18.あの頃の記憶
その日はよく晴れていた。
強まり始めた日射しが中庭の緑を初々しく照らしている。
「「こんにちは」」
そこそこ良い家の出であろうと想像できるような老夫婦がランのもとを訪ねてきたのは昼下がりのことであった。
「え……と、その……お二人、は?」
いきなりのことに戸惑うランに、女性は柔らかく微笑みかける。
「ごめんなさいねぇいきなり。この人がどうしても様子を見に行きたいって言うから。この人、言い出すと聞かないのよぉ」
「おい、お前、そんなこと言うんじゃないっ」
「うふふ、言うわよぉ。だって事実だもの。ね? あなた?」
「ま……まぁ、それは、そうであるけれども」
仲良さげな老夫婦だ――ランが少しばかり安心していると、部屋の奥で床に寝そべっていたリッタが突然立ち上がり駆け出して、老夫婦の男性の方に抱きついた。
「ぱぱ!」
リッタはその白髪の紳士に抱きつくと頬をすり寄せる。
「久しぶり! ぱぱ! まま、も! 会いたい、かった!」
草原のような髪がもふもふと揺れて、いつしか紳士の顔面はそこに埋もれてしまった。
「あらあら、リッタったら駄目よぉ。こんなところで好き勝手に動いたら。今は侍女なのでしょう?」
「まま! 好き!」
「それに、会いたいかった、なんて……言葉がおかしいわぁ」
「リッタ! 自由! ラン、可愛い! 毎日、とっても、楽しくしてる!」
それから少しして、その老夫婦がリッタの親であるチェリブリッヒ家の当主とその妻であることが判明する。
「ラン! 二人、リッタの、ぱぱとまま!」
「そうだったの」
「二人、優しい! それで、リッタ、大好き!」
「それはとても喜ばしいことね」
「うん! でも、ラン、も、同じくらい、好き」
「ありがとうリッちゃん」
それから女性はアイリーンにも目を向ける。
「うふふ。お久しぶりねぇアイリーンちゃん。お元気?」
「はい」
「リッタと一緒に働いてくれてありがとねぇ」
「いえいえ」
老夫婦がここへ来た目的はリッタがきちんと働いているかと元気にしているかを確認するためというものであった。
「そうだわぁ。ランさん。よければこれから少しお話ししない?」
「わたくし……ですか?」
「いきなりで悪いわねぇ。ちょっとリッタのこととか聞かせてほしくって。駄目かしらぁ」
「いえ、それでも問題ありません」
「うふふ。良かったわぁ。じゃ、そうしましょう。今日はちょうど天気もいいし、中庭とかどうかしらぁ」
ランとリッタの母親である老夫婦の女性の方は中庭のベンチへ移動した。
「ごめんなさいねぇ急に」
「いえ……」
ちなみに男性の方はリッタの相手をしているところだ。
「リッタ、どんな感じかしら? 上手く働けている感じ? あの子、昔からちょっと自由過ぎるところがあって、少しでも目を離すとすぐどこかへ行ってしまうのよねぇ」
「とても優しい方です、いつもお世話になっております」
「あらあら、いいのよぉ、そんなに改まらなくても。気楽に話してちょうだいねぇ」
降り注ぐ日射しが頬に触れると穏やかな熱を感じる。
「あのね、少し聞いてくださるかしら?」
「はい」
「リッタは捨てられた子だったの。うちの屋敷の前に放置されていたのよぉ。まぁそういうことは当時は多々あったのだけれど……でも、大抵は死んでしまうの。幼い子は弱いから」
ランはどんな言葉を返すべきなのかよく分からなかった。
「そう……です、よね」
相手を傷つけないように。
相手を不快にしないように。
それだけを気をつけて、言葉を選び、発する。
「けれどあの子の生命力は凄かったわぁ。感染していた右目だけは残念ながら治らなかったけれど……食べ物を口にしているうちにあっという間に元気になって。走り回るようになったの。それで、段々可愛くなっちゃって。それで養子……養女として迎えることにしたの。わたしたち夫婦には子はいなかったからぁ、ちょうど良かったっていうのもあるのだけれどねぇ」
女性は楽しそうに語る。
「でも甘やかしすぎたのか自由人過ぎる感じになっちゃったのよぉ」
「そ、そうなんですね」
「だから侍女として働かせることにしたの。少しは教育されるかなぁ、なんて、ちょっと期待して。でもあまり進歩はなさそうねぇ」
「いえ。リッタさんはいつも寄り添ってくれますし、可愛いですし……それにそれに、とても……とても優しくしてくださいます」
二人は穏やかな日射しの下でリッタについて色々話した。
「そういえば、ランさん、アイリーンちゃんもあなたの侍女なのねぇ」
「ご存知なのですか?」
「ええ。といっても少しだけだけれど」
「アイリーンさんもわたくしにとてもよくしてくださいます。わたくしは何も知らずここへ参りましたが、お二人のおかげで、日々楽しく過ごすことができているのです」
嬉しげに話すランを見て、女性は少し切なげな顔をした。
「王城は数多の愛や憎しみが絡み合う場所」
女性は静かに述べる。
「あなたはとても心が綺麗そうだから大丈夫だと思うけれど、どうか、いつまでも幸せでいてちょうだいね」
ランにはその言葉の意味はいまいち分からなかった。
「……昔、何かあったのですか?」
陽を浴びれば温もりを感じる。
風が吹けば草木が揺れる。
それと同じくらい、当たり前な問いをランは放った。
「時折物騒な話も聞いたわねぇ。アイリーンちゃんのお姉さんも不幸にも亡くなられたようだったし……といってもわたしは詳しいことは知らないのだけど」
「アイリーンさんにお姉様が? それは……初めて耳にしました」
「それにねぇ、今から三十年くらい前かしら、先代国王を巡って争いが勃発したこともあったようだし」
まだこの国について知らないことがたくさんある――今になってそのことに気づくラン。
「当時は国も荒れていて、色々大変だったわぁ」
「そう……なのですか」
「政治もおかしなことになっていたし、天災も多くて、餓死者が出るようなこともあったくらいだったし。もちろん捨て子も多かったでしょうね。そして捨て子から賊になった人たちによる犯罪も少なくはなかった……」




