21.聞かれていなくて良かったです
「わたくしに相談したいこと、ですか……?」
「そうなのです」
その日、昼食を取り終えたサルキアは、ランを中庭へと呼び出した。
「実はここのところ違和感がありまして」
「違和感……ですか?」
「特定の条件下で胸の鼓動がおかしくなるのです」
流れるように放たれる言葉に困惑するラン。
「ええと、それは……心臓が、おかしい、ということでしょうか……?」
ランは心情を表現するかのように両手を胸の前あたりで重ねていた。
「その……特定の条件、とは……?」
「アンダーです」
「えっ」
「ですから、アンダーなのです」
何を言われているのかすぐには理解できないラン。
ただサルキアの表情が真剣なものだったのでふざけているのではないということだけは理解していた。
「アンダーを目にすると胸の鼓動が加速するのです」
サルキアは真剣な面持ちで言い放つ。
そしてランは察した。
「ぁ……ぇ、ええと、それって……」
「遠慮はいりませんので、本当のことを教えてください」
それでもランは暫しもじもじしていた、が。
「……恋、では?」
やがてそう発した。
それを聞いたサルキアは顔を強張らせる。
「恋?」
「あくまで……推測、ですけれど……」
「ですが私とアンダーは何もしていませんよ? それなのに、恋が発生するのですか?」
サルキアはつい一歩前へ出てしまい。
「ぁ……ぅ、ぅう……」
ランがおろおろなっているのを目にしてハッとする。
「すみません、圧をかけてしまい」
急いで謝罪した。
ランを追い詰めるつもりはなかったのだ。
「しかし詳しく知りたいところです。これが恋なのであれば知識をより深めたいのです。そうすることでこの状態への理解が深まると思いますので」
「は、は……はいぃ……」
「質問させていただいて構いませんか?」
「わ……わたくしも……あまり詳しくはないですが……ぇ、ええと……は、はい、分かる範囲でお答えいたします」
サルキアは知ることが好き。
それは昔から変わらない彼女を構成する一つの要素である。
「私とアンダーは口づけすら交わしていません。そしてこの先も、そのようなことには至らないでしょう。人命救助を除けば。それでも恋が発生するのでしょうか?」
「あ、あの……」
「どうされました?」
「サルキア様は、ちょっと……恋というものを、そもそも理解されていないのではないかと……」
言いづらそうに言うラン。
「口づけと恋は無関係です……」
――その時だった。
「君は一体サルキアに何を教えているんだ」
地鳴りのような低い声が聞こえてくる。
それは明らかに男性のもの。
そして、その声の主というのが、たまたま通りかかったオイラーだったのである。
「ひぃっ……」
ランは完全に怯えてしまっている。
「陛下、どうしてここに」
「たまたま通りかかっただけだ」
「そうですか」
「だが、なぜこんなところでそのようなことを話しているのか」
オイラーは怒っていた。
「サルキアにそのようなことを教えるな!」
「陛下! お待ちください! ランさんに罪はありません!」
あっという間に大騒ぎ。
「……何だと?」
不機嫌なオイラーに睨まれてもサルキアは怯まない。
「私が質問したのです。ですからランさんに非はありません」
「何を言って――」
「ですからどうかランさんを責めるようなことはなさらないでください。すべて私の責任です」
「彼女を庇っているのなら、サルキア、そんな愚かな行為は今すぐやめろ」
「庇っているのではありません。私はただ事実を伝えただけです」
互いに退かない兄妹に挟まれたランは畏縮するばかり。
数秒の間の後、オイラーは若干落ち着いた様子で「……分かった。そこまで言うなら信じよう」と言葉を紡いだ。対するサルキアは静かな表情で礼を述べる。しかしそこで会話が終わるわけではなく、まだ続きがあった。オイラーは「ただし、この後私の部屋へ来い」とサルキアに対して命令した。
こうしてサルキアとランは別れることとなってしまった。
「で、サルキアは誰に恋しているんだ?」
――どうやらオイラーは途中からしか聞いていなかったようだ。
「自室に呼び出して話がそれですか」
「兄として当然の行動だ」
「あれはただの話です。どなたに、というわけではなく。ちょっとした疑問、それだけです」
アンダーにうんぬん、ということは聞かれていなかったようで、サルキアは密かにほっとした。
「私は兄として君の恋路を応援する」
オイラーはサルキアを責めようとはしなかった。
「もう大人だ。君の選択を、君の意思を、尊重したい」
ただ受け入れようとしていた。
「意外です」
「なぜに?」
少しばかり空気が柔らかくなる。
「なんにせよ、陛下がそのように言ってくださると心強いです」
「力になれることがあれば言ってくれ」
「はい。その時が来れば、お願いします。ですが……今はまだ、そのような相手はいませんので」
その相手がアンダーだと知ったなら、きっと、オイラーはひっくり返るだろう。
絶対に言えない、そんなことは。
それにそもそもアンダーはオイラーの大切な人だ、兄から親友を奪い取るようなことはしたくない。
……加えて、まだよく分からないところも多くある。
サルキアはランの話を聞いても完全には納得できていなかった。
自分が恋なんてするだろうか。
そんなことが起こるだろうか。
いつか、機会があれば確かめてみたい。
でもまだ今はその時ではない。
「先ほどはつい割って入ってしまい失礼した」
「いえ」
「ではこれにて解散としよう」
「承知しました」
オイラーはわざわざ自ら足を進めて扉を押し開ける。
礼を済ませたサルキアが外へ出ようとした、刹那――。
「危ない!!」
何かを察したオイラーが咄嗟にサルキアの方へと腕を伸ばす。




