120.とある日のエイヴェルン(1)
風が吹いて、紐にかけて干したシーツが軽やかに揺れる。
そして響く歌声。
天まで届きそうなのびやかさ。
声の主は、ティラナである。
ティラナはちょうど今シーツを干し終えたところだ。
そんな彼女が温かな視線を送る先にはジルゼッタと若い警備隊員たちがいる。
「では訓練を開始する」
若い青年たちの前に立ったジルゼッタが開始を告げれば。
「「「よろしくお願いします!」」」
青年たちは一斉に挨拶した。
ジルゼッタは最近警備隊の者たちの訓練に精を出している。
己を鍛えることが好きな彼女だ、仲間を鍛えることもまたそこそこ好きなのである。
夕焼け空のような長い髪を風になびかせながら訓練に打ち込むジルゼッタは内なる情熱を燃やしている――そんな彼女は凛々しさの中に熱さのある目をしている。
そんなジルゼッタの様子を見守りに来る者は日によって様々だが、基本的にはジルゼッタファンの女性たちやティラナが多い。他にも通りすがりのリッタやランが見に来ることもあるのだが、それは本当に、たまに、である。特にリッタなどは、ティラナの歌を聞きに来てついでに訓練も眺めている、という形でしかない。
「わぁぁんっ! 掃除もたついて遅刻ぅっ!」
「もう始まりますわよ」
「今日もかっこいいわね、ジルゼッタ様ったらぁ最高だわ」
相棒とも言える薙刀のような武器を手に戦闘訓練に勤しむジルゼッタは朝も夜も輝いていて、その静かでも活き活きとした表情に多くの者が魅了されている。
◆
サルキアとランはよく二人でお茶会を開く。
「本日の新作スイーツ、マカロンサンドです!」
そこで食べるお菓子を持ってくるのは大抵ランだ。
彼女は甘いものにも詳しかった。
それでいつしか甘いものを持ってくる係みたいになっていた。
「マカロン、サンド……」
シンプルなデザインの白い皿にちょこんと乗っているピンクのスイーツ。それはマカロンサンド。初恋を連想させるような色をしたマカロンで同じく愛らしいイメージの色をしたクリームを挟み込んでいる。
「とても可愛らしいですね」
「そう言っていただけるととても嬉しいです……! アイリーンさんが作ってくださいました」
マカロンサンドの上には腹を空に向けて寝転がるような格好をした動物の砂糖菓子が乗っている。
「この生き物は、ラッコですか?」
サルキアが尋ねるとランは驚いたように目を見開く。
「ご存知なのですか……!」
「はい。以前北方の国へ行った際、紹介を受けたことがあります。現在は少数になっているとのことで実物を拝見することはできませんでしたが」
「さすがサルキア様、博識ですね……!」
「いえ。詳しいわけではありません。ただ、拝見した写真がとても可愛らしかったので、記憶に残っていたのです」
マカロンサンドに寝転がるラッコの周囲には甘くて赤い木の実を乾燥させて砕いたものが数粒乗せられていて、それは宝石のように煌めいている。
「とても可愛らしいので少々食べづらいですね」
「あっ……も、申し訳ありません……」
「いえ、そうではなく。今のは否定しているわけではありません。むしろ褒めているつもりでした」
砂糖菓子のラッコはつぶらな瞳でサルキアをじっと見つめている。
「ではいただきます」
サルキアはマカロンサンドの一部をフォークで切り取りそのまま口へと運ぶ。
口腔内に入るや否やとろけるように広がる可憐な甘み。
恋の始まりのような匂いがする。
思わず言葉を失った。
あまりにも美味しかったからだ。
「サルキア様?」
顔を硬直させるサルキアに気づいたランは心配そうに視線を向ける。
「美味しい……」
暫し黙ってしまっていたサルキアだったが、やがて、ほぼ無意識で感想をこぼした。
どこか香ばしさを感じるマカロン生地と心地よい酸味を包み込む甘さが印象的なクリーム。
舌先に触れた瞬間の華やかさと咀嚼によって広がる奥深い味わいにはどこかギャップがある――もちろん、良い意味で。
一口だけでマカロンサンドという世界に引きずり込まれるかのようだった。
「アイリーンさんはお菓子作りもなさるのですね」
「そうのなのです……! 慎ましく静かな方ではありますが、多才な方で、わたくしも尊敬しております」
「同じくです。こんなに美味しいものを手作りなさるなど、驚きでしかありません。とても器用な方ですね」
サルキアの言葉にランは満面の笑み。
とても穏やかで、とても幸せな、そんな時間だ。
それから二人は未来と夢について語り合った。
「これからは貧困対策について考え、ゆくゆくは実際に手を付けたいと思っています」
「難しいテーマですね」
「私は多くを知りませんでした。しかしこの国には貧しさゆえの悲劇が多すぎます。貧富の差がなくなることはきっとないでしょう。けれども、せめてもう少しどうにかできれば、と」
サルキアが夢を自由に語れる場所は限られている。
公の場では不確かな未来のことなど気軽に語れはしないから。
「武装組織は一旦解散させられましたが、状況が変わらなければ、きっといずれまた同じようなことになるでしょう」
だからこそ、何でも語ることのできるこの場所は、彼女にとって非常に大切な場所なのだ。
「救済策があるだけでも少しは改善するのではないかと思うのです」
「それは……そうですね、わたくしもそう思います。選べる道がないことは犯罪に走る原因となるとも言えそうですので……」
「私はそういうことをしたいです。それは貧しい人々のためではありますが、同時に、未来のエイヴェルンのためでもある――そう考えています」




