116.一生、だ。
歴代国王の墓への挨拶を済ませた二人は改めて動き出す。
もう引き返せはしない。
しかしそれでこそ人生とも言えるだろう。
まずは王城で働いている者たちの中でも特に重要な職に就いている者たちへそのことを伝える。
その報告にはオイラーも同行。
「な、なんという……」
「嘘じゃろ」
「え……や、ちょ、ええっ……? 何を冗談をぶっこんできておるのですか……?」
まさかの報告に誰もがかなり驚いていたが、サルキアのこともアンダーのことも大切にしている現国王がその場にいるということもあり否定的な言葉を発する者はほとんどいなかった。
もちろん中には慎重な意見を述べる者がいたことは事実だが。
それでも何とか話は進み、やがて、サルキアの意思を尊重するという方向性で一旦話がまとまった。
「すみません陛下、同行していただいてしまい」
「構わない。私も無関係ではないのでな。……それに、私は君たちの関係の後押しがしたいんだ」
「ありがとうございます、感謝します」
この国の頂に立つ者が肯定的に捉えてくれているというのは非常に大きい。
「アン、疲れていないか? 大丈夫か?」
「うるせーな。いちいちお節介なんだよ。こんくれーじゃ疲れねーよ」
「だがああいう人たちと会うと視線が痛いだろう?」
「や、慣れてっから」
一見すると非日常。
だが当人であるアンダーは平常時と何ら変わりのない様子で歩いている。
サルキアの手を取ることに最後の最後で思い悩んだ彼だが、いざ始まってしまえば後は波に乗るだけ、今はもう吹っ切れてすっかりいつも通りの彼に戻っている。
「この後はエリカさんのところへ行く予定だったな」
「はい」
オイラーは冷たい風が吹く通路を歩きつつ「さすがにそれは同行しない方が良さそうだな」と言って苦笑する。
「サルキア、アンと二人で大丈夫か?」
「はい。これは二人の問題でもありますし。……それに、私の母ですから」
真っ直ぐな眼差しを向けて述べるサルキアを見て、オイラーは深く頷く。
「そうか。では行ってきてくれ。くれぐれも、気をつけて」
「お気遣いに感謝します」
サルキアは丁寧に一礼する。
「アン、あとは頼む」
「おう」
一国の王女が結婚するといった方向を見据えるとなれば、それはとても大きな出来事だ。
その事実を耳にしたなら、誰もが一度は驚きの海へ突き落されることだろう。
オイラーとはそこで別れる。
サルキアはアンダーと二人になった。
だがやるべきことは終わっていない――否、むしろ、ここからが一つの大きな山場である。
「母はきっと余計なことを言ってくるとは思うのですが、どうかあまり気にしないでくださいね」
「あの女マジこえーからなぁ」
「不安ですか?」
「や、べつに。ぎゃーぎゃー喚かれんのには慣れてっから。不安とかはねーよ」
エリカは現在王城敷地内のすみにある小屋で生活している。
二人が向かったのはそこだ。
その小屋はこじんまりとしたもので、元国王の夫人である女性が暮らしているところとは到底思えない少々寂しげな建物である。
「よく来たな」
エリカはソファに座り紅茶を飲みながら二人を迎える。
その表情は温かなものではない。
だが一方で強く拒絶しているようなものでもなかった。
「いきなりすみません、お母様」
「鼠は護衛か?」
「いえ……実は、そうではないのです。大切なお話がありまして」
ほぼ仕事着と化しているサーモンピンクのパンツスーツを着用しているサルキアはエリカの向かいのソファに腰を下ろしているが、かなり緊張しているようでその表情は硬い。
母娘の関係が良好であったならここまで緊張しきってしまうこともなかったのだろう、なんて思いながらも、サルキアは何とか自力で己の心を奮い立たせて前を見る。
「アンダーと結婚します」
サルキアははっきりと言った。
瞬間、エリカはお茶を吹き出しそうになったが、何とか堪えて口の中にあった液体を呑み込んだ。
「……ふざけておるのか?」
「いえ、真剣に出した答えです」
エリカは目を大きく開く。サルキアにも遺伝している灰色の瞳には驚きが濃く映し出されている。前々から娘の気持ちには気づいていたエリカだが、これほどの急展開が待っているとはさすがに想像していなかったようだ。
「鼠めが、その身分でよく我が娘に手を出したものだ」
研いだ刃のような視線をアンダーへ注ぐエリカ。
「サルキアは王の子ぞ」
「分かってるって」
こんな時でもアンダーは相変わらずで、サルキアはハラハラしてしまう。
「不幸にゃしねーから」
「無礼者め」
「はは、知ってる」
アンダーはこれまでと変わらないノリで言葉を発するものだから、エリカははぁと溜め息をついた。
「サルキア、このような男と結ばれるとなれば道は険しいぞ。反対する者や悪く言う者もおるであろう。……それは理解しておるのか?」
エリカは改めて娘へ視線を向ける。
じっと見つめられたサルキアは凄まじい緊張の中でも揺らぐことのない心で「はい」と返事をした。
「では鼠よ」
空になったティーカップを白色のソーサーに置いて。
「ここで土下座せよ」
「やめてくださいお母様……!」
想定外の命令が飛び出して、思わず口を挟んでしまうサルキア。
「お主は黙っておれ」
「ですが……!」
「これはわらわとそやつの問題だ、お主は関係ない」
サルキアは眉頭を寄せる。
「高貴な娘の傍にいたいというのであれば、そのくらいできるであろう?」
「いーぜ、そんくらい」
にやりと笑みを浮かべるアンダー。
受けて立つと言わんばかりの表情だ。
焦ったサルキアは「アンダー! 馬鹿げた指示に従うことはありません!」と発するが、当のアンダーはエリカを見据えたままで「必要なんなら何だってする」と静かに返した。
そしてアンダーは何の躊躇いもなく額を床につける。
地面に伏せて、頭をこれ以上ないくらい下げて、一見屈辱的なような体勢だが――長い間生々しく見下されてきた彼からすれば、形だけの屈服など何てことはない。
欲しいものを手に入れるためならなおさらだ。
くだらないプライドなど元々持ってはいない。
そんなものを持って生きられるほど、彼の歩んできた道は生温い道ではなかった。
「ほう。本当にするか。さすがは地に這って生きてきた鼠よな」
そんなアンダーを見てエリカはどこか馬鹿にしたように笑う。
が、それから少し間があって。
「よかろう、好きにすればよい」
そんな風に発した。
サルキアは思わず驚いた顔をしてしまう。
なぜってエリカが発した言葉がまたしても想定外のものだったから。
「束の間の愛に生きるのも悪くはなかろう」
エリカは愛に生きた人だった。
その愛は非常に歪なものではあったけれど。
でも確かに夫を愛していた。
ゆえに壊れ、ゆえに悪へと突き進んだわけだが、その原動力もまた愛であった。
「ありがとうございます、お母様」
その時になってサルキアはようやく顔の筋肉のこわばりを解くことができた。
――そして帰りしな。
「ではな、サルキア」
「はい、失礼します」
母娘がそんな風になんてことのない別れの挨拶を交わした後。
「オレはアンタの娘を護る」
サルキアが先に退室し姿を消したところで、アンダーは改めてエリカに向かって頭を下げて。
「一生、だ」
そう誓ったのだった
対するエリカは、開いた扇子で口もとを隠しながら、その薄く紅の塗られた唇に試すような笑みを滲ませる。
「……ほう。では、楽しみに見させてもらうとしよう」




