118.親心に似た何か?
二人の夫人への報告を済ませたサルキアとアンダーは次なる目的地へ移動する。
会いに行くのはワシー。
だが、実際に対面する前から、サルキアの胸の内には心なしか重苦しい空気が流れていた。
なぜなら彼はずっと前からアンダーを良く思っていないところがあるからである。
アンダーが処刑回避のための進言をした時以降、接し方の毒々しさは若干ましにはなった。ワシーのアンダーへの態度は少しばかり軟化したのである。
だがだからといってワシーが貧しい出の人間を嫌っているという事実までが消えたわけではない。つまり、アンダーへの感情も、大幅に改善したわけではないということだ。
ゆえに、アンダーがサルキアと結婚するなんて話を耳にすれば、間違いなく怒るだろうし不快そうな顔をするだろう。
そんな事情で憂鬱さを抱えていたサルキアだったが――隣にいるアンダーから「ささっと終わらせよーぜ」と声をかけられたことで、じっくり話さなくても良いのだと思えるようになり、気が楽になった。
ワシーがいる部屋へ足を踏み入れる時、サルキアはもう憂鬱さの海からは上がっていた。
――そうよ、さっさと終わらせてしまえばいい。
澄んだ灰色の瞳を塗り潰す不安や憂鬱はすべて布で拭き取ってしまえばいい。
「突然のことで申し訳ありません」
「いえ」
迷いは要らない。
前だけを見据えていればそれでいい。
自分で自分に言い聞かせて、サルキアはワシーを真っ直ぐに見る。
「噂は耳にしておりますよ」
サルキアらを迎えるワシーは自ら話を振る。
「ご結婚されることとなられたとか?」
既に知っている、とでも言いたげに、ワシーは先に話を進める。
「……はい」
「で、お相手は?」
敢えてここで相手を聞くのが少しいやらしいな、なんて思いつつも、サルキアは「アンダーです」と答えた。
「それはそれは、驚きですな」
ワシーは言って、サルキアの斜め後ろに待機しているアンダーへと視線を向ける。棘のある視線を向けられていることに気づいたアンダーは、警戒心をはらんだ視線をワシーへと返す。
するとワシーは「身の程知らずが」と低い声で小さく放った。
棘のある低音。
だが言われた本人は特に何も言い返さない。
失礼な発言をされても聞こえなかったふりをできるところはさすがだ、と、サルキアは密かに尊敬の念を強める。
「しかしまたどうして? サルキア様であれば良い縁談もあったでしょうに」
ワシーに問われたサルキアは口もとに薄くも穏やかな笑みを滲ませる。
「ある意味自然な流れでした」
「……今、何と?」
彼女が滲ませた笑みは綺麗なものだ。
穢れのない、純真な、そんな微笑。
「自然な流れでした、と申し上げたのです」
「なるほどそうですかな。確かに、現代ではそういう形もあるのでしょうな」
柔らかな表情でさらりと返されたのが意外だったのか、ワシーは大人しくなってしまった。
それから少し経って。
「サルキア様、この後、少しその男と話をさせていただいてもよろしいですかな?」
ワシーがそんな提案をしてくる。
「失礼なことを言うつもりなのならお断りします」
「おっと。実に力強いですな。ですがご安心を、傷つけるようなことは言いません」
それでも躊躇うサルキアだったが、アンダーがその肩に手を乗せて「オレはいーぜ」と言った。
「それは受けてくださるということですな?」
「言いてーことあんならはっきり言え。後でごちゃごちゃ言われんのはめんどくせーからな」
心配そうな顔をするサルキアを安心させようとアンダーは口もとに笑みを浮かべる。
「だいじょーぶ」
短くもはっきりと言ってのけるアンダー。
表情を、目つきを、声を――その男の本質を見極めようとでもするかのように、ワシーは凝視している。
「心配すんな」
「そう言われましても心配なものは心配です」
「こんなでも子どもじゃねーし、それなりに上手くやるって」
「ですが……」
「いーから、気にすんな」
なんてことのないやり取りをワシーはじっと見ている。
「……本当に良いのですか?」
「オケ」
「そうですか。では私はこれで一旦出ます。ワシーさん、本日はお時間ありがとうございました」
アンダーからの言葉もあり納得したサルキアは素直に退室した。
高貴な人が部屋から出ていくや否やワシーが口を開く。
「分かっているのですかな?」
その声は低い。
「サルキア様の夫となるということは、そこらの一般女性を妻とすることとは大きく異なることなのですよ」
真面目そうな七三分け風前髪からは欠片ほども想像できないような、意図して相手に圧力をかけるような口調。
「責任が伴います」
「分かってるって」
「サルキア様に生涯仕える覚悟があるのですか?」
アンダーは重みのある目つきでワシーを見据えて「ある」と答えた。
「わたしは先代国王に仕えてきた人間です。ゆえに、直接的な接触はなくとも、長い間サルキア様を見守ってきました。だからこそ、あの方の夫となる男には、生半可な覚悟でその席に座ってほしくはないのです」
ワシーはワシーなりにサルキアのことを大切な存在であると捉えているのか、と、声から察するアンダー。
「その命を賭けて、何があろうともお護りするのです」
――それが貴い人の隣に立つ者の務めである。
真剣な面持ちのワシーはそう述べた。
「もしお前がその義務を放棄するようなことがあれば、処分しますからな」
「こえーなぁ」
「またそのようにふざけた発言を! ……念のため言っておきますが、本気ですからな」
まるで面倒臭い父親のようだ、なんて思いながらも、アンダーはそれなりに誠実に対応はする。
「んー、そだな。けど心配すんな。オレはお嬢のためにできることは全部やる。土下座だってするし、侮辱だって真顔で聞いてやる――てか、そーいうもんだろ? 敢えて言うまでもねぇ、当たり前だ」




