15.雨音の隙間に
雨音の隙間に、のびやかな歌声が響いている。
「ただいま戻った」
「ああ、おかえりなさい~って、はああん!? ジルさまぁ!?」
ジルゼッタの侍女ティラナは部屋へ戻ってきたジルゼッタの姿を目にして驚きの声をあげた。
「濡れてますぅ~!?」
「ランニングしていたら急に雨が降ってきたんだ」
びしょ濡れになったジルゼッタは服を脱ぎ始める。
彼女はいつも部屋の周りや建物の付近を走っている。
元々運動が得意かつ身体を鍛えることが嫌いでなかった彼女は日々成長するためにランニングを欠かさなかった――もっともそれは兵士であったということも関係してはいるのだが――その習慣はここへ来てもなお消滅することはなく今に至っているのである。
「んもぉ~、ジルさまったらぁ~、本当に変わりませんねぇ~」
ティラナはジルゼッタが脱ぎ捨てた服を一つ一つ集めていく。
ややピンクがかった肌と尖った耳、橙色を地味にして薄めたような髪色にどこかぷるんとした毛質――ティラナは人間とは異なる種族だ。
それでも人間に対して敵意は抱いていない。
彼女は異種族ながら長きにわたり人間と関わりながら生きてきた、だからこそ、容姿が一般的な人間とは違っていても人間に馴染めるほどの違和感のなさである。
「小さい頃もこんなことよくありましたねぇ~」
「二十年以上前の話だが」
「んふふ~。こんなに大きく、かっこよくなられてぇ~。ティラナ、にやけがとまりません~」
ティラナはジルゼッタが幼い頃から彼女の傍にいた。そして母親のように大事にお世話し育ててきた。ジルゼッタに毎晩子守唄を聞かせていたのも、外の誰でもない、ティラナその人である。
「さて、干しましょうかねぇ~」
「すまないないつも」
「いえいえ~ティラナはこのために来たのですからぁ~」
雨粒が窓を叩く音が大きくなってきた。
「お茶でも飲まれますぅ~?」
「水でいい」
「ええ~っ。そんなぁ~、ティラナの特製ハーブティーはぁ~?」
「あれは苦いからあまり好きでない」
「んぅっそぉ~ん。ティラナ、ショックですよぉ~。ちょっぴり苦くても健康にはいいのにぃ~」
タンクトップとショートパンツだけという軽装になったジルゼッタは、巻いた状態で棚に置いている艶のある素材で作られたグレーの薄い敷物を取り出し、床に敷く。それからその上に腰を下ろすと、あぐらをかいて座るような体勢を作った。
「ストレッチでもしておくか」
雨のせいで外に出づらくなってしまったが身体を動かすことをやめたくはないジルゼッタは柔軟体操を始める。
「ジルさまぁ!? 何してらっしゃるんですのぉ!?」
「いやだからストレッチを」
「んもぉ、また、唐突ですわねぇ~!?」
「迷惑なら移動するが」
「いやいやいや! いいんですわよぉ、どうぞご自由にぃ~」
◆
「本日戻りました」
「ぁ、ぁ……アイリーンさぁぁぁぁん!」
アイリーンの姿を見るや否やランは彼女に抱きついた。
自室の机の上にはランがつい先ほどまで使っていた紙やペンが散乱している。
「おかえりなさい!」
ランはアイリーンとの再会をとても喜んでいた。
「あの……書き置きをしたはずだったのですが、きちんと届いていなかったようで、申し訳ありませんでした」
アイリーンは控えめに言葉を紡ぐ。
「書き置き、ですか?」
「はい。確かに書いて置いておいたはずなのですが」
少し間があって。
「ええと、それは……つまり、わたくしが見落としてしまっていたということでしょうか……?」
首を傾げるラン。
「いえ、ラン様を責めているのではありません。きちんと口頭でもお伝えするべきでした。このたびはご心配おかけしてしまいすみませんでした」
「ぁ、い、いえ! 問題ありません! こちらこそ確認が不十分で……そ、その……申し訳ありませんでしたっ」
謝り合うアイリーンとラン。
「ゆっくり休めましたか?」
ランが問うと、アイリーンは僅かに表情を曇らせる――が、すぐに柔らかかつ優しげな表情に戻り「はい」とだけ答えた。
「それは良かったです」
慎ましげな面に花を咲かせるラン。
彼女はすぐに机に戻った。
多数の紙をあれこれしながらペンを握って何やら文字を書いている。
「それは一体……」
「ラン、今、解呪の研究、してる」
アイリーンの問いに答えたのは勝手にベッドに腰掛けているリッタ。
「解呪?」
「男、助ける、苦痛から、解放するため」
「何かあったの?」
「アイリーン、いない間、色々あった」
リッタはベッドに座ったまま天井を見上げる。
「もう、解決済み」
そこへ口を挟むラン。
「サルキア様が誘拐されて、助けに行ったアンダーさんが術を受けたのです。それでわたくしはその治療に当たっているのですが、術をどうにかしなければ……というところでして」
彼女はひといきで状況を説明した。
「……なぜ治療をラン様が?」
アイリーンは少しばかり表情を固くしたが。
「わたくしが希望したのです」
ランは柔らかく返す。
「人助けに理由は要りません」
ぽつぽつと鳴る雨音に合わせてリッタはつま先を上下させている。
「そういえば、ヤバキノコ、ここでは本当に手軽に入手できるのですね」
「食べてみられたのですか?」
「いえ、それもアンダーさんの治療に。使おうと思えばぱっと手に入るというのはとてもありがたいことです。さすがは王城、と思っておりました」
「それはそうですね。ここには王族もいらっしゃいますから、もしもの時に備えてです」
ランはまだ机に向かったままだが。
「アイリーンさんからその情報を得ていたので効率的に動けました。ありがとうございました。アイリーンさんには本当に感謝しております」
純粋で清らかな感謝の言葉。
それを耳にしたアイリーンは複雑そうな顔をしていた。
――瞳とは、心を映し出す鏡。




