちが観戦にやって来るのだ。
「相変わらずモテてんなぁ」
手合わせが終了したタイミングでどこからか声が降ってきて、ジルゼッタは声がした方を見上げる。花壇横の手すりの上に座っている彼を見つけたジルゼッタは「アンダー」と落ち着いた声で発した。
「もしや手合わせする気になってくれたのか」
「しねーよ」
「相変わらず厳しいな、貴方は」
ジルゼッタは苦笑する。
「だが諦めはしない」
「はぁ?」
「ぜひ手合わせ願いたいものだ」
「やだね」
アンダーは開いた手の先をひらひらさせながら「そーいう暑苦しーの嫌いなんだよ」と遠慮のない言葉を返した。
親友であるオイラーの強い希望によって王城へやって来たアンダーだ、オイラー以外の人間の言うことに何でもかんでも従うわけではない。もちろん例外はあるが。アンダーはあくまでアンダーであって、彼の行動を選択するのは外の誰でもない彼自身である。
「だが、こうして見に来てくれていたのだから、興味はあるのだろう?」
「ただの暇潰し、だな」
「少しでも暇潰しになったなら何より」
ジルゼッタファンの女性たちは柱の陰からジルゼッタの方を覗くように見つめている。だが今は彼女の隣にアンダーがいることに不満を抱いている様子。それまでの憧れの対象を見て無邪気に盛り上がっていた顔とは異なる、どこか黒ずんだ表情を浮かべたような顔をしている。しかもさりげなくアンダーの悪口を言っていた。
彼女らが口にしているのがアンダーに関する悪口であることに気づいたジルゼッタは気まずそうな顔をするが、アンダーは慣れたもので何事もなかったかのようにそこに立っている。
「そういえば以前から思っていたのだが」
額から流れ落ちた汗を手の甲で拭って、ジルゼッタは述べる。
「陛下と貴方の関係性はとても不思議だ」
淡い茶色という瞳そのものの色とは対照的に鋭さをまとった彼女の目は、確かに、目の前の自身より小さい男を捉えていた。
「貴方が陛下を護っているようにも、陛下が貴方を護っているようにも、見える」
ジルゼッタファンたちは徐々にその場から立ち去り減ってゆく。
本来であればジルゼッタが立ち去るタイミングで声をかけるつもりだったのだろうが、今日は無理そうだと諦めた者もいたのだろう。
「何が言いてーんだ?」
「いや特別なことではない、これは単なる第三者の感想だ」
警戒心を隠さないアンダー。
警戒心を抱かせまいとするジルゼッタ。
二人の表情は真逆のようなものだった。
「きっと、貴方たち二人の間には特別な絆があるのだろうな」
「オレが邪魔か?」
アンダーはジルゼッタを横目で見て試すようににやりと笑う。
「まさか」
対するジルゼッタははっきりとそう言い切った。
「陛下を傍で支える者がいることは悪いことではないと私は考えている」
ジルゼッタはアンダーに対し敵意は抱いていない。
日頃はそれほど積極的に関わろうとはしないが、それはあくまで、そうする必要性がないというだけのことだ。
「王とは孤独なものだ。だからこそ近くに良き理解者がいることは大きな意味を持つだろう」
「ふぅん」
「捨て子の男と聞いていたのでどんな男かと思っていたが、陛下を献身的に支えるその行いは見上げたものだ」




