41.取引は常に
オイラーに別れを告げたアンダーは建物内の薄暗い廊下を一人歩く。
埃舞うような空気。
清潔とは程遠い匂い。
それでも、幼き日アンダーが過ごしたあの場所に比べれば生温い環境ではあるのだが。
ただ、王城とは異なるその匂いは、どことなく懐かしくもあった。
――そうして彼がたどり着いたのはアイリーンの父であるワシーが入れられている牢の前。
無機質な柵の向こう側にある部屋はお世辞にも広いとは言えない。そんな場所にワシーは一人入れられている。服装はここへ入れられる前に着ていたものとは違っていて、以前は常にスーツを着用していたが現在はゆるりとしたグレーの上下を着せられている。それでも七三分けのようになった前髪だけは変わっていない。
「よ」
アンダーは軽く片手を持ち上げて挨拶する。
「話があるんだけどよ、いーか?」
「……貴方とは話したくはないですな」
ワシーはアンダーの顔を見るや否や不快そうな表情を浮かべた。
「アンタに聞きてーことがあるんだけどよ」
「その顔をわたしに向けないでいただきたい」
「マジで嫌われてんなオレ」
「貴方のような男は大嫌いなのですよ。家柄もないくせに王につきまとう野蛮な男」
不快感を隠さないワシーの発言に、アンダーは「ふーん」とだけ発してにやりと笑う。
「んじゃ、野蛮な男らしく? 失礼しよーかね」
そして彼は勝手に扉を開けた。
目的はワシーの解放ではない。
それゆえ開けた扉はすぐに閉める。
「なっ……」
鍵を使うことなく扉を開けたアンダーを見て動揺するワシー。
アンダーはじりじりと距離を詰めていく。失礼なことを言っている自覚があったのか、その不敵な笑みに恐怖を覚えたワシーは「ち、近寄るな!」などと喚く。しかしそんなものでアンダーの歩みを止めることなどできるはずもなく。手で首を絞めることさえ可能、というくらいにまで近づかれてしまう。元々肌の色がくすんでいるワシーではあるのだが、それでも違いが明確に分かるほど顔色が悪くなっている。
やがて、アンダーは、左太ももにベルトで固定しているナイフ一本を抜いた。
その尖端をワシーの喉もとに突きつける。
「偉大なお父様? アンタ、娘に何やらしてんだ」
「……何の、話だか」
「自分でやらず娘の手を汚させるとはなぁ、随分いい趣味してんじゃねーか?」
ナイフの先は獣の眼球のようにぎらりと光る。
「あ、アイリーンのこと……ですかな!?」
仕事においてはそこそこ有能であるワシーだが、さすがに鋭い光を放つ刃の圧には勝てなかった。
「それがどうか……どうか、し、したのですかな?」
「アンタがやりゃあいーのによ」
「そ、そそ、それは不可能です。なぜなら、あ、アイリーンには、特別な力があるから……わたしには代わりには、な、なれないのです」
「あっそ。けどそのせーでアンタの娘は死刑になりかかってんだよな」
「……し、知らない、後のことなど」
「ま、死刑予定なのはアンタもだけどな」
アンダーはワシーの怯えた顔が気に入ったようだ。
「けど、本題はそれじゃねーんだ」
どこか機嫌良さげなアンダーである。
彼は手にしているナイフをワシーの喉もとから一旦離すとペン回しの要領で回転させている――が、その行動自体には特に意味はない。
「アンタがオレを嫌ってることは知ってる。けど、アンタの力だけであんな色々できるはずねーわな」
ワシーは後ずさりする。
しかし壁にぶつかってしまった。
逃げ場はない。
「てことはつまり」
燃えるような紅から放たれた視線がワシーの身を貫く。
「いるんだろ? 協力者が」
静けさの中で、ワシーの喉が上下した。
「聞きてーのはそれ」
「……ば、馬鹿なことを。わたしは……わたしは、何も知らない」
「さっさと吐けよ」
「な、生意気なことを言うな!」
ワシーは毒を吐く。
だが明らかに悪手だ。
「捨て子の分際で!」
叫んだ、直後、ワシーの首に再びナイフがあてがわれた。
「陛下のお気に入りにそんなこと言っていーんですか?」
「わ、我がバーナー家は、代々陛下にお仕えしてきた……わたしはお前のような……お前のような、ぽっと出の男とはそもそもが違う……!」
「ナチュラルに見下してくんなぁ、うけるわ」
「……ぶ、武器を突きつけるな。そのような蛮行、許されるものでない」
ワシーは強気な言葉選びをしてはいる。が、それとは裏腹に、その身に刃物をあてがわれていることにはかなり怯えているようであった。死は怖い、それが答えのようだ。
「アンタの仲間は誰なんだ?」
「……い、言うわけがない、だろうそんなこと」
「じゃねーとここで死ぬことになる」
「で、できるはずがない……そんな、そんなこと……」
「そのわりには震えてんじゃねーか。情けねーやつ。ホントは分かってんだろ?」
アンダーはワシーに身を寄せ圧を強める。
その目もとは狡猾な色をまとっていた。
「死にたくねーならさっさと口を割るんだな」
それでもなおワシーは口を開かない。
ただ、表情は揺れていた。
逃げ場のない状況に追いやられ、心は徐々に変わりつつある様子だ。
「……し、死刑を」
「はぁ?」
「……取り消すよう、陛下に」
ワシーの声は今にも消えてしまいそうな弱々しさ。
「進言、するなら……そ、それなら……すべて話してやろう」
「それでもいーぜ?」
頼んでやるよ、と、アンダーは続ける。
すると。
「エリカだ」
ワシーは突然貴い人の名を挙げた。
「エリカ・エイヴェルン、すべて……彼女が仕組んだことだ。わたしはそれに協力しただけ……にもかかわらず、わたしやアイリーンなど下の人間だけが死刑になることには不満がある」




