37.破滅の女神と青い蝶
アイリーンはすぐには口を開かなかった。
彼女はただ黙っていた。
震えていた瞳は徐々に落ち着きを取り戻してゆく。
数えきれないほど、時は過ぎて。
ランはただその沈黙にじっと耐えていた。
何事にもタイミングというものがある。ランはそのことを知っている。だから急かすことはしない。その記憶はきっと辛い記憶なのだろう。そのくらいのことはランも察している。だからこそランは追い詰めるようなことはしなかった。アイリーンが話そうと心を決めるまで待ち続けよう、と、ランはそう考えていた。
「……すべて、この身に宿る力のせいよ」
沈黙の果てに。
「そのせいで……姉は死んだ、いえ……死を、選ぶことになった……」
アイリーンはゆっくりと話し始める。
仲良し姉妹だったこと。けれどアイリーンの身に宿る力によって、その術によって、姉が苦しむことになったこと。日に日にやつれていく姉を見ていて辛かったことや、それでも落ち込む自分を励ましてくれていた姉を愛していたこと。
――そして、破滅へと向かった生命。
姉の人生を終わらせたのは自身であったこと。
そして、悲しいことだが、それを強く望んだのが姉その人であったことも。
「これは誰にも話してはいない。でも、どうせ処刑される運命なのだから、もうどうでもいいわ。ばらしてしまいたいならばらせばいい。どのみちこの道には死しかないのだから」
ランは何も言えなかった。
「恐ろしい力でしょう? 化け物だわ。それでも貴女はあんな馬鹿げたことが言える? 大切、だなんて」
自嘲気味に笑うアイリーン。
「この力を使えば、貴女だって地獄へ堕とせる」
そう言って、手袋をはめたままの右手を前へ突き出した。
「今ここで試してみてもいいのよ」
だがランは恐れはしなかった。
「……解呪できます」
静かな湖の水面のような瞳で、ランはアイリーンを見つめる。
「アンダーさんに術をかけたのも貴女ですよね」
「ッ……」
「ですが解呪できました。アンダーさんは今も生きています。ですから、貴女がわたくしにあれを仕掛けたとて、わたくしが死に至ることはないでしょう」
ランは恐れない。
たとえどんな恐ろしい力を持っているとしても、アイリーンがアイリーンであることに変わりはないから。
目の前にいるのはアイリーンだ。
怪物とか、化け物とか、そんなものではない。
「アイリーンさんは化け物ではありません。お姉様も、きっとそう思っていたはずですよ。貴女を誰よりも傍で見ていらっしゃったのですから」
ランの言葉はアイリーンの胸に光をもたらした。
「お姉様はずっと、アイリーンさんの幸せを願っていらっしゃったのではないでしょうか?」
それはとても弱い光。
けれども確かにそこに在る希望。
『アイリーン、愛しているわ。ずっとよ。だから、どうかあなたは生きて……、幸せになって』
あの時、最期に姉が発した言葉。
絶望に塗り潰されて消えってしまっていたけれど。
本当は覚えていた。
――幸せに。
アイリーンは全身の力が抜けるのを感じた。
くらくらする。
経験したことのない感覚。
「……貴女に」
意図せずこぼれる涙。
「もし、貴女に……もっと早く、出会えていたら」
それは頬を伝って落ちる。
「お姉さまを救えていたかもしれなかった……」
泣くつもりなんてなかったのに。
涙の粒は本人の意思など無視してただ溢れ出すばかり。
「アイリーンさん……」
涙するアイリーンを見ていたらランも泣いてしまいそうだった。
でも。
ここでそれはあまりにもかっこ悪いので。
「あ、あの、これ」
ランは慌てて紙袋に入っていた箱を取り出す。
本当はアイリーンに開けてほしかった。
でもこれはもう仕方がない。
受け取ってもらうならタイミングはここしかないだろう。
「アイリーンさんにあげます……!」
青い蝶のネックレス。
「実は、紫陽花と迷ったのですが、こっちの方がより前向きな感じかなと……勝手に、ですけど、そんな風に思ってて。でも……今のアイリーンさんにはきっとこれがぴったりです。こちらを選んだのも運命だったんですね、きっと」
こんな時に限って余計なことばかり喋ってしまうけれど。
「アイリーンさんには過去に縛られず自由に生きていただきたいです。あ、あとっ、青いので、ちょっと……それでたまにわたくしのことも思い出していただけたらと……! そうしたらアイリーンさんがお一人になることもないですから、なおさら、死へ進む理由もなくなりますよね」
柵越しにネックレスを手渡す。
「だって……ずっとわたくしが傍にいるようなものですし……」
アイリーンはそれを受け取った。
「貰ってくださいますか?」
「……はい」
「本当ですか!」
嬉しそうな顔をするランだったが。
「……処刑台に、つけていきますね」
アイリーンの口から出た言葉に。
「死んだ後……自由に空を飛べるように、願って」
また胸を痛くさせられる。
どうして諦めるの?
なぜ生きようと足掻かないの?
ランは聞きたかった、でも、そんなことは聞けなくて。
「アイリーンさん、死んではいけません」
だから。
「大切な人が死んでしまう悲しみを貴女は誰よりもご存知のはずです」
「何を……」
「ですから! 死んでは! 駄目です!」
「ええっ……」
「アイリーンさんがお姉様を喪って悲しまれたように、アイリーンさんの死を深く悲しむ人間もいるということです!」
何度でも繰り返す。
「絶対に諦めないでください!」
生きていてほしい。
たとえ人生の中でどんなことがあっても。
「わたくし、陛下と話をして参ります」
「……ですが」
「アイリーンさんを死刑になんてさせません。ですからどうか待っていてください。必ず、良い報せを持って帰ってきますから」




