106.夜空の下、愛は走り出す。
生きて帰ってきてほしい、それだけが願いだった。
大切な人。
愛しい人。
想いはきっと永遠に一方通行。
ただ、それでも構わないと、むしろそれが当たり前の形だと、そう思っていた。
――だってこんな恋は実るはずがないのだもの。
「どう、して……」
サルキアは混乱していた。
目の前の男が発した言葉があまりにも想定外のものだったから。
それに、好き、なんて誰かから言われるのは初めてで。
だからこその戸惑いも大きい。
「どうしても何も言葉の通りだろ」
「いえ、その、言葉は分かります……しかし、貴方がどうして?」
夜の闇の中、サルキアは改めてアンダーへ目をやる。
「知らねーよ!」
「すみません」
サルキアがしゅんとするのを見るとさすがに申し訳なさを感じたようでアンダーは「……わりぃ、強く言い過ぎた」と呟くように謝る。
「マジで分かんねーんだよオレも。こんなん初めてだし」
アンダーはずり落ちそうになった膝にかけた上着を片手で元の位置へ戻す。
「けどよ、アンタ言ってくれたじゃん、好きって」
「はい。言いました」
「オレだけ黙ってんのは何かずりぃなって思ったから。……めーわくだったらごめんな」
塵を払う風が吹いて、震えるような冷たさが頬を撫でる。
なのになぜだろう。
今はその冷たさの中にあってそれでもなお胸が温かい。
サルキアはそんな不思議な感覚のただなかにあった。
「では『光る噴水祭り』へ一緒に行ってくださいますか?」
「まだ言ってんのかそれ!?」
「当然です、諦めてはいません」
敢えて冗談めかして、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「あの美しい光景を貴方と一緒に見られたら、きっと、とても……とても素敵だろうなと思うので」
そんな時は来ないと思っていた。でもそれで構わない、とも。個人としての幸せなど国の未来の前ではちっぽけなものだ、だからこそ、自分は国のために死ぬまで一人で生きてゆくものだと思い込んでいた。それが運命ならそれで構わない。変な意味ではなく、すべてを受け入れていた。
用意された台本に従って生きるはずだったサルキアの人生を書き換えたのは外の誰でもない彼だった。
「……アンダー、私、貴方に出会って良かったです」
見上げる空にはいくつもの星が煌めいている。
きっと一生手は届かないだろう。
その壮大な輝きには。
だが、すぐ傍にある愛しさという輝きになら、きっと触れることはできる。
サルキアは車椅子に座ったままのアンダーの背に腕を回す。抱き締める、そう言うにはぎこちない体勢で。腹を僅かに折り曲げて頭を前へ倒せば、重力に抗わず流れるゴールドの髪が彼の面に影と呼べるほどではない影を作る。
頬同士が触れることはないが、他人と言うには不自然なほど近い距離。
「好き」
祈りを捧ぐ聖女のように、サルキアはただ一言だけ発した。
ようやく想い実る場所へたどり着くことができた二人を祝福するように高い夜空を星が一つ駆けていたことには、誰も気づいていなかった。
ちなみに。
サルキアは、好きな人から好きと言われて驚き心乱されていたために、返そうと思って持ってきていたブレスレットを返しそびれてしまったことに別れてから気づいたのだが――それは、また別の話。
◆
サルキアと別れた後、アンダーは自力で車椅子を動かしオイラーの自室の前まで移動した。
いつものように慣れた方法で解錠しようとして、しかし上手くいかない。
以前とは違った体勢で、基本片手しか使えない状態で、これまで通りのことをするのは難しかった。
「アン、おかえり」
だが扉はすぐに開いた。
というのも気配を察知したオイラーが内側から開けてくれたのだった。
「その体勢では開けづらいだろう?」
「慣れてねーからな……」
「いつでも声をかけてくれ、気づきさえすればすぐに開ける」
オイラーはアンダーを自室内へと招き入れる。
深まる夜の中で穏やかな表情を崩さない王は「サルキアとは話せたのか?」とさらりと問いを放って、唯一無二の友が「ああ、言いてーことは言えた」と答えれば安堵したようにさらに頬を緩めた。
「なら良かった」
民からは偉大と称賛される一方でどこか幼さも残した王は嬉しげだった。
「君はこれから多くの幸せを知ることとなるだろう」
「大袈裟だなぁアンタは」
「まさか。大袈裟ではない。間違いなくそうなると確信しているし、君にはその権利がある」
ありふれた幸せを手にしないまま生きてきた親友。
環境にはある程度恵まれながらも一人でいることが多かった妹。
どちらもオイラーにとっては大切な存在だ。
だからこそ、その二人が仲良くなっていることは嬉しいことであり、おかげで今は未来に希望も抱ける。
「それで、関係は進んだのか?」
やたらと楽しそうなオイラーは夜中だというのににまにましている。
「いや分かんねぇ」
だが問いへの答えが想定外のものだったので。
「な、なぜ!? 言えなかったのか!?」
目玉が飛び出しそうな勢いで驚いていた。
「好きって言ったは言ったんだけどさ、関係が進んだかどうかって問われりゃあんまりかもしんねぇな、って」
「伝えた段階、ということか」
「そーいう感じだな」
「そ、そうか……だが、言えたのであれば良かった。本当に。……代わりに私から伝えなくてはならないなんてことにならず、本当に良かった」
駆けつけた時のアンダーは放っておいたらあの世へ逝ってしまいそうな雰囲気すらあった。だからこそ、今、オイラーはアンダーと共にあれることをとても嬉しく思っている。失いかけた命を救えたこと、それは彼にとって他のどんなことよりも嬉しいことなのだ。
「そーいやお嬢『光る噴水祭り』にまた誘ってきてたな」
何食わぬ顔でアンダーが言った、次の瞬間。
「素晴らしい!」
オイラーは大きな声を発した。
目を細め冷めた表情を浮かべながらアンダーは「何急に大声出してんだ」と冷静に突っ込みを入れる。そんな彼の肩に前から手を乗せるオイラー。いきなりの謎行動にアンダーが戸惑った顔をしていると、オイラーは手の位置はそのままで「それは名案だ!」とさらに言葉を飛ばした。
「そのイベントは大切な人と参加するのにもってこいだ」
「そーなのか?」
「ああ。確か『その光景を二人で見られた者たちは、結ばれ、永遠に幸せになる』などという言い伝えがあったような……記憶が曖昧ではあるが、聞いたことがある」
アンダーは口の中で「へー」と呟く。
「ぜひ行ってきてくれ!」
「何かめちゃくちゃ乗り気だな……」
思った以上にノリノリなオイラーを見て少しばかり呆れ笑いしてしまいそうになるアンダーだった。




