48.復讐心は燃え盛る
サルキアへのいたずらの件はジルゼッタからオイラーへと伝わった。
そして王城内へ『くだらないいたずらは控えるように』という通達が出される。
国王からの注意となればさすがに効力を持つもので、その日以降、サルキアの部屋の扉をやたらとノックするといういたずらは収まった。
おかげでサルキアは落ち着いて眠れるようになったのだった。
ひとまずは平常を取り戻したかのように思われたのだが――そんなタイミングでさらに事件が発生する。
死刑は免れたもののまだ牢に収容されていたワシーが殺害されかけたのである。
それはなんてことのない平凡な日のことだったのだが、朝見張りがワシーのところへ行くと倒れている彼の姿があった。血を流して倒れていたらしく、その身には刃物で斬りつけられたような痕があって。手当てを受けられたために一命は取り留めたのだが、その一件は王城にさらなる動揺をもたらした。
「ということですので、エリカ様のところへ。よろしくお願いいたします」
「はい、分かりました」
そんな中サルキアはまだ拘束されている実母エリカから呼び出されることとなった。
嫌な予感しかしない。
だってそうだろう。
これまで呼び出されたことなんてなかったのだ。
「母とはいえ……厄介です」
サルキアは仕事をしながら一人呟く。
◆
エリカとの久々の対面。
それはサルキアからすればまったくもって嬉しくないものであった。
「あの時以来か、サルキア」
「……お久しぶりです」
万が一何かあってはいけないということでサルキアには護衛がついてきている。しかし護衛といっても今日たまたま手が空いていた人が担当となっただけ。前から付き合いがあったわけでも親しいわけでもない。そこにいるのはただの護衛であり、お互いに一定の距離を保っていて、必要最低限のもの以外に言葉を交わすことはない。
「よく来たな、会いたかったぞ。わらわは常々可愛い娘と改めて話がしたいと思っておったのだ」
エリカは以前より少しばかり痩せているようだ、柵越しの対面ではあるがそのくらいは見える。
「話とは何ですか」
「思い出話でもしようではないか」
意外な言葉が出てきたことに戸惑ったサルキアが怪訝な顔をして「そのために私を呼んだのですか?」と問うがエリカはその問いには答えなかった。
「覚えておるか? 昔、二人で見た、光る噴水のイベントのこと」
「……それは」
「あれはとても綺麗だったであろう」
エイヴェルンの港町で開催される大きなイベント『光る噴水祭り』は、凄まじい高さにまで噴き上がる水柱に様々な光を当てて宝石のように煌めかせる。
夜に開催されるそれは、ある意味花火に似ている。火薬を使ってはいないが、暗い夜空に無数の光が溢れかえるという意味で、それに近しい美しさがあるのである。
また『その光景を二人で見られた者たちは、結ばれ、永遠に幸せになる』という言い伝えもあるため、共に行く未来を想う男女からも人気が高い。
「あの光を愛する人と見たかった」
エリカはぽつりとこぼす。
「……わらわはいつも孤独だったのだ」
椅子に座っているエリカは体勢は変えないままで面を持ち上げる。
高く結われた髪のすそが床に触れそうなほどだった。
「偉大な陛下が真に愛していたのは第一夫人ただ一人」
何を言っているのか?
何が始まったのか?
サルキアはすぐには理解できなかった。
「第二夫人であるわらわはあくまでそこに在るだけ。王城にて穏やかに暮らすことはできようとも、本当に欲しいものだけは手に入らないまま生きてきた」
「けれど、私は生まれました」
「それは陛下が義務を果たされただけのこと」
上へ向いていた視線がサルキアの方へと動く。
「尊敬し、愛していた、その人に本当の意味で愛されない女の、何と惨めなことか」
枯れ果てた木々のような、とても低い声だった。
「そんなことはないと思います」
「愚かな。経験してもいない者に分かるものか。あの惨めさ、あの屈辱」
「そう、でしょうか……」
「わらわがお主と二人噴水を眺めていたあの時、あの男は、第一夫人とその子と三人で同じ景色を見ておったのだぞ」
エリカは夫を愛していた。実際本人もそう言っている。だが一方で時に夫に対する憎しみのようなものも垣間見せる。
そこがサルキアにはよく分からないところだった。
愛と憎しみは裏表と誰かが言っていた。
もしかしたらそれがこれなのかもしれないと思いながらも、その正体をまだ掴めないままでいる。
「いつだってそうであった。陛下が愛しておられたのは第一夫人とその子であって、わらわとサルキアは放置。そんな日々の中で憎しみを抱かずにいられる人間などいるわけがないではないか」
無意識に問いが口から出ていて。
「だから殺したのですか?」
「そうだ」
その返答に愕然とする。
「あの頃のわらわはまだ、邪魔者さえいなければ愛が手に入ると思っておった」
「それは」
「若かったのだろうな」
サルキアは言葉を失ってしまう。
先代国王の第一夫人のことはあまり知らないが、それでも、その人を母が殺したと思うと……言えることなどない。
「だが結局、一番欲しかったものだけは手に入らないままだ」
エリカが僅かに目を伏せる時、その憂いを帯びた目もとから彼女の生きてきた道を感じ取ることができる。
「だがそれでも少しは復讐にはなったであろう」
「……国王への?」
「大切な人を護れなかったという後悔くらいは背負わせることができたはずだ」
ふふ、と、エリカは静かに笑う。
『ぼんやりしていては何も護れぬ、そう、何も……』
サルキアは遠き日の母の言葉を思い出していた。
自身が痛感したのではなくて?
それを憎い人に突きつけたことを噛み締めていたのか?
「だがまだ終わりではない」
「一体何をするつもりなのですか……」
目の前にいるのは確かに母だ。
けれども悪魔にも思える。
それほどに母は闇に堕ちている。
「次はあやつだ」
心臓まで凍り付くような声だった。
「オイラー・エイヴェルン、やつを地獄に堕とす」
サルキアは信じられない思いで目の前の母を見つめる。
「再起不能にまで追い込む」
「そんなこと……」
「やり方は簡単だ。一番大切なものを壊せばいい」
その時サルキアは。
「やめて!」
思わず叫んでいた。
「それは駄目……」
だがそんな娘の姿を見てもエリカはさして何も感じないようで。
「やつが消えた後、この国の頂に立つのはお主よ」
「私を巻き込まないでください!」
「お主までわらわを見捨てるのか?」
「そういう問題ではありません!」
この人を止めることはもうできないのか?
サルキアは自身の内側で何度も問うけれど、それらしい答えなんて返ってはこない。
「ではどういう問題か?」
「お兄様に……お兄様に、手を出すなんて……反逆罪です」
それを聞いたエリカは高らかに笑った。
「元はといえばすべてあやつの親の罪だろうが」
「罪……」
「わらわを大切に扱わなかった罪よ」
親の悪行は子に返るものだ――エリカは平然とそう続けた。
……でも、そうだとしたら、私はどうなる?
サルキアは考えたくないけれど考えてしまう。
他人を雑に扱って傷つけた罪と憎しみに堕ちて他人を殺めた罪、どちらが重いのか?




