42.また一つ、夜を重ねて。
「エリカ……お嬢の母親だよな、確か。何でここでお嬢の親が出てくる?」
疑いの視線をワシーに向けるアンダーだったが。
「先代国王の第一夫人と第二夫人は不仲でした。いや、正しくは、第二夫人であるエリカ様が一方的に敵意を持っていた。これはおおっぴらには明らかにはなっていないことですがな、第一夫人殺害も――実は、エリカ様のご希望によるものだったのですよ」
ワシーは落ち着いて説明した。
嘘ではないのだ。
言っていることは。
「なんにせよ、わたしの言っていることに嘘はありません」
「ふーん……」
「話しましたよ! ですからそちらも約束は守ってください。わたしの刑を軽くするよう、陛下にお願いするのです!」
ワシーは強く訴えるが。
「アンタが嘘ついてなかったら、な」
アンダーはさらりとかわした。
「んじゃこれで。オレは帰るわ。お付き合いどーも」
そして彼は牢から出ていく。
最初から最後まで気ままだった。
◆
その日の晩、アンダーはいつもと変わりなくオイラーの部屋へやって来た。
彼はベッドの上という定位置に腰を下ろす。
靴は今日も脱いでいる。
「君に言われた通り、今日はランさんと一緒に帰ってきた」
「え、マジで?」
「な……。なぜそんなことを? 君がそうするように言ったのだろう」
「マジで一緒に帰るとはさすがに思ってなかった」
なんてことのない夜だ。
いつもと変わらない時間。
「実に気まずかった……」
「そりゃそーだろなぁ」
「ランさんは悪人ではないが、あまり会話が得意でないようだ」
「アンタもな」
「……それは、そうだな」
もう何度こんな夜を過ごしただろう。
ここへ来てからだけではない。
その前からずっと、二人は特別な二人だった。
そこにあるのは恋愛感情ではなく、しかし、その得体のしれない感情は彼らを強く結びつけて離さない。
「あのさぁ」
くだらない会話の先で、アンダーは本題を滑り込ませる。
「ちょっと聞いてもいーか?」
「あ、ああ。何だろう。何でも聞いてくれ」
「アンタの母親は死んだんだったよな」
オイラーは一瞬躊躇ったが。
「殺された」
すぐにはっきりとそう答えた。
「殺したやつ、見たか?」
アンダーの口から出た問いに、オイラーは戸惑いを抱える。
「なぜ……?」
「いやなんとなく、気になってさ」
「すまない。失礼なことを質問してしまって。ただ……アンがそんなことを尋ねてくるのは珍しいなと思ったんだ」
それから数秒間を空けて。
「答えは、見ていない、だ」
そっと答えた。
「私が連絡を受けて駆けつけた時には既に……母は亡くなっていた。母の亡骸は確かにそこにあった。犯人は、当然探しはしたようだが、結局見つからなかった」
オイラーは目を細めつつ話す。
「……なぜ、犯人がはっきりしないままうやむやになったのだろう」
遠いところを見つめるような目をしている彼を、ベッドの上のアンダーは意味もなく眺めていた。
アンダーには目の前の男が幸せなようには見えなかった。
誰もが身内というものに理不尽に縛られている――。
そんなことをぼんやりと考えて、無意味な思考だと天井へ視線を移す。
「どいつもこいつもややこしーな」
やがて、アンダーは溜め息をついた。
「家族とか、親とか、そんなんに影響受けすぎだろ」
「……何か不快だっただろうか」
「いやべつに。なんとなく思ったこと言っただけ」
「なら安心した」
語り合う、こんな夜は深く長い。
「確かにその通りだとは思う。家族の影響というのはとても大きい。……母親同士の関係性さえ違っていたなら、私とサルキアも、きっともっと同じ時間を過ごせただろう」
初めてではない。
そんな夜はこれまでにもあった。
「不仲だったんだろうなぁ、母親同士」
「ああ、何とも言えない関係性だった」
「お嬢の母親、あの女、アンタに対しても接し方やばかったもんな」
「あの時は大変見苦しく申し訳なかった……」
オイラーは苦笑して、宙を見上げる。
「アンの前で家族うんぬんの話をするというのは少々あれな気もするのだが、君のことだからきっとそれほど気にしていないのだろう」
「振り回されねーって意味では得しかねぇな」
「だが誰にでも家族と共に過ごした楽しい思い出というのもあるものだ。君にはそれがない」
「最初から知らねーもんはなくても気にならねーからな」
相変わらずなアンダーを見てオイラーは安心したように息を吐き出す。
「強いな、君は」
オイラーの口もとには微かな笑みが浮かんでいた。
「だがいつかは――余計なお世話かもしれないが、君にも家族というものを経験してみてほしいと思ってしまう」
「そりゃムリだな」
「……即答されてしまった」
「むいてねーよ、オレには」
「アンならそう言うだろうと想像はしていたが……それにしても早かった」
だが完全な冗談でもないんだ、と、オイラーは小さく呟く。
「君が望む時が来れば、私は君のために良き相手を探すだろう」
◆
どんな夜も明けて、また新しい朝が来る。
歩き出したアンダーの面には笑みはない。
その瞳がどこを見つめているのか、そして、何を思うのか。真実に触れられる者はどこにもいない。
これまでもずっとそうであったように。
結局のところ、生きるのも、動くのも、外の誰でもない彼という人間の選択でしかない。
だが彼の目的は確かなものだ。
――ただ、誰にも触れられないだけで。




