123.訪れた春と感謝の心
エイヴェルンに春がやって来る。
長い冬は終わりを告げ、初々しい新芽が顔を出す季節だ。
少しばかり低くなった気がする青空から降り注ぐ日射しは柔らかに地上の人々へ温もりを贈る。
ここ数日は雨が続いていた。
王国唯一の王女の結婚式が雨だなんて、と、嫌み混じりにぶつくさ言う者もいたが――式前夜に長雨は止んだ。
サルキアとアンダーはそれぞれ何とも言えぬ思いを抱えていたが、それ以上に心を情緒を乱されていたのは外の誰でもないオイラーだった。
ただ一人の肉親とも言えるような存在であるサルキアとただ一人の親友であるアンダーが手を携え共に行く道を歩み始めるのだから、彼にとってはかなり大きな意味を持つ結婚である。
ゆえに、彼が王城内で一番と言っても過言ではないほどに心乱されるというのも、まんざらおかしな話ではないのだ。
ただそれでも祝福の意思は持っている。
兄として、親友として、参加する式典は初めてだが――そこに大きな祝福の想いがあることだけは絶対的なこと、何があろうとも揺らぎはしない。
――今はただ、祝おう。
オイラーは結婚式前夜に雨上がりの空を見上げながらそう誓った。
◆
式が始まる少し前。
化粧や服装などの準備を済ませたサルキアは、鏡の前に座り、一人そこに映し出されている自身の姿を見つめていた。
まさかこんな日が来るなんて。
誰もが通る道だとしても、自分がそこを通ることはないと思っていた。あるいは通るとしても形だけで欠片ほども嬉しくない状態でだろう、なんて想像していたのに。なのに今はこうして最も望みに近い形でこの日を迎えている。
運命とは、未来とは、どこまでもよく分からないものだと思う。
それらはあまりにも大きな存在で。
ゆえに人の手で操ることはできない。
「おはようございます」
その時、後方の扉が開いて、一人の女性が姿を現した。
「ランさん」
「サルキア様のことが気になって……つい、来てしまいました」
澄んだラムネ色が眩しい。
「アンダーさんはこちらにはいらっしゃらないのですね」
「そうなんです」
「お二人の幸せな時間を邪魔してしまったら、と、少々心配しておりましたので……良かったです、サルキア様お一人の時で」
淡い空色のワンピースを身にまとっているランはサルキアのドレス姿を見て「とてもよく似合っていらっしゃいますね!」と褒め言葉を発する。
それに対しサルキアは「ランさんのワンピースも上品で魅力的です」と率直な感想を述べた。
「加えて、ティアラもよくお似合いです……!」
「今日は何だか凄く褒めてくださいますね」
「それは……今のサルキア様がとてもお美しいですので……つい見惚れてしまい、さらには勝手な言葉が次々……」
少しばかりおろおろしてしまうラン。
「も、申し訳ありません……」
「いえ、そういう話ではありません。嬉しいですよ。それに、ランさんにそう言っていただけると勇気が出ます」
そんなランの手を、サルキアはそっと握った。
「これまでたくさんお世話になりました」
サルキアは感謝の念を確かめるように一度目を閉じる。
「ランさんはいつも話を聞いてくださいましたね」
数秒の後に瞼を開いた。
灰色の瞳がランを真っ直ぐに捉える。
「思えば、私の恋路にはいつも貴女の姿がありました。寄り添っていただいて、励ましていただいて、それでここまで来ることができたと――今、改めてそう、強く思います」
――ありがとう。
サルキアは息を吐くように発した。
思わぬサプライズを受け取ることとなったランは、透き通った瞳を込み上げる涙で震わせる。
何とも感動的な状況だったのだが――。
「……おい、何だこの状況?」
ちょうどそのタイミングで扉を開けた者がいて、アンダーだったのだが、彼は状況を呑み込めず訳が分からないとでも言いたげに眉間にしわを寄せていた。
間もなく、サルキアとランそれぞれから視線を向けられ、アンダーはさらに気まずそうな面持ちになる。
「一旦帰るわ」
「待ってください!」
立ち去ろうとするアンダーを引き留めるサルキア。
「用事ですか?」
「や、様子見に来てみただけ」
「そうですか」
「ん」
「お気遣いありがとうございます」
サルキアが礼を述べれば、アンダーは「真面目か」とこぼしていた。
「それにしてもアンダー、その服装、よく似合っていますね」
ぱっと思いついたことを言うサルキア。
それはお世辞でも何でもない。目にして純粋に感じたことを言葉にしただけ。つまり、純粋な感想である。
彼女がドレスをまとっているように、アンダーもまた式で着用する服を既にまとっている。
エイヴェルンの伝統的な服装とも言える詰襟の上衣は白色で、ところどころに少しばかり金の糸で刺繍が施されている。上下共に白なのだがよく見ると若干の色みの差はあり、微かにグラデーションになっているようでもあって。しかし離れたところから見れば清らかで高貴な白色の衣装に見えるという、シンプルながらさりげないところにこだわりが垣間見える服である。
「マジで言ってんのかアンタ。似合ってねーだろさすがに」
「かっこいいですよ」
「趣味変わってんなぁ」
アンダー自身はその服装がしっくりきていないようだが、サルキアから見ればかっちりとしていて決まっていてかっこいい――確かに日頃とは少々印象は違っているかもしれないが――それでも彼なりに上手く着こなしていると感じる。
「オレが白とか着てんの変だろ」
「そうでしょうか」
「や、だって、オレそーいうキャラじゃねーし」
着慣れない服を着ていると心なしか恥じらいを感じてしまうというのは分からないではない。
だが似合っているものは似合っているのだから自信を持ってほしい、そんな風に思うサルキアだった。
「そうかもしれませんね」
「だろ?」
「ですが、貴方は何を着ていてもかっこいいのですから、問題はありません」




