124.生きてて良かった、って。
誰も想像しなかった。
本人たちでさえも。
かつては欠片ほども想像していなかった未来に、今、二人は立っている。
白色をまとい、互いを見つめ、永遠を誓う――。
身を包む色は二人によく似ていた。
何にも染まらないようで、どんな色にでも染まる。
どんな色にでも染まるようで、他に容易く染まることはない。
同時に存在することはおかしいはずの二つの理論。なのにそれらはこの世界に同時に存在する。何なら最も近くに。寄り添うように、手を握り合うように、そこに在るのだ。
式は順調に進み、問題が発生することもなく、無事終了した。
新たなる一歩を祝福するような鐘の音が青空に響く。
割れんばかりの拍手が会場を包んだ。
オイラーは、込み上げる感動のせいで途中から涙が止まらなくなり、たびたび手袋に包まれた手のひらで目もとを拭っていた。大切に思っている妹と親友が結ばれるその瞬間を泣かずに見守ることは彼にはできなかった。男性ゆえ化粧はしていないので大きな問題はなかったが、もしこれが女性であったなら、恐らく化粧崩れで大惨事になっていたことだろう。
一方で、彼の妻という立ち位置であるジルゼッタとランは、冷静さを保っていた。
ジルゼッタは男性顔負けの凛々しい人。ゆえにこの程度のことで涙することはない。もちろん祝いの心は持っているが、だからといって簡単に号泣するようなタイプの人間ではないのだ。
ランは既に先ほど泣いた。なので今は落ち着いている。一度涙を流した後だからこそ、心を過剰に揺らされることなく、平常心で見守ることができているのである。可憐な面には柔らかな笑みが滲んでいた。
「お疲れさまでした。アンダー、大丈夫ですか?」
「何聞いてんだ急に」
「厳かな空気の中でじっとしていると疲れるのではないですか?」
「まーなぁ」
式の後、パレードが始まるまでの空き時間、サルキアはアンダーを気遣う。
人間誰しも慣れないことをするというのは疲れるものだ。
彼はこういうことに慣れていない。
ゆえに疲労が溜まっているのではないかと考えて、それで、声をかけたのだ。
「けど、だいじょーぶ」
「本当ですか?」
「んな心配すんなて」
ただアンダーはサルキアが想像していたより元気そうだった。
「ま、早いとこ慣れねーとな」
彼はそう言って笑みを浮かべる。
思いの外前向きな表情を目にして安堵するサルキアであった。
強まり始めた日射しの下、パレードが始まる。
式に参加できる人数は限られている。関係が通り者や一般人は当然参加できていない。そもそもそれほどまでに広い場所がないし、それだけの参加者数を管理することも難しいからである。
だがここからはそういった人たちに向けての結婚報告会のようなものだ。
出発場所に待機している合唱団の歌に見送られ、二人を乗せた馬車は動き出す。
……ちなみに、その合唱団にこっそりティラナが参加していたのは、ここだけの話である。
馬車が進む大通りの脇には人だかりができている。
王女の晴れ姿を一目見ようと集まった者たちである。
日頃、一般市民と対面する機会というのは限られているため、直接会話するわけではなくとも新鮮に感じるサルキア。
降り注ぐ日射しを受けてティアラについた宝石が煌めく。
「王家って人気あるんだな」
「アンダー?」
いきなり話しかけられて、沿道に向けて手を振っていたサルキアはアンダーの方へ目を向ける。
「めちゃくちゃ来てんな、国民」
アンダーは率直な感想を呟くように述べた。
「そうですね。ですが今回が特別多いわけではありません。大体このような感じではないかと思います」
サルキアは飾らない言葉を返す。
「ふぅん」
「まだ何か疑問が?」
問いに、アンダーは「いいや」とだけ答える。
空を見上げた。
赤い双眸がどこまでも広がる青を捉える。
「……解放的なんだよなぁ」
「どういう意味ですか?」
サルキアは隣にいる彼をただじっと見つめる。
「昔はさ、この世界、牢獄みたいだって思ってたけどよ」
彼が見ている世界を目にする時はきっと来ない。
ただそれでも。
それでも、隣にいて、手を取り合って、そうやってこの道を歩んでゆけるなら。
「……生きてて良かった、って、こーいう時に言うのかもな」
きっと幸せな未来はあるのだと。
そう信じていたい。
「アンダー……これから貴方には多くの幸福があるはずです」
言って、サルキアもまた空を見上げた。
「きっとすべて取り戻せるわ」
少しして、視線を地上へ下ろした二人は、互いへ視線を向けて――そして飾らない笑みを浮かべる。
◆
パレードを終え、サルキアとアンダーは王城へ戻る。
「陛下、どうしてそんなに目もとが腫れていらっしゃるのですか?」
「あ、いや……」
王城へ帰った二人が最初に向かったのはオイラーのもとであった。
一国の主たる彼へ改めて結婚報告を。
そういう意味で会いに行ったのだが。
「何かお辛いことでもあったのでしょうか」
「違う」
「ではなぜ?」
「その……泣いてしまったんだ。新たなる門出が、嬉しくて」
オイラーは正直だった。
「泣いて?」
きょとんとするサルキア。
「ああ、君たち二人の素晴らしい瞬間に立ち会えたことが嬉しくて、涙が止まらなかった……こんなことは初めてだ」
するとそこへ。
「なっさけねぇなぁ」
唐突に口を挟むアンダー。
「アン!? なぜそのようなことを言う!?」
「んなことでびーびー泣いてんじゃねぇよ」
彼は呆れたような表情でそんなことを言う。
「相変わらず手厳しいな」
「ふつーのこと言ってるだけだろ」
ぶっきらぼうに発される言葉を受けてオイラーは「……そうだな」と呟く、そして続ける。
「だが、そういうアンだから好きなんだ。これからもそのままの君でいてくれ」
その時のオイラーの面には繊細ながら柔らかな笑みが水彩のように滲んでいた。




