56.想い、光に宿す夜。
夜空を照らす無数のランタンを眺めるだけでは終わらなかった。
かなり久々の自由な外出に心躍らせていたサルキアはすっかり舞い上がってしまっており、夜店を見て回り、買い物をした。
その様子はもうすぐ三十歳を迎えようかという女性のそれとは思えぬもので、まるで十代の若々しい少女であるかのようであった。
アンダーはそんなサルキアに何とか付き添っていたが、その想像以上のアクティブさに圧倒されている。
パズルを買い、ドリンクを飲んで、帰って食べる用の焼き菓子も購入。
――そうして、最後に一度、またランタンを見上げる。
「今日はとても楽しかったです!」
「つ、疲れた」
サルキアは大満足の表情。
だがアンダーはというとそれとは対照的に疲れ果てたような面持ちだった。
運動量でならアンダーからすればそれほどのものではないだろう。なんせ彼はこれまでかなりの仕事をこなしてきた人間だ。体力には自信がある。
だがただ運動するだけではないことがアンダーを疲弊させてしまっているのだ。
自分だけで動き自分だけで役目を果たすなら容易いことだ。だが今日に関してはそういう話でない。好き放題動き回る貴い人サルキアがどんな時も安全でいられるよう常に見張っていなくてはならないのだから。周囲に不審人物や危険な行動がないか確認しつつサルキアの動きについていく、というのは、地味だがそこそこ大変な任務だったのだ。
「来年も来たいですね!」
「気ぃ早すぎだろ」
「アンダーはあまり楽しくなかったですか?」
「お嬢アンタ元気すぎだ……」
街の空気を吸うことも、大勢の人が行き交う場所を歩くことも、サルキアにとってはとても新鮮なことだった。加えて、赤の他人の会話を何となく聞いたり夜店で店員のおじさんと言葉を交わしつつ商品を買ったり飲み物や食べ物を少し口にしたり、そういった経験もこれまた新鮮かつ楽しいもので。これがきっと普通というものなのだろう、そんな風に思う時、サルキアの心は軽やかにステップを踏んでいるかのようであった。
「私はとても楽しかったです」
「だろーな……あんだけ好き放題暴れてりゃ」
そっけない返答に、サルキアは表情を曇らせる。
「できることならアンダーにも少しは楽しんでいただきたかったのですが、それはさすがに無理でしたね」
切なげに控えめな笑みを滲ませるサルキアを目にしたアンダーは少々罪悪感を抱いたようで。
「アンタがどーこーって話じゃねーよ」
ぶっきらぼうさはあるものの冷たくはない声だった。
「そもそもオレは遊びに来たわけじゃねーから、楽しいとかそーいう話じゃねーんだって」
ランタンナイトはまだ続いてゆく。終了時間が来るのは数時間先だ。だがサルキアは立場上終了時間まで参加し続けることはできない。夜は夜でも早めに王城へ戻る必要がある。
――そう、二人の夜はもうすぐ終わる。
「アンタが安全に遊べりゃそれでいーんだよ。……そんな顔すんな」
終わらない夜なんてない。
当たり前のことなのに。
この時が永遠になってしまえばいいと――サルキアは光の海を見上げながらそんなことを思った。
悲しさと切なさが入り混じったような複雑な感情を抱えたまま天に想いを馳せる。
明日も、明後日も、きっと当たり前のようにやって来る。
なのに今はまるで二人で過ごすこの時間の終わりが人生の終わりであるかのような心境になっていた。
「ずっと、こうしていたい」
美しいものだけを目にしていたい。
王城へ戻ればまた日常へと引き戻される。
悩みとか、問題とか、そんなものの渦に呑まれて。
こんな風に夜空を穏やかに見上げる間もないだろう。
「明日なんて来なければいいのに」
サルキアの灰色の瞳は鏡のように、見るものを映し出す。
無数の光に未練を宿す彼女の横顔をアンダーは訳もなく見つめて――なぜか目が離せなくなった。
今の彼女に告げるべき言葉を自分は持っていない。
そう感じた彼は何も言わないまま同じ時を過ごす。
星空のような光の下にいるせいか隣に立つその人がとても美しく思えた。
――何を期待しているのか?
感傷的になるなんてらしくない。
無意味なことと分かっている。
それでもその儚げな横顔をそっと見つめていたい感情に乱されて、アンダーは自嘲気味に目を細めた。
「すみません、お待たせしてしまって。そろそろ帰りましょうか」
やがてサルキアの声で正気を取り戻したアンダーは。
「そだな」
本当は気づいている感情にそっと蓋をした。
「帰るか」
「はい」
蓋をしてしまえば中に在るものはこぼれない。
アンダーはそう思っていた。




