57.帰り道で
ランタンナイトからの帰り道、馬車のような乗り物が待っている場所までは徒歩で移動しなくてはならない。
空はもう完全に黒く染まった。
そして道も。
会場ではランタンの灯りがあるため気づかなかったが、夜も深まり、辺りの暗さは増している。
時折吹く風が木々を揺らして、そのたびに何か起こったのかと不安になる――サルキアはついびくっと身を震わせてしまうことを繰り返した。
「お姉さん」
歩いていると、建物の狭間にある路地裏から姿を現した小さな男の子が声をかけてくる。
「どうしたのですか?」
「お腹空いた、何かちょうだい」
サルキアは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、数秒の間の後に、ハッとして手にしている紙袋のうちの一つへ視線を向けた。
夜店で買った焼き菓子の途中まで食べたものなら箱も空いているのですぐに与えられる――取り出そうとして、その手をアンダーに掴まれる。
「構うな」
でも、と何か言い返そうとするサルキアに、アンダーは首を横に振った。
「ほっときゃいーんだ」
「……そう、ですか」
そうして二人はまた歩き出す。
食べ物を求める男の子は放置したままで。
街が遠ざかってゆく。
「本当に良かったのでしょうか、あの子は食べ物を欲しがっていたのに」
「いーんだ」
「冷たいですね」
「そーじゃねぇ、それがあいつのためなんだよ」
「ですが、食べ物がないのなら……」
「そんなん勝手に探して食えってだけの話だろ。ゴミでも漁って食えるもん食えばいい」
吐き捨てるように言うアンダーの後ろ姿にこの国の暗部を垣間見て目を細めるサルキア。
「先ほどの言葉は訂正します。……すみません」
彼女は夜の闇の中で小さく呟いた。
刹那。
どこから現れたのかさえ定かでない何者かがアンダーに襲いかかり、凄まじい威力の打撃を繰り出した――それでもアンダーは咄嗟に腕で防御していたのだが。
巻き上がるような風が夜の空気を乱す。
サルキアはその光景をただ信じられない思いで見つめた。
「はっはっはぁ、咄嗟に防御できるあたりはさすがだなっ」
男だった。
ボロ布を繋ぎ合わせて作ったようなデザインの服をまとっている。
恥ずかしげもなく豪快に露出した胸もとには『武』の字がうっすらと刻まれていた。
「アンダー、おいらの狙いはお前だぞう。だがまさか女連れだとは。これまた珍しいことがあったもんだ。はっはっはぁ、盛り上がるぞう」
サルキアは自分が狙われているものと思っていたがどうやらそうではない様子。
目の前の男が標的としているのはアンダーで。
自分はあくまでアンダーに付随する女と思われているのだと理解した時、珍しい流れに少しばかり戸惑いを覚えた。
「女の前で情けない姿晒せやぁ!!」
男は一瞬にしてアンダーに接近、殴りかかる。アンダーは冷静さを欠くことなく拳をあしらったが、直後、追いかけるように迫っていたキックを脇腹に受けた。アンダーの大きくない身体は勢いよく飛ばされ街路樹に激突する。
「はっはっはぁ、ちょろいぞう」
一発決まった男が嬉しそうににやにやしている。
「急にごめんねぇ、お姉ちゃん」
「近づかないでください」
男は笑顔でサルキアに近づいてくるのだが、サルキアにとっては恐怖でしかなかった。
「はっはっはぁ、あーんな雑魚放っておいて、一緒に遊ばなーい?」
「お断りします」
命は狙っていない。
それでも男はサルキアにまったくもって関心がないわけではなく。
彼はじりじりと距離を詰めると、細い手首を掴んだ。
「これから飲みに行くっ?」
「やめてください」
男はまだサルキアの正体には気づいていない。
「雑魚は片付いたから、あっそっぼ?」
「嫌!」
「はあああん? 何言っちゃってんのおおお? 負けた男の女に拒否権なんてないんだってええええ!」
拒否されて苛立った男はサルキアの手首を上へ持ち上げるようにして腕を捻り上げる。
サルキアは痛みに顔をしかめた。
――瞬間、飛んできたナイフが男の首筋を抉る。
赤い飛沫が視界を舞う。
男の手がサルキアから離れた。
「触んな」
「アンダー!」
サルキアの面に広がる喜びの色。
「はっはっはぁ、しつこい男はうっざいぞう」
男は街路樹の手前にいるアンダーを睨む。
そして、またもや一瞬にして接近。
「消えてもらうぞう」
「そのまま返すわ」
男は殴るからの蹴る攻撃を繰り出す。
だがそれは先ほどと同じ流れ。
さすがに二度も読みきれず乗せられるアンダーではない。
蹴りの後の隙を逃さず、アンダーは逆に男の顔面へ蹴りを叩き込んだ。
男の鼻からは一筋の赤が垂れる。
「ま、ま、負ける……ものかああああ!」
ダメージが男を勢いづかせる。
その目つきはまるで目の前の餌に執着した獣のようであった。
爪を突き立てるほどの強さでアンダーの右腕を掴むとその身を引き寄せる。両者の身体は息がかかるほどの距離にまで近づいた。男はもう一方の手でアンダーの首を掴むと一気に絞める。
「殺された仲間の怨みいいいい!」
だが男は見逃していた。
……アンダーの左手の動きを。
「え」
眉間に突き立てられる刃。
「ぎゃあああああ!」
その痛みにはさすがの男も耐えられず。
両手をアンダーから離し眉間へとやる。
「わり、待たせて」
アンダーは血のついたナイフを回収する。
「帰ろ」
彼は何もなかったかのようにそう言うけれど、サルキアはそれと同じようには振る舞えなかった。




