107.変わるものも変わらないものも
武装組織との戦いも落ち着き、王城に日常が戻ってきた。
なんてことのない日々。
その中でも様々なものが色を変えてゆく。
変わらないものもあり、変わるものもあり、と――それもまた日常だ。
サルキアが中庭近くの道を歩いていると中庭で弓を手にする者の姿を目撃する。柔らかな草木のような色をした髪。どこかミステリアスな雰囲気を漂わせるその人はリッタだった。
「リッタさん、こんにちは」
特別親しいわけではないが声をかけるサルキア。
「サルキア、様、コンニチハ」
直前まで果物の形をした的を見つめていたリッタが振り返る。
どことなく不思議な色をした瞳がサルキアを捉えた。
「弓の練習ですか?」
「狩り、練習、してる」
思ったよりワイルドな答えに驚きつつも、サルキアは硬くはない表情で「そうですか」と返した。
空気の冷たさとは対照的に温かさを与えてくれる日射しを受けて、リッタのそのふんわりした髪は新緑のような色に染まっている。
ちょうどそこへ、ランとアイリーンが現れた。
爆発事件で負傷したランだが今はもうほとんど治ったと言っても過言ではないほど健康な状態を取り戻している。
基本大人しい彼女だが生命力は高かった。
生まれ持ったものと思われる自然治癒力を活かし、みるみるうちに元通りになって、彼女はもう普通に歩くことができている。
「サルキア様……!」
親しい人の顔を見たランは嬉しそうな目をした。
「こんにちはランさん」
「どうして……リッちゃんと?」
「たまたま通りかかったので挨拶をしただけです」
「あ、そうだったのですね」
そこにあるのは穏やかな空気だ。
ランの背後に控えているアイリーンの表情も穏やかそのもの。
色々あったが彼女もまた今は平穏を取り戻している。
「それにしても、リッタさんは凄いですね。弓を扱うことができるなんて」
「はい……! リッちゃんはぼんやりしているように見えてとても器用なのです……!」
誰もが何かを抱えて生きている。ゆえに時に迷うことや間違うこともあるのだろう。だがそれでも道を正して歩んでゆけるのなら。きっと光溢れる人生という道へ戻ることもできるのだろう。たとえ過去は消えずとも。
「才能ですね」
「あと、石で貝殻を割ることも得意なのですよ」
「い、石で? 貝殻を? そうですか……」
「ふふ。ユニークですよね」
ランたちとすれ違い、サルキアは一人歩く。
けれどももう孤独ではない。
◆
ジルゼッタの父親であるヴィーゲン将軍は退院した。
息子が亡くなっていたこと。
娘が若い兵士たちから尊敬される存在となっていたこと。
そして、何よりも、国王が直々に武装組織との戦いを終わらせていたこと。
そのすべてが彼にとっては驚きであった。
だがそこは数多の修羅場を乗り越えてきた将軍、ちょっとやそっとで大慌てになるようなことはない――内心かなり驚いていても表向きは冷静に振る舞うことができるのだ。
やがてヴィーゲン将軍はエイヴェルン軍へ復帰。
ジルゼッタも、ティラナも、そして軍の者たちも、将軍の帰還を喜んでいた。
エネルギーを生み出す刑に処されていたワシーも近頃王城勤務に復帰している。
以前のようにがっつりの勤務にはまだ戻っていない。
地位は下がっているし数日に一日といったペースでの仕事となっている。
だがワシーの能力の高さは健在であった。
元より無能な男ではない。
心の闇が悪事に走らせただけで。
元来彼は有能な人物である。
戦闘能力は皆無だが、事務的な仕事であれば今も城内において右に出る者はいない。目立つ場所に立つ人物ではないけれど、根の部分を支えることには長けている。
ちなみに、あれ以来ワシーは娘アイリーンにそっけない態度を取られ続けている。
父娘の関係は明確に変わってしまった。
だが悪い面ばかりではない。
むしろ正しい関係性になったとも言えるだろう。
父は主人ではないし、娘は奴隷ではない。
◆
オイラーはエリカとの対面を望んだ。
その望みは比較的あっさりと叶えられる。
だがそれもそのはず。
王の希望となれば大抵周囲は速やかに準備するものである。
「エリカさん、一度貴方と話がしたいと思っていました」
ローテーブルを挟んで対峙する二人。
「わらわはお主が嫌いだ。ゆえに話すことはない」
「そう言われましても……何も話さないまま、というわけにはいきません」
「それで? 言いたいことがあるのであればさっさと言えばよい。ただし、くだらぬ話を長々とすることは避けよ」
エリカの瞳はサルキアの瞳と同じ色をしている、が、その中身はまったくもって異なっている――改めてそんなことをぼんやりと思うオイラー。
「私が城にいない間、色々協力してくださっていたそうで。話は聞きました。ありがとうございました」
オイラーは第一に礼を述べた。
「礼など要らぬ」
だがエリカはオイラーが発したお礼の言葉を受け入れない。
「言ったであろう? わらわはお主のことが好きでないと」
心ない言葉を発されて。
それでもオイラーは折れない。
「なぜそれほどに私のことが嫌いなのですか」
彼は真っ直ぐに問いを放って。
「第一夫人の子ゆえ、ですか」
さらにそう付け加えた。
返ってくる答えに優しさはきっとない。
毒をまとう華のような彼女が生温い言葉を発するとは考え難い。
だがそれでもオイラーは受け止める自信があった。
嫌われていると知っているからこそ、棘を投げつけられても痛くはない。
エリカはすぐには問いに答えなかった。
美しい花の色に染めた毒を塗ったような唇はすぐには開かれないまま時だけが流れてゆく。
そして、長い沈黙の、その先で。
「お主は母親に似ておるだろう」
エリカはようやく口を開く。
「お主と第一夫人だったあの女はよく似ておる――それゆえ、わらわはお主が嫌いなのだ」
……似ている?
オイラーは少しばかり困惑する。
母は武器を手に取る人ではなかった。
何なら真逆なくらいだ。
性格も、自分はあまり外向きではないが母はわりと外向きで他人と関わることに積極的なタイプである。
「母と似ている、とは、初めて言われました」
「しかしわらわには同じ類の人間に見える」
エリカがはっきりと言ってのけるものだから。
「失礼ですが……似ていると思われる点は、どこなのでしょう?」
オイラーはさらに詳しく質問した。
「敵意を抱いてくる者に対してであろうとも至って普通の関係であるかのように振る舞うところ――そこよな、似ておるのは」




