22.追いかけて捕まえて
宙に散る、紅。
突如現れた不審者の攻撃はオイラーの咄嗟に伸ばした腕を傷つけた。
サルキアは状況を呑み込めない。
ただ起こってはならないことが起こったのだということだけは分かる。
だが不審者はそれ以上攻撃する気はなかったようで。
最初の一撃、刃物による斬りつけ。
それだけ済ませると即座に逃げを選んだ。
「君はそこにいろ!」
オイラーはそれだけ言い残して走り出す。
逃がしはしない。
そう考えているようであった。
サルキアを自室へ残し駆け出したオイラーは間もなくアンダーに遭遇する。逃げてゆく不審者を目撃したアンダーは「何だ?」と呟く。そんな彼に向けてオイラーは叫んだ。追ってくれ! ……と。その緊迫した口調によって状況を僅かながら察したアンダーは「はいよ」と短く返事をし、不審者が走っていった方へと身体を向ける。そして地面を蹴った。走ればアンダーはかなり速い。敵が全力疾走で逃げたとしてもじきに追い付くだろう。
そしてオイラーは立ち止まる。
彼は斬りつけられた左腕を見下ろし、やがて、一つ息を吐き出して来た道を引き返した。
「陛下……!」
オイラーが戻ってきた気配を察知するとサルキアは青ざめたまま彼に駆け寄る。
「サルキア、怪我はないか?」
「はい、私は」
「なら良かった」
「ですが陛下が……」
「心配するな、それほど深い傷ではない」
その時のオイラーは不思議なくらい落ち着いた顔つきをしていた。
突然のことに動揺するサルキアを過剰に不安にさせたくなかったのだろう。
「不審者はアンに追わせた」
「そうですか」
「アンは足が速いからな、すぐに追い付いて捕まえるはずだ」
そうですか、と、安堵に近い感情を吐き出して。
けれどもまだ安心しきることはできない。
犯人が捕まったわけでも解決したわけでもないからだ。
そんなことをぼんやりと考えているサルキアとは対照的に、オイラーは斬られた部分の手当てを自分で始めていた。
自室の奥にある棚から救急箱を取り出し、自分で自分に処置を行っている。
「大丈夫か」
簡易的な処置を終わらせた頃、オイラーは口を開いた。
「陛下?」
きょとんとするサルキア。
「ここのところ物騒なこと続きで君のメンタルが心配になる」
「私、ですか? 平気です。陛下こそ、問題ありませんか? 即位されてから色々あってお疲れなのでは」
サルキアの顔色は徐々に回復してきている。
「私のことは気にするな」
「気にします。陛下はこの国の頂点たるお方なのですから、その身にもしものことがあれば大問題になります」
事件の直後。
こんな時でも世界は変わらずそこにある。
窓の外へ目を向ければいつもと何の違いもない風景がどこまでも続いている。
「王となれば多くの問題に直面するであろうことは分かっていたことだ」
「だとしても、お辛い時もあられるのでは」
暫し沈黙があり。
「すべて覚悟の上だ」
オイラーはその薄い唇を控えめに動かした。
「だからアンを連れてきた」
その時のオイラーの表情はどこか嬉しげでもあって。サルキアは、まるで自分の心の奥を見ているかのようだ、なんて思ったりした。もっとも思ったところでそれを口から出すなんてことはできるはずもないのだが。
「私もいます」
「サルキア?」
「アンダーはとても優秀です、けれど、陛下をお支えしたいという気持ちの強さでは私も負けてはいないはずです」
「……すまないな。君と同じ年頃の女性たちは皆きっと穏やかに暮らしているだろうに。王家に生まれたがために、君はすべてを捨てている……」
サルキアは首を横に振る。
「この道こそが我が生きる道、迷いはありません」
◆
刃物を手にした不審者は行き止まりへと追いやられた。
たどり着いたそこには上下左右どこにも逃げ場はない。
「残念ながらそっちは行き止まりなんだよなぁ」
そんな不審者に追いついたアンダーは不敵な笑みを浮かべつつ話しかける。
「何やってくれちゃってんの?」
不審者はマスクで顔を隠している。
そのためその正体ははっきりはしない。
だが大人しく捕まる気はないようで。
手にしていた刃物を構える。
「ふーん、やる気?」
アンダーは顔から笑みを消した。
直後。
不審者は「死ねええええッ!!」と太い声で叫んでアンダーの方へと突進した。
逃げられない、そう悟っての決死の突撃だったのであろう。
だがアンダーは冷静そのもので。
「うるせーよ」
刃物を握る手を軽く蹴り刃物を落下させ、続けて顎を強く蹴り上げる。
頭部への衝撃。
不審者は意識を喪失する。
ばたりと倒れた。
「弱っ」
一瞬にして撃沈した不審者を見下ろし、アンダーは小さく呟いた。
さすがに想定外の弱さだったようだ。
アンダーは気絶した不審者の身と少しばかり赤く濡れた刃物を回収するとその場から離れた。
◆
「これでいーんだろ?」
「ああ。さすがだ。仕事が早い」
アンダーは不審者を回収してオイラーらのもとへ戻った。
「サルキアを傷つけようとするとは」
静かに怒っているオイラーは、愛用している剣を取り出すと、その刃を気絶したままの不審者の喉もとへと向ける。
「絶対に許さん」
今ここで斬り捨ててやる。
そう言っているかのような目力だ。
だがそこへサルキアが口を挟む。
「お待ちください陛下」
「どうした」
「ここで殺めるのではなく、警備隊へ突き出す方が良いのではないでしょうか」
「何と生温いことを……」
「そうではありません。調べるべきだと申し上げているのです。この不審者が何者であるのか、どういった手の者であるのか、取り調べを行うべきです」
オイラーはそれからもしばらく重苦しい顔つきを崩さなかった、が、やがて剣を下ろす。
「それが君の意見なら、そのようにしよう」




