43.怪しい茶会
静かな朝。
しんとした廊下を歩く女性がいた。
エリカ・エイヴェルン、彼女は今日も見る者に高貴さを押し付けるかのようにドレスを身にまとい扇子を手にしている。
自身の左右、少し後方ではあるが、二人の護衛を引き連れていた。
こつん、こつん。そんな、ヒールが床を打つ乾いた音だけが、静まり返った廊下に規則的に繰り返されている。暗い影の落ちた目もとにははっきりとした表情はない。その瞳の色は無に等しかった。
そんなエリカが足を止める――それは、進行方向の壁にもたれかかるようにして立っている男がいたからである。
「ちょーっと話あんだけど、今いい?」
アンダーだ。
彼はいつも唐突に姿を現す。
それがたとえ誰の前であったとしても。
「無礼だぞ貴様!」
攻撃的に発したのはエリカの右手側にいた護衛の男性。
「アンタに言ってねーし」
「な、なんという無礼者……!」
男性の手はわなわなと震えていた。
「エリカ様、この無礼者、どうしましょうか」
「まぁよい」
「えっ……」
エリカは扇子を開くとそれで口もとを隠しつつアンダーをじっとりと凝視する。その隠された唇に滲む黒い笑みは扇子という仮面に隠されたまま。否、本人が意図して隠している。
「穢れた鼠め、自ら近づいてくるとは愚かな」
「相変わらずだなアンタ」
アンダーは呆れたように息を吐き出す。
「わらわの前に立つということは死も覚悟の上ということであろう」
「アホか、人間なんていつでも死ぬ可能性あんだろが」
二人は暫し見つめ合う。
だがそれは好意的な視線の交差ではない。
火花散る、に近い、そんなニュアンスでの視線の交わりである。
「まぁよかろう。その覚悟に免じて、話くらいなら聞いてやっても良い」
「エリカ様!?」
「落ち着け。慌てても良いことなど一つもない」
「は、はい……」
エリカは雨が降り出す直前の空のような湿気のある表情を滲ませながら怪しげに目を細めた。
「ついてくるがよい」
目の前の女が純粋に対話に応じるような女でないことを理解していないアンダーではない。すんなり応じるということはそこに何らかの目的があるということだろう。物騒な企みを腹に抱えていたとしても不自然ではない。
ただそれでも接触できるチャンスを得られたことは事実。
たとえそれが罠であるとしても。
自らの意思でここへ来た彼には何の関係もないこと。
――望むところだ。
そう言って笑うだろう。
アンダーはそういう男だ。
◆
「何だこれ?」
「茶会よ」
エリカに案内されアンダーがたどり着いたのは屋根はあるものの外の空気は入り込んでくるというベランダのような場所であった。
「そんなことも分からぬとは、さすが鼠よな」
白色の石で作られた床に置かれているのは丸テーブルと複数のチェア。レース模様のシートが敷かれたテーブルの上には既にティーカップが準備されている。
「まぁよい、座れ」
ふふ、とこぼし、エリカは慣れた様子で席に着いた。
先に着席したエリカは「座るがよい」と雨雲に覆われた空のような低音で述べる。アンダーはエリカの行動を怪しみつつではあるが彼女の向かいの席に腰を下ろす。
そうして奇妙なティータイムが始まることとなった。
エリカの護衛はテーブル近くに控えている。
横の地味な扉から現れたメイドたちは二人の前にそれぞれ円形のタルトを置きフォークも準備する。そしてそれからティーカップへと飲み物を注いだ。ほんわりと赤みを帯びた液体、紅茶に似た大人びた香りが漂う。
「では早速問おう。汚らしい鼠がわらわに何を話そうというのだ?」
「……は、ナチュラルに差別してくんじゃん」
「それは当然のこと。国王の妻と鼠では階級が明らかに異なっているであろう? 同じ高さに立って話ができるはずもない」
どこか挑発的な言葉ばかり吐き出すエリカだが、アンダーは苛立つことはなかった。
見下されることにも、出自を馬鹿にされることにも、彼は慣れている。
そんなことはこれまでに幾度もあったことだ。何ならもっと酷いことを言われたりされたことだってある。
ただ生きているだけで理不尽に暴行を受けた日々に比べれば、嫌みを並べられるくらいどうということはない。
「アンタはオイラーが嫌いなのか?」
「その通り。わらわは聡明な者が好きなのだ。あのような軍人ごっこしかせず育った男など尊敬はできぬ」
エリカはティーカップに手を運ぶ。
「やつに比べ、我が夫、先代の国王陛下は偉大なお方であった。少々お身体がお弱いところはあられたが、紳士的で知性もあり、何よりとても心優しいお方だったのだ」
「随分気に入ってんだな」
「だが、女を見る目だけは不確かであった……」
どんな時もエリカは少しばかり伏せたような目をしている。
それは今も変わりない。
彼女は甘い紅茶を口にする時ですらどこか憂いを帯びた面持ちでいた。
「それはアンタより好かれてる女がいたのの愚痴か?」
アンダーはまだ食べ物にも飲み物にも手をつけていない。
「嫌いだったんだろ? 第一夫人が」
「女が複数いればよく起こるいざこざよな」
エリカは目は伏せ気味にしたままで返す。
「――で、殺した?」
アンダーは揺さぶりをかける。
刹那、護衛の者二名がほぼ同時に剣を抜き、その先をアンダーの首へと突きつけた。
「どーやらマジみてーだな」
二本の剣を首へ突きつけられてもなお余裕を失わないアンダーは唇に笑みを浮かべる。
「……なぜそれを」
それまで一定していたエリカの表情が徐々に崩れ始めていた。
「噂でちょこっと聞いただけなんだけどよ。試しに言ってみただけでこんなことされるってことは、事実なんだろーな」
「どこまで知っているのだ? 答え次第では……生かしては返さぬ」
「そりゃ怖いねぇ」
「馬鹿にしたようなことを……」
エリカはテーブルに置かれていたフォークを掴み取り――それを目の前のタルトに突き立てる。
「わらわの道を邪魔する者は必ずや死に至るのだ」
そしてアンダーへ憎しみに満ちた鋭い視線を向ける。
「例外はない」
静寂が訪れた。
「……いい趣味してんじゃん」
聞こえるか聞こえないかくらいの小声で呟くアンダー。




