119.澄んだ瞳で
ワシーとの話を終えたアンダーが退室すると、近くで立って待っていたサルキアは速やかに駆け寄る。
「どうでしたか?」
「ふつー」
サルキアはなんだかんだでまだアンダーのことを心配していたようだ、彼の顔を覗き込むようにして様子を窺う。
「また無礼な言葉を浴びせられたのでは?」
「んなことなかったって」
「本当ですか? 気を遣って隠す必要はないのですよ」
「隠してねーよ」
アンダーはにやりと笑う。
「なら良かったです」
どこかやんちゃさの残るその顔に、サルキアは何度でも想いを寄せるだろう。
◆
一通り関係者への報告が終わり、それから二週間ほどが経過して、婚約が決まったことを国民へお知らせする会見が行われた。
アンダーは前もってきちんとした言葉を話せるよう教育を受けた――これはサルキアの意向だが――それによりある程度整った言葉遣いをマスターした彼は、その成果を会見にて十分に発揮したのだった。
そうしてアンダーは一躍時の人となる。
民からの彼の印象はそれほど悪いものではなかった。
かつて地を這っていた鳥は長い時を経て天へ舞い上がる――。
それは、人々に希望をもたらす物語だ。
あの後、オイラーの強い希望もあり、サルキアを結婚後も王家に残す形を取るという話でまとまった。
これまでは王家の娘であっても結婚すると同時にそこから抜ける形となっていた。それが昔からの決まりだったのだ。
だがエイヴェルン王家も今や先細り状態。王となったオイラーとその妹であるサルキア以外に正式に王家の血を引く者はいない。加えて、オイラーに子ができるかどうかも定かでないといった状況。
それを名目に、サルキアを結婚後も王家に残す形を取ると決定したのだった。
前例のない決定ではあるが反発は少なかった。
それは恐らくサルキアのこれまでの貢献を皆が知っているからだろう。
サルキアはこれまで国のために熱心に働いてきた。王を支え、国のために働き、そうやって生きてきていた。だからこそ、結婚後も王家に残るという話になっても、醜く権力に縋りつく女、といった印象は抱かれなかったのだろう。
そういう意味では、これまでの彼女の頑張りが評価された、と言えるのではないだろうか。
◆
「すみません、アイリーンさん……無理を言ってしまって」
アイリーンが姉の墓へお参りに行くと言うので、ランはついてきてしまった。
だが、一人で向き合うのはきっと辛いだろう、と。
そう思うと放っておけなくて。
本当は同行するべきではないのかもしれない、なんて思いながらも、ランはアイリーンに同行することを選んでしまった。
そして今、彼女の隣を歩いている。
幸い墓のある場所は王城からあまり離れていないので王城から出てくることに問題はなかった。
「いえ。ですが、来ていただいて、本当に良かったのでしょうか……わたしとわたしの姉のことなど、ラン様には関係ないのでは」
申し訳なさそうな顔をするアイリーンに、ランは清らかな笑みを向けて「関係ありますよ」と返す。
「わたくしからもお姉様にお伝えしたいことがありますし」
「姉に?」
「はい。いつも大変お世話になっておりますので、そのことを、感謝を……お伝えできれば、と」
振り返ればアイリーンはあまり自分というものを出していなかった。
優秀な侍女だった。
けれどもそれ以上の彼女という人間を見せることはしなかった。
でも今回の件に関しては違う。
これはアイリーンという個人に関係する行動だ。
そういうものがようやく発生してきて嬉しかったランは、今とても張りきっている。
ランはアイリーンのことが好きだ。かつて温かく迎えてくれたことに、日々世話をしてくれていることに、感謝している。だからこそアイリーンという人間を詳しく知りたいと思うし、その想いを胸に置いてこれまで接し行動してきた。
アイリーンの奥深い部分に触れることは簡単ではなかったけれど。
でも、こうしてようやく彼女に触れられるようになってきて。
それは、無関係な人から見れば小さなことだとしてもランにとっては大きなことなのである。
「ラン、嬉しそう、良かった、ね」
アイリーンの隣を歩くランの背中にもたれかかるようにして歩いているのはリッタだ。
「リッちゃん、来てもらっちゃって……ごめんね?」
「ウウン」
リッタは歩きながら何度もその柔らかな頬をランのうなじ付近に擦りつけていた。
彼女はよくそういうことをする。
理由は誰も知らないが。
恐らくその行動に悪い理由はなく、きっと、好意を示す行動なのだろう。
「リッタ、ラン、ついていく。ずっと、一緒、家族」
ランといる時リッタは大抵ご機嫌だ。
眠そうな目もとに浮かんだ色は嬉しげな色である。
寒空の下、三人はアイリーンの姉の墓の前で祈る。
アイリーンはようやく向き合った。
その手で終わらせた命。
今は亡き大切だった人。
ずっと直視できなかったものに、今は目を向けることができる。
それはきっと新しい居場所を手に入れたからだろう。
アイリーンにとって唯一の存在であった姉が傷つき苦しみこの世を去って、彼女は独りだった。
父親は残されてはいたが、彼はアイリーンを大切に守ろうとはせず、むしろ駒として利用しようという考えが強く、ゆえに寄り添い合って生きられるわけでもなく。
笑顔の仮面で体裁を保つだけで中身などとうに凍り付いていた彼女を救ったのは、ランだった。
ランの想いが、情熱が、アイリーンを冷たい鎖から解き放ったのだ。
墓の前で座っていたアイリーンが立ち上がる。
「もう良いのですか?」
斜め後ろでしゃがみ込み、そこに眠る知らないけれど知っている人に心の中で挨拶をしていたラン。アイリーンが立ち上がったことに気づくと、すぐに口を開いた。
「はい、ここまでにします」
微笑むアイリーンの瞳は澄んでいて宝石みたいに綺麗だった。
「もっと……ゆっくりでも、大丈夫なのですよ……? わたくしには気を遣わないでください……!」
ランは気遣うけれど。
「十分です」
アイリーンはもうおしまいで構わないみたいだ。
「そうですか、分かりました。ではこの辺りで」
無理矢理ここに引き留める必要はない。
彼女自身が納得できていれば滞在時間など短くても長くても同じこと。
なのでランはアイリーンの言うことをそのまま受け止める。
「元気なアイリーンさんの姿を見られてお姉様はきっと喜んでいらっしゃると思います……!」
生きていれば時に悲しいこともあって、立ち止まってしまうことはあるけれど――それもまた永遠ではない。
時計の針は、いつかまた動き出す。




