58.過ぎ去った夜と日常へ戻りゆく朝
待機場所で待ってくれていた乗り物に乗り込んで、二人は王城へ続く道を進む。
「身体は問題なさそうですか?」
あれからしばらく黙り込んでしまっていたサルキアがようやく口を開いたのは乗り物が動き出して数分後のことだった。
「何の問いだそりゃ」
アンダーは乗り物内の座席に足を組んで座っている。
「吹き飛ばされていましたので、怪我しているのではないかと思い」
「あんくらいどーってことねーよ」
「そうですか。なら良いのですが」
外はきっと暗いだろう。だが車内には灯りがある。それゆえ視界は悪くないし向かいの席に座っている人物の姿もよく見える。灯りは偉大だ。それがあるおかげで、今だって、サルキアはアンダーの顔をくっきりと目にすることができている。
「アンタこそ、異変あんなら早めに言えよ」
「私は大丈夫です」
光の祭典の終わりにあんな出来事が待っているとは思わなかった。
それは事実だ。
けれども何とか上手くいって二人とも無事だったのだから、今夜の良い思い出がすべて無となってしまったわけではない。
「アンダーは逞しいですね」
血なまぐさい出来事の後でも、サルキアはアンダーと共にあれることが嬉しかった。
「尊敬します」
「べつになりたくてそーなったんじゃねーし」
突き出した窓枠に肘を置き、その手に顎を乗せて、アンダーはふいと窓の方へと視線を動かした。だが今はブラインドが閉まったままなので窓の外の風景は見えない状態。外を見ようとしての動作でないことは誰の目にも明らかだ。
「……そうならざるを得なかった、ということですよね」
膝に乗せていた紙袋を脇に移して、重ねた手をそこへ置く。
「今まで色々大変でしたね」
サルキアは何となく言葉を発して。
「同情すんな」
返ってきた言葉に、無意識に可哀想と決めつけていたことに気づかされる。
いや、実際、可哀想なのだとは思うが。
それでも決めつけたようなことを無責任に言うべきではなかったのだと。
サルキアの反省はそこにある。
「要らねーんだよそーいうの」
「すみません、失礼でした」
謝ってから、ただ、と続ける。
「いつか貴方の生きてきた道について知りたい――これは同情ではなく極めて個人的な感情ですが、そんな風に思うこともあります」
どんな時でも帰りは早い。
遠いと思っていても案外あっという間に到着するものである。
「アンタ何でオレにそんな興味あんだ……」
「アンダーだけに?」
「落ち着けマジで」
今にも溜め息をついてしまいそうなアンダー。
「そういう意味ではなかったのですね」
少し残念そうな顔をするサルキア。
「いきなりそんなネタぶっこむわけねーだろ……」
どんな幸福も過ぎ去ってゆくもの。
今日はすぐに明日になる。
現在は過去になる。
――それでも、記憶は消えないものだ。
生きている限り。
覚えている限り。
確かに在ったその時間は無にはならない。
◆
翌朝。
心なしか寝不足感を覚えつつもサルキアはいつも通りの時間に起床する。
昨夜はいつもより遅い時間に眠った。
そんなサルキアのところへやって来たのはオイラーだ。
「昨夜は楽しめたか?」
第一声、彼はそんなことを尋ねてくる。
「はい」
サルキアは落ち着いてそう答えた。
「それは良かった」
「外出許可をありがとうございました」
オイラーはじっとサルキアを見下ろしている。
「一緒に行く相手だが、アンで問題なかっただろうか」
「なぜそのような質問を?」
「いや、少し無理矢理感があったかもしれないと思ってな。私の意向で変に推してしまった。もし迷惑だったらすまなかった」
数秒の間の後にサルキアは首を横に振って「いえ」と答えた。
「そうか、なら安心した」
オイラーは柔らかく頬を緩める。
「それにしても――アンダーはとても強く逞しいですね」
サルキアは何となくこぼしていて。
「な、なんと、サルキアがアンをそんな風に褒めてくれるとは……!」
気づいた時にはオイラーの双眸は煌めいていた。
憧れの対象を見つめる純真な子どものような目をしている。
「アンは凄く偉大なんだ! とても強く、タフで、それでいて優しい!」
オイラーの勢いの凄まじさに圧倒されてしまうサルキア。
「軍にいた頃もな、蛇口が壊れた時に止水を手伝ってくれたり怪我をしたら手当てしてくれたり眠れない夜には話を聞いてくれたり、とても優しかった! 王子である私と最初に打ち解けてくれたのはアンだったし、周囲に溶け込みづらく悩んでいた時もアンはいつも相談に乗ってくれた」
アンダーのことを語る時、オイラーは王らしからぬ表情をする。
今もそうだ。
彼は穢れのない真っ直ぐな顔をしている。
もっとも、自覚はないのだろうが。
「数えきれないほどの恩がある」
サルキアは過去の記憶を探る。
かつて兄がこんな顔をしていたことはあっただろうか。
「だからこそ、私はアンを幸せにしたい」
誰かを大切に想うことは。
自身に幸福を与えることでもある。
オイラーは「いや、そんなことを簡単にできるかのように言うのは傲慢、だな」と呟いて苦笑。
「ただ、アンには幸せになってほしいんだ」
数秒の間があって、オイラーは「もし私の身に何かあったら、その時はアンを頼む」と控えめに口を動かした。
そんなこと、と、サルキアは咄嗟に返す。
唐突にそのようなことを言われても困ってしまう、と、思ったことをそのまま言葉にすれば、オイラーは「そうだな、すまない」と静かに謝った。
「あくまで万が一そういうことがあればの話だ」
そっと付け加えるオイラーを見てサルキアは密かに呆れる。
――そんなことあるわけがない。
「ですが、そのような事例は発生しないかと思われます」
「そうだろうか」
「どのような状況であろうともアンダーは陛下を護るでしょう。それはつまり、陛下の終焉はアンダーの終焉と同義ということです」
どうしてこんな話になってしまったのかよく分からないけれど、でも、今言ったことだけは間違いないこと――サルキアはそう確信している。
「……っと、すまない。余計なことをあれこれ話してしまったな。迷惑だっただろう、この辺りで失礼する」
話も長くなってきて、オイラーは一旦切り上げることを選んだ。
「ありがとうございました」
「いや、こちらこそ、礼を述べるべきは私の方だ」
そんな風に言葉を交わす二人。
「本日からは通常業務に戻ります」
「無理のない範囲で」
――また、ありふれた一日が始まる。




