115.私たちが手を取り合えば
「昨日の件、考えてくださっていますか?」
自然な流れで立ち話をすることとなったサルキアとアンダー、二人は冷たい風が吹く中で向かい合っている。
幸い、今はまだ日射しがある時間帯なので、屋外でじっとしていてもそこまで寒くはない。もっとも、これで日が落ちれば気温もぐっと下がり間違いなく寒さを感じるだろうが。
「アレ、マジで言ってんのか」
「もちろんです」
即答されて、アンダーは眉間にしわを寄せる。
「何でいちいちそんな険しい道行こうとすんだよアンタは」
その呟きはとても小さなものだった。
「私はただ私自身の心に従っているだけです」
「そーいう問題じゃねーだろ!」
アンダーは食い気味に発する。
「オレなんか選んでみろ、ぜってぇ周りからろくでもねぇこと言われんだよ」
圧をかけるような言い方をされても今さら動揺はしないサルキア。
「分かってはいます、この道は非常に険しい道であると」
今の彼女にはもう迷いはなかった。
「エイヴェルンの歴史において、王家の人間が家柄を持たない者と結婚した例はありません」
厳しさを伴う現実を述べる時でさえ。
彼女は静けさの中に強さをはらんだような目をしている。
「ですが、前例に倣うことがすべてとは思いません」
時には革新的なことも必要だ――サルキアはそう言った。
彼に出会う前の彼女ならきっとそんな風には思わなかっただろう。むしろ真逆の考えを持っていた可能性が高い。王家の伝統に刃を突き立てるようなことはできない、そう考えていたはずだ。
「……覚悟、してんだなアンタは」
「きっと反対する者もいるでしょう。ですが私の人生は私のものですから」
それに、と、続けるサルキア。
「貴方は何十年も国のために働いてきています。本来であれば皆がもっとその働きを認めるべきですし称賛すべきでしょう。国家への貢献度を考慮すれば、出自など些細なことでしかありません」
最後の一文字まで言いきったサルキアは澄んだ目でアンダーを見据える。
「私たちが手を取り合えば、エイヴェルンはきっと変わる」
「お嬢……」
「良い未来が待っていると思います」
目の前に差し出された手を握るだけだ。
それだけで大きな一歩を踏み出せる。
だがそれでも今もまだどこか躊躇いを抱えてしまうのは、生きてきた道ゆえか。
何もなかった。ずっとそうだ。諦めることで何とか生きてきた。何かを望んでも叶わなかった時に残念に思うだけ。それなら最初から望まない方が良い。そうやって息をしているうちに、いつしかそれが当たり前になっていた。何も欲さずとも生きていける。何も求めずとも明日は来る。
だがそれでも――。
「……そだな」
アンダーはようやく吹っ切れたようで、ずっと前から差し出されていた手を握る。
「よろしく」
彼は目の前の高貴な人の手を取り、そのまま深く頭を下げた。
――その時。
「やはりそういうことだったのか!?」
叫び声が突き抜ける。
声の主は茂みの陰から現れた男――他の誰よりも二人との関係が濃いオイラーであった。
「成立!? 成立なのか!?」
当事者以上に慌てている。
「盗み聞きとかマジやめろ……」
「す、すまない、アン。だがそうじゃないんだ。最初から盗み聞きするつもりだったわけではない」
アンダーに冷めた顔をされたオイラーはさらに狼狽える。
「本当なんだ! 信じてくれ! ただ、近くを通っていたら声が聞こえてきて、どうも深刻な話をしているようだったので心配でついじっくり聞いてしまい、結果こういうことに……」
民から偉大なる王と呼ばれている者とは到底思えないような慌てぶりである。
「すまない……」
「真面目過ぎんだろ」
しゅんとするオイラーを見て、アンダーは呆れたように口もとに笑みを浮かべた。
「だ、だが! サルキア、本当にアンと結婚するのか!?」
「はい、そのつもりです」
「そうか……そうなのか! これはめでたい! 非常に! すぐに皆に報告しよう!」
気が早く既に張りきっているオイラーを制止したいサルキアは「落ち着いてください陛下!」と大きめの声を放つ。
「いきなり発表なんてすれば大騒ぎになってしまいます」
「それはそうだろうな。驚かれはするだろう。だが発表は必要だろう?」
「確かにそれはそうですが、いきなりは問題です」
「そういうものか?」
「はい。そうです。何事にも順序というものがありますので」
サルキアはそこで視線をオイラーからアンダーへと移し「ですよね?」と同意を求める。アンダーは急に話を振られたことに戸惑いつつも即座に対応し「そーだな」と返す。
「ですが、そう言ってくださるということは、陛下は受け入れてくださるということですね?」
「それはもちろん!」
「陛下のご友人を奪うようで申し訳なくは思うのですが……」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ。むしろ嬉しい。なんせ、これでアンが私の義弟となるのだから」
オイラーが嬉しげに言えば、アンダーは何とも言えないとでも言いたげな面持ちで「そーだった……」とこぼした。
「とても素晴らしいことだ」
そう述べるオイラーはいつになく幸せそうな目をしていた。
きっとこれから歩む道にも障害は多くあるのだろう。
それでも味方がいないわけではないから。
たとえ時に反対されたとしても、その中で傷ついても、それでも何度でも立ち上がって絶対に諦めない自分でいよう。
そんなことを思うサルキア。
「ではこれからもよろしくお願いしますね、アンダー」
◆
サルキアがアンダーを連れて一番に向かったのは歴代国王が眠る王城近くの墓だった。
その墓は石で作られたものだ。それでいて背は高い。何ならその頂点は立っている時のオイラーの頭頂部より高い位置に至っているくらい。石を積んだだけと言えばその通りではあるのだが、立派にそびえ立つそれを目にするたびよくこれほど高く積んだなと感心してしまう。
その大きさを目にした際、アンダーは思わず「すげぇ」と呟いてしまっていた。
サルキアの父である先代国王も、その前の代の国王も、それより前の王たちも……かつてこの国のために生きた者の多くがそこに眠っている。
「でけぇなぁ」
「国王の墓ですからね」
「権力の象徴ってことか」
「ある意味そうとも言えますね」
苦笑するサルキア。
「けどよ、一番に来んのここで合ってんのか?」
「どういう意味ですか」
「歴代国王への挨拶もまぁ必要っちゃあ必要だろーが、生きてるやつに先に言ったほーが良かったんじゃねーか?」
黒髪が風になびく。
「私が、こうしたかったんです」
サルキアははっきりと言った。
「一番にここへ来たかった。それで、勇気を貰いたかった。だから先にここへ来ることを選んだのです」




