44.世界には下からしか見えないものもあるから
サルキアとランは中庭でベンチに腰掛け話をしていた。
「それで陛下と一緒に帰ることとなったのですが、どうしても話が弾まず……困ってしまいました」
「そうですか、それはすみません」
「あっいえ! そうではなくてですねっ。あの、これは、陛下の批判ではないのです!」
日常の出来事について話す。
なんてことのない時間。
けれどもそれこそが何よりも尊い時間なのだと二人は知っている。
「わたくしがもっと積極的になれれば良かったのですが……」
「ランさんのせいではないですよ」
「で、ですがわたくし、いつも……男性とは、なぜか上手く話せず。突き動かすものがある時には話せるのですが……普通の楽しい会話、みたいなものが苦手でして」
「それは私もです」
サルキアはランのことが好きだ。
立場とか、階級とか、そういったものを考慮せずに関われるところが心地よい。
「ですが、アンダーとは普通に喋っていますよね?」
「はい。彼は女の子みたいなものですし。平気です」
ランもまたサルキアのことを好ましく思っている。
きちんとしていて近寄りがたい雰囲気だが実は乙女なところがあることを知ってから親近感が湧いた。
「そういえば! サルキア様、アンダーさんとはあれからどうですか?」
女の子同士の会話、みたいなものが、二人の間にはある。
「どう、って……」
「会ったり話したりなさっていますか?」
「……いえ、あまり、です」
「そうなのですか?」
「はい。……というより、私、とんでもないこと言ってしまいましたので」
思い出すだけで恥ずかしくて、サルキアは両手で顔を覆う。
「接し方が分かりません……」
サルキアは顔を隠したまま続けた。
だがそれも永遠ではなく。
一分も経たないうちにサルキアは真面目な顔に戻る。
「あと、最近アンダーは何やら忙しいみたいなのです」
ランは一旦首を傾げたが。
「そういえば、この前陛下とご一緒させていただいた時、陛下は『アンから、君と帰るよう言われたのだ』と仰っていました。もしかしたらアンダーさんは何か用事だったのでしょうか」
少しばかり何かが脳内で繋がったような顔をしていた。
「そういえば、ランさん、素敵なブレスレットをありがとうございました」
「不快ではなかったですか?」
「はい。とても嬉しかったです。心のこもったプレゼントで」
サルキアは穏やかな笑みを浮かべる。
「後押ししようとしてくださったのですよね」
「……少しでも、お力になれればと」
「なので、私自身も頑張らなくてはと思います」
降り注ぐ日射しは二人を包み込んでいるかのようだ。
「私は私の心を確かめたい」
そう言って、サルキアは天を仰ぐ。
「欲しいのは答え」
柔らかな春のような表情を滲ませたランはサルキアを隣でそっと見守っている。
「この感情の真の姿に触れて、答えを手にしたいのです」
――その時だった。
穏やかな空気を切り裂くような鋭い声が響いた。
明らかに平常時とは思えない叫び。
驚いたランは瞬間的な恐怖からほぼ無意識のうちにサルキアの肩に触れていた。
だがそんなランとは対照的にサルキアは恐怖とは別のところへ思考が至っていた。
「お母様……!?」
声の主だ。
聞き覚えのあるものだった。
何を叫んでいたのか、言葉までは聞き取れなかったが――なぜか物凄く嫌な予感がする。
突然立ち上がるサルキア。
「さ、サルキア様?」
「すみません、少し、様子を見てきます」
「えっ……え、あの……」
「警備隊に母のところへ行くよう伝えてください」
ランは混乱して目をぱちぱちさせている。
「エリカの茶会場、と伝えてもらえれば伝わります!」
「……は、はい!」
唐突な指示ではあったがランは強く頷いた。
困った時には協力する、その心があったから。
◆
――殺せ!!
アンダーが第一夫人暗殺の件に触れたと知った時、エリカは容赦なくそう叫んだ。
元よりアンダーのことは良く思ってはいなかった。いずれここから追い出したい、そういう思いは確かに抱いていて。しかし機会がなかったし、そのためには理由が必要だと考えてもいた。
だがその男が己の暗部に触れたのであれば話は別。
もし仮にアンダーがその話を言い広めたとしても、エリカが否定すればそちらが本当の話として通るだろう。
汚らしい鼠が嘘を言いふらし貶めようとている。
そう言えばいい。
多くの者は身分が上の者の主張を信じるだろうから。
だがそれでも、今のこの状況は、エリカにとってはどうしても我慢ならないもので。
また、ある種の焦りを感じていた彼女は、心なしか冷静さを欠いている部分もあった。
だからこそ、ここで確実に仕留めておかなくては、と――。
首の前に交差するように配置されていた二本の剣。命令に従いそれらが動けばアンダーの首は断ち切られるだろう。それは明確。
数自体も相手の方が多く、加えてかなり不利な体勢。逃げる時間はない。
そうなった時、人はどう動くのか。
剣が振られる直前。一秒にも満たないほんの僅かな間。そこにすべてを託すしかないアンダーは、椅子ごと後方へ倒れることを選んだ。剣を突きつけていた護衛たちは想定外の動作に思考を乱され隙を作ってしまう。その者たちが、何が起こったのか、というような顔をしている間がアンダーにとっては唯一の大きなチャンス。彼は椅子が倒れる回転の力も味方につけて足を振り上げ、自身を狙う二本の剣を蹴り落とした。
それでも護衛は落としてしまったものをすぐに拾い上げ再びアンダーを狙う。
後退するアンダーの喉もとへ、鋭い光の宿った剣を突き出した。
――だがその先端が目標の喉を突くことはなかった。
壁を背後にしていたアンダーは咄嗟の判断で身体を右にずらしたが、それによって命拾いすることとなる。
鋭く突き出された剣の先はアンダーの左頬を掠めてから後方の壁に突き刺さったのだった。
「ふん、生き延びおったか……」
「そう易々とは死なねーよ」
「だがこちらの方が数は多い。諦めよ。大人しくしていれば痛い思いはせず死ねるのだ」
エリカはアンダーの生命を刈り取ることに躊躇していない。
「痛い思いはせず死ねる? アホか。こっちはずっと痛い思いして生きてきてんだよ」
それでもアンダーがエリカを恐れる理由はない。
「こんなくだらねぇ脅し、何の意味もねーわ」
アンダーには目の前の男たちを倒せる自信があった。
不利な状況など何度でも経験してきた。
王城という籠の中で生きてきた人間とは根底から違う。
「アンタらいっつも見下してくるけどよ」
彼は護衛の武器を握る手を捻り、剣を地面に落とすと、その情けない腹に蹴りを叩き込む。
刹那。もう一方の護衛が迫る。
その手に握られた長剣がアンダーに襲いかかった――が、アンダーは腰の位置を瞬間的に下げた。
勇ましく襲いかかった白い刃は空振りに終わる。
わざとらしいほどの大振りだったのですぐに次の攻撃へは移れない護衛の下半身はがら空きで。
「案外下からしか見えねぇもんもあるんだ」
アンダーの蹴りを下半身に受けた護衛はその場でバランスを崩しゆらゆら揺れて耐えきれず転倒した。
「弱点、とかな」
その時。
「……アンダー?」
声がして。
「な」
エリカの面に広がる動揺。
「それに、お母様も……これは一体……」
――そう、現れたのはサルキアだったのだ。




