45.触れたい
「これは一体どういうことですか?」
サルキアはそう言って自身の母であるエリカへ目をやった。
その灰色の瞳はまだ微かに震えている。
「お母様の声が聞こえた気がしてここへ来たのです。しかしこれは……何がどうなっているのですか」
その頃になるとエリカも一旦落ち着いてきたようで、感情の炎も徐々に鎮火してゆく。しわの刻まれた面に冷静さと重苦しさが入り混じったような色を塗り、彼女は言葉を返す。
「そやつは知ってはならぬことを知った」
それゆえ生かしてはおけぬのだ、と、冷たく言い放つ。
先ほど剣を落とした護衛が再び剣を手にアンダーへと迫る。その瞳にはエリカに幻滅されるわけにはいかないという焦りの色が滲んでいて。それゆえ護衛の表情はそれまでより厳しく鋭いものとなっている。
だが。
「やめなさい!!」
エイヴェルン国王の血を引くサルキアにそう叫ばれては、さすがに動きを止めざるを得なかった。
国王ではないサルキアだが、それでも、国王の血を受け継ぐものであることに変わりはない。そこには高貴さと同時に威厳も存在する。武人ではなく仕事がら表舞台に立つことも多くはないサルキアだから日頃そういったところが垣間見えることはあまりないが。
それでも、彼女もまた、王たる資質を確かに宿している。
「わらわに逆らうのか?」
「武器を捨ててください」
エリカとサルキアはほぼ同時に言い放つ。
護衛は二人の狭間でどうすべきか分からなくなっていた。
「サルキアよ、なぜ母にそのような目を向ける」
「お母様……」
「実の娘であろうが。疑う相手を間違っておるのではないか? 真に怪しいのはその汚い鼠であろう」
そう言ってエリカは目を細めるようにして笑みを浮かべるのだが。
「アンダーは人です」
怪訝な顔をしたままのサルキアは母の味方になることを素直に受け入れはしなかった。
そして、静寂が訪れる。
誰も何も発さない。
音は無。
ただ時だけが着実に刻まれてゆく。
そんな時間が数分続いて、その先で。
「愚かな兄に洗脳されでもしたか?」
「私は私の目で見たものを信じます」
「ほう、そのようなことを言うか。サルキアよ、昔は優秀であったのにな……残念の極み」
言葉は返ってくる。
だが穏やかな空気が戻ってきたわけではない。
エリカとサルキアは母娘でありながら今は異なる世界を見ている。
思うことも、信じるものも、同じでない。
でもそれは本来当たり前のことだ。
たとえ同じ空間で暮らしてきた二人でも、完全に同じ人間というわけではないのだから。
「母に従え。サルキア。そうすれば幸福な未来が待っているであろう」
「なぜそうやって押し付けようとするのですか」
「何だと?」
「私は私、貴女は貴女で、母と娘は同じ人間ではありません」
不愉快さを隠さないエリカの表情に、サルキアはそれでも立ち向かう。
「私は操り人形じゃない」
静けさの中でそう告げたサルキアの双眸には決意の色が宿っていた。
そこへ。
「サルキア様! 警備隊、連れて参りました!」
「ありがとうございますランさん」
ランが警備隊を連れて駆けつける。
あの一瞬で頼んだことを彼女はきちんと成し遂げてくれていた。
……さすがに本人まで一緒に来るとは思っていなかったが。
茶会場という本来平和そのものであるはずの場所で血なまぐさい事件が起こっておりしかもエリカとサルキアが対立している。その状況は警備隊としても即座には理解できない複雑なものであった。それゆえ警備隊の者たちも困惑したような顔をせずにはいられず。護衛と似たようなもので、自分たちがどうすれば良いのかを迷っている様子だった。
「エリカ・エイヴェルンを拘束してください」
「は……え?」
サルキアの言葉にきょとんとしてしまう警備隊員。
「話を聞く必要があります」
「で、ですが……エリカ様は、サルキア様のお母様では……」
「構いません」
「しかし……よ、良いのですか?」
「はい。先ほど『そやつは知ってはならぬことを知った』などと言っていました。何か隠している可能性があります」
灰色の瞳に真っ直ぐに見つめられた警備隊員は躊躇いを抱えつつも「承知しました」と返すとエリカ拘束のために動き出した。
ランはまだ状況を少しも呑み込めていない様子でおろおろしている。
「まさかアンタが来るとはなぁ」
「アンダー、頬が斬れています」
「ああさっき掠ったんだろ」
「……きちんと手当てを受けてください」
こうして久々にアンダーと関わることとなったサルキアだが、今はこんな状況なので比較的冷静に話すことができる。
「それと、教えていただけますか?」
乙女なサルキアは陰に潜んでいる状態だ。
「貴方が知った母の隠し事について」
アンダーはほんの数秒眼球だけを斜め上に持ち上げたが、すぐに答えを発する。
「もうこーなったらしゃーねぇな、話すわ」
エリカは警備隊に拘束された。
彼女は始終怒っていて何やら叫んでいたがそれでも警備隊員に囲まれてしまえば何もできない状態であった。
気を遣ったランは「お先に失礼いたします」と言ってそそくさと去っていってしまい、それによってサルキアはアンダーと二人になる。
「下からしか見えないものもある――とは、何だか深い言葉ですね」
サルキアは何となく話を振った。
「貴方の見ている世界はきっと私の見ている世界とは何もかもが異なっているのでしょう」
「ま、そーだろな」
「いつか私も、貴方の見ている世界を見てみたいです」
こうして隣を歩いていても、二人の世界はまったくもって別物だ――サルキアはそのことに気づいている。
でも、だからこそ気になるというものだし、触れてみたいとも思う。
「……私はもっと、貴方を知りたいです」
関心のある対象物についてもっと知りたいと思う感情、それはありふれたものだろう。
「何言ってんだ、アンタはあんな世界知らねーままでいーんだよ」
軽く顎を持ち上げて、振り払うように視線も持ち上げたアンダーは、指の間をすり抜けるような言葉だけを返した。




