47.優しい二人
サルキアはぽつりぽつりと話し始める。
エリカの悪行に関する噂が流れてからというものたびたび嫌がらせのようないたずらを受けていることを。
「――そのようなことになっていたとは」
話を聞いたジルゼッタは複雑そうな表情を面に浮かべる。
「今まで気づかず申し訳ありませんでした」
「いえ、ジルゼッタさんに非はありません。こちらの問題ですし、それに、そもそも原因を作ったのは母ですので」
そんな風に返すサルキアを見て悲しそうな顔をするジルゼッタ。
「嫌がらせのようないたずらまで発展しているとなれば、それはもはやお一人で抱えるべきことではないでしょう。陛下にご相談なさってはいかがですか。噂話を完全になくすことは難しいかもしれませんが、悪質な行為くらいはやむかもしれません」
サルキアはジルゼッタが親身になってくれているのを見ているとなおさら胸の痛みを感じた。
本来ジルゼッタは無関係なのに。
陛下の夫人であるというだけのその人を巻き込んでしまうなんて。
冷静であれたならそこまで思いはしなかったのかもしれない、が、その時のサルキアは心が弱っていたのでいちいち自分を責めてしまう。
「ご迷惑を、すみません」
「何を仰るのです」
「……通りすがりの貴女にこのような重苦しい話をしてしまい、反省しています」
サルキアは俯いたまま暫し黙り込んでしまった。
そんな彼女をじっと見つめていたジルゼッタは、やがて、思い立ったように「よければ、私の部屋へいらっしゃいますか?」と提案する。
まさかジルゼッタの口からそのような言葉が出てくるとは思っていなかったサルキアは何度も目をぱちぱちさせてしまう。
「少し休んでいかれてはいかがでしょう。お一人より安心できるかもしれません」
「はい」
「お嫌ではありませんか」
「もちろんです。今は誰かが傍にいてくださる方がほっとできるような気がします」
――ジルゼッタの自室にて。
「んっはぁ~! お可愛らしいプリンセス様でティラナ大興奮鼻血大噴出ですわぁ~!」
サルキアは愕然とした。
というのも、ジルゼッタの侍女ティラナが凄まじい興奮ぶりだったからである。
大人なのに大人らしからぬ大騒ぎ。
その光景はサルキアにとってどうしても信じられないものだったのだ。
世界にはこんな大人もいるのか……!? と、失礼と感じながらも、どうしても思ってしまう。
「落ち着いてくれティラナ、サルキア殿が引いている」
「ええ~っ?」
「それよりティラナ、サルキア殿に茶を」
「はいっはぁ~い!」
ジルゼッタからの指示を受け、ティラナはようやくサルキアの近くから離れた。
「申し訳ない、騒がしくて」
「いえ」
「ティラナは昔からあのような感じなのです」
「そうですか」
サルキアがジルゼッタの部屋に踏み込んだのはこれが初めてだ。だからどうしても落ち着かない。何が不快というわけではないのだが何となくそわそわしてしまう。
「先ほどの件ですが、私から陛下へお伝えしておきましょうか」
「……しかしそれでは手間をかけてしまいます」
「いえ、良いのですよ。第三者からの方が伝えやすい場合もあるものです」
「では……お言葉に甘えて、お願いさせてください」
「分かりました、では後ほど伝えておきます」
頼ってばかりな自分はなんと弱い人間なのだろう、なんて考えてしまっていたサルキアの前に。
「はいっ、どうぞ~!」
いつの間にかティラナが立っていて、しかも、彼女は満面の笑みでマグカップを差し出してきていた。
「これは?」
「ティラナ特製ハーブティーでっすぅ~」
「そ、そうですか……」
「ちょこ~っと苦いかもしれへんのですけど、健康にはめちゃ~っくっちゃ良いですからぁ。ぜひぜひ!」
明るく楽しくしかしながらある種の圧をかけられて思わず受け取ってしまうサルキア。
薄いピンクのマグカップ。その中には枯れ葉から吸い上げたような色をした液体が入っている。うっすらと湯気が立ちのぼってきていて、温かい飲み物なのだと察することができた。鼻を刺激する匂いはそれほど強いものではないが独特の匂いであった。その匂いを言葉で表現するのは簡単ではないが、敢えて表現するとしたら、雨降りの森の奥を連想させるような匂いと薬のような匂いが混じったようなイメージだ。
「いただきます」
少し口に含む。
熱と共に舌に広がるじんわりとした苦み。
「苦いです」
サルキアは思わず本当のことを言っていた。
「それはそうでしょうねぇ~」
「そういうものですか?」
「んふふ、そうなんですぅ~。なのでジルさまにはぁ~、いつもあまり好きでないって言われててぇ~、密かにショックなんですよぉ~」
くせのある味わいではあるが、飲み続けていると段々慣れてくる。
「ティラナさんの故郷の味ですか?」
サルキアは飲み進めながら何となく尋ねた。
「んん~っ、どちらかというとぉ、代々ちょっとずつ変わりつつ伝わってきてるって感じですかねぇ~」
「そうですか」
「ベースの作り方は母から習ったんですけどねぇ~? けど、ティラナがそれをアレンジしたんですよぉ~、で、今の味にぃ~」
マグカップを大切そうに抱えながらサルキアは「お母様……」と誰に対してでもなく呟いた。
それを聞き逃さなかったティラナ。
目の前の若い女性の悩みを放置することは彼女にはできなかったようで。
「何かあったんですのん~?」
そんな風に質問した。
「……実は、母が拘束されまして」
「んはぁ!?」
「いえ、私が、そうするよう指示したのですが」
「なぜぇ?」
「母には隠された悪行という罪があったようなのです」
首を傾げるティラナ。
「ティラナさんは噂聞いていらっしゃらないのですね」
「んん~、まぁね~。ティラナはぁジルさまにお仕えしてるだけなんでねぇ~。他の人とはあんまり接触ないんですわぁ~」
呑気な人だな、などと思うサルキア。
しかしその呑気な人と喋っているといつの間にやら息苦しさも消えているようで。
不思議なことだなと感じる。
話し相手によってこんなにも心情は変わっていくものなのか、と、新しい気づきを得た。
「そうですか……」
「お話聞きましょうかぁ~?」
「いえ、大丈夫です」
「んもぉ~! そう遠慮なさらないでぇ~!」
「お気遣いありがとうございます」
サルキアはその晩ジルゼッタの部屋に泊めてもらうこととなった。
それはジルゼッタからの提案だった。
他者の部屋に泊めてもらうというのは基本的にあまりない事例ではあるのだが、サルキアはその提案を採用した。
とにかくあのいたずらから解放されたかったのだ。
そうして迎えたその日の晩。
ジルゼッタの部屋に滞在したサルキアは、久々に心地よく眠ることができた。




