121.とある日のエイヴェルン(2)
ワシーは突然エリカに呼び出された。
かなり久々なことだ。
内心嫌だなと思いつつもつい真面目に彼女のもとへ向かってしまうワシーの足。
行先は王城内の部屋ではない。
向かう先は、エリカが暮らしている小屋だ。
「話とは何でしょうか」
スーツに身を包んだワシーは少々顔を引きつらせながらもエリカの前に真っ直ぐに立つ。
目の前にいるのは自分を殺害しようとした女。
ワシーとエリカの関係は以前と同じではない。
ゆえに元々さほどなかった仲間意識はより一層薄れているし、ワシーからすればもはや敵前に立つような心境である。
「どうしても、伝えたいことがあったのだ」
「は、はぁ……」
エリカはちょうど手にしていたティーカップをソーサーの上へ静かに置く。
「あの時は悪かったな」
まさかの言葉が飛び出して。
「え」
ワシーは顔を硬直させる。
「殺害の指示を出したこと、今は申し訳ないことをしたと思っておる」
エリカは言ってそっと目を伏せる。
「……すまなかったな」
そして静寂が訪れた。
――サルキアの結婚記念式典が終われば王城を出る。
エリカはワシーにそう告げた。
誰かに言われて追い出されるわけではない。それは本人の意思だった。そして、ワシーが説得しようとしても、その心は変わらなかった。もう決めたことだ、と、そればかり言っていた。
ちなみにまだ誰にもそのことは話していないとのことだ。
帰り道、ワシーは溜め息をついた。
エリカのことなど少しも大切に思っていなかったはずなのに、いざここから去ると告げられるとどうしてか切なさを感じてしまう。
自分を殺そうとした女に対してそんな感情を抱くなどおかしなことだ。そう思うのに、意識より下の深いところで、ワシーの胸中には暗雲が立ち込めていた。ただ切なく、ただ悲しい。訳もなくそういう感情を抱いてしまう。
(わたしも、愚かですな)
こんな時でさえ空は澄んでいる。
だがそれが余計に切なさや悲しさを掻き立てるのだ。
◆
「お疲れ様、アン」
扉を開けて廊下へ出たアンダーに付近で待っていたオイラーが声をかける。
よく晴れた昼下がりだった。
窓から入ってくる日射しは思わず目を細めそうになるほどの光量だ。
「三時間半くらいだろうか、長かったな」
「いっつもこんな感じ」
サルキアとの結婚という話が公に出て以降、アンダーは毎日のように会議に出ることを求められている。
会議とは名ばかり。
実質圧力をかける会である。
お偉いさんが多く参加するその会議はもはや尋問に近い。
アンダーは椅子に座らされたまま何時間もあれこれ尋ねられたり威圧的な言葉をかけられたりする。もちろん、その間は飲み物も食べ物も運動もなしだ。あからさまに攻撃はされないが、じりじりと肌を焼くような圧をかけられるので、アンダーからしてみればさりげなく疲れる時間だ。
だがアンダーは逃げも隠れもしない。
彼はそういう人間だった。
「もう少し早く終わると思っていたので密かに驚いていた」
「んじゃ待ってんなよ」
「いや、そういうことを言っているわけではない」
「じゃ何だ」
はー、と息を吐き出して、アンダーはオイラーへ視線を向ける――若干面倒臭そうに。
「長時間拘束されて疲れているのではないか?」
「まぁな、けどしゃーねぇ」
アンダーは歩きながら気ままに、うーん、と背伸びをした。
「やはり! そうだろうと思った!」
「んでそんな張りきってんだ」
嫌な予感しかしねぇ、と呟くアンダー。
「後で良いものを贈ろう」
「要らねぇ」
オイラーは柔らかな表情で左右それぞれの手をアンダーの肩にぽんと乗せるが、その手はアンダーにあっさり払われてしまった。
「な、なぜだ!?」
「びっくりしすぎだろ」
一瞬何とも言えない空気になって。
「……だが、そういうことはせめて、物を見てから言ってほしい」
少しばかり不満げな色を見せるオイラー。
「取り敢えず一度見てほしい」
子どものように主張する王を振り払うことそのものが面倒に感じたのか。
「分かった分かった」
アンダーは先に折れた。
「見るって。それでいーんだろ」
ようやく前向きな返事を貰えたことが嬉しかったオイラーは「ありがとう!」と発してその面に純粋な喜びの花を咲かせる。
そんなオイラーの分かりやすい表情変化を目にしたアンダーは思わず「子どもかよ」とこぼしていた。
「今回の贈り物はこれだ」
一旦オイラーの部屋へ戻った二人。
非常に張りきったような面持ちのオイラーが机の陰から取り出したのは花束――しかし綺麗な花や色鮮やかな花で作られた花束ではない。
ラッピングはパステルカラーで淡い愛らしさ。
一方で包まれている植物はやや物騒な見た目だ。
茎には無数の小さな棘。花は干からびた草のように茶色をしていて、花弁一枚一枚に灰色と紫色を混ぜたような色の毒々しいしみのような模様。そしてよく見れば花弁の表面にも茎と同じように微細な棘がついている。
「何だその変な花」
「そうなんだ! これは珍しい花。香りのリラックス効果が高いらしい!」
「ふーん……あんまそーは見えねぇけどなぁ」
冷めた表情を浮かべるアンダーとは対照的に、オイラーはまだワクワクしているような嬉しそうな顔をしている。
「それに、見た目も個性的で可愛いだろう?」
満面の笑みを向けられたアンダーは片手の手のひらを額に当てて、はぁ、と分かりやすく溜め息をつく。
「なんつーもん贈ろうとしてんだアンタ……」
癖の強すぎるプレゼント。
明らかに間違ったチョイス。
これまでにもそういうことはあったので驚きはしないものの呆れはするアンダーだった。




