53.本当に欲しいものは
スミレはサルキアを真正面から眺めてくる。
その豪快に開いた胸もとについ目をやってしまいそうになるサルキアだが失礼なことだと考えて視線を逸らした。
「サルキアさん、ダッちんのこと好きなんですかー?」
さらりと放たれた問いの破壊力は凄まじく。
さすがのサルキアも一瞬吹き飛びそうな威力であった。
……何とか表情を崩すことなく耐えはしたのだが。
それでも心臓は大きく跳ねた。
もし今この胸に手を当てたならきっと大変なことになっているだろう。
「……あの、少し思っていたのですが」
「何ですかぁ?」
「ダッちんというのは一体……」
「そこ!? いやいやそれは普通に分かるでしょ!? ふつーに、あだ名的なやつですよ!?」
口をぱくぱくさせて驚くスミレ。
「アンダーは昔そう呼ばれていたのですか?」
「そうそう! ま、ずっと昔だし、誰が言い出したかっていうのは分からないですけどねー」
「そうだったのですね」
話題自体に深い意味はない。ただ、心臓がバクバクしてしまっているサルキアは、取り敢えず一旦話を逸らすしかなかったのだ。そうしなければ冷静さを欠いてしまいかねない。だからそんなくだらないことを話題として提示した。
冷静でいるための彼女なりの努力だったのである。
とはいえその効果もほんの少しの時間だけしかもたず。
「で、話戻りますけどぉ」
すぐに話題は元に戻ってしまう。
「ダッちんのこと嫌いじゃないんだったら」
「一体何を……」
「こういうのとかどうですかー?」
言って、スミレは朱色が鮮やかな紙切れ二枚を差し出した。
「何ですか?」
「ランタンナイト!」
どうやらその紙切れはチケットらしい。
その紙面に視線を下ろすサルキア。
「行かれたことありますー?」
「いえ……ありません」
「良かったら二人で! どうぞ!」
「そ、そんな。困ります。私、自由に外出はできませんし」
想定外の展開に思わず困り顔になってしまうサルキアだったが。
「べっつにー、奴隷なわけじゃないんですからぁ、いーじゃないですか? たまにはお出掛けしたって。ね?」
「ですが許可が要ります」
「じゃあさくっと許可取っちゃってください!」
「無理です……」
開催は明後日。
時間はほとんどない。
それまでに事情を説明して外出許可を貰うなんてさすがに難しいのではないだろうか、なんて思うサルキア。
「仕事もありますし」
「そんなのささっと早めに終わらせちゃえばいーじゃないですか」
スミレはさくっと返し。
「そしたら抜け出しちゃいましょ?」
小声で言ってウインクする。
自分とは明らかに違う器用さを持っているスミレを見ていたら、サルキアは何となく羨ましく感じた。
彼女は自由なのだ。
たとえ生まれながらにしては何も持っていなくても。
それでも、彼女には好きなように空を飛ぶ翼がある。
「しかし……」
「あのね?」
スミレにじわりと寄られて唾を呑み込むサルキア。
「本当に欲しいものは手を伸ばして掴むしかないんですよ」
――どこまで察している?
サルキアには見当もつかない。
ただ、スミレが己の心を見抜いているであろうことは、何となく想像はできた。
「じゃっ、これで! 失礼しますね!」
「もう話は終わりですか?」
「はいそうでーす! チケット渡せたので!」
そうして嵐は過ぎ去っていった。
アンダーはスミレを街の方へ送っていくとのことだ。
一人になったサルキアはスミレから貰ったチケットを見下ろして、何とも言えない気分に染まる。
◆
アンダーはスミレを街まで送ることになった。
面倒臭いことは確かだが道中でややこしいことになっても問題なので一応そういう形を取っている。
王城から街への道は舗装されているので歩きづらいことはない。
「チケット渡しておいたからね」
「何の?」
「ランタンナイト!」
「はぁ?」
唐突な発言に怪訝な顔をするアンダー。
「二人で行ったら絶対楽しいってー」
「マジで余計なことすんな」
「でもダッちんだってサルキアさんと出掛けたりできたら嬉しいでしょ?」
「あんなぁ、マジで余計なお世話だっての」
アンダーは頭痛がすると言わんばかりに溜め息をついた。
「何勘違いしてんのか知らねーが、オレらそーいう関係じゃねーから」
「そうかなぁ」
少しばかり風の強い日だ。
けれども天候は悪くない。
「あたしにはそう見えるんだよねぇ。ダッちんずっとサルキアさんのことちらちら見てるし」
「いつ何時敵出てくるか分かんねーからだよ」
「でも安心して! サルキアさんもダッちんに興味あるみたい! あはは、面白いものみーちゃった」
軽やかに笑うスミレだったが、次の瞬間、その面から楽しげな色は消えた――先に行っていたアンダーが振り返り真顔でじっと見つめてきていたから。
「やめろ、そーいうの」
スミレはきょとんとしてしまっている。
「嘘だろーが冗談だろーが、そーいう変な噂が流れたら困んのはお嬢だ」
「何よ、嘘でも冗談でもないんだからいいでしょ」
不満げに唇を尖らせるスミレ。
しかしアンダーの表情が愉快な方へ動くことはなかった。
「そーじゃねぇ。気まぐれでお嬢を穢すなっつってんだ」
「わっけ分かんない」
「とにかく、もう二度とくだらねーこと言うな」
やがてアンダーは再び歩き出す。
黒い髪がどこか切なげに揺れていた。
「馬ッ鹿じゃないの! 何か深刻そうな顔しちゃってさ! そんなに大事なんならはっきり大事って言えばいいじゃん!」
スミレは容赦なく思ったことを言い放つ。
「ほんとのこと言うの怖いだけでしょ? ヘタレじゃんそんなの! 自分の心から目逸らして生きてるなんてかっこ悪い!」
だがアンダーが言葉を返すことはなかった。
「本当に欲しいものは手を伸ばして掴むしかないんだって! そんなことも分かんない馬鹿じゃないだろうにさぁ、何もたもたしてんだか。ほんっと見ててイライラする!」




