105.流れ星の行く先は。
オイラーが帰ってくる日が決まった。
そして、それはつまり、アンダーが戻ってくる日でもある。
その日サルキアは朝一番から張りきっていた。予定より三十分以上早く目が覚めてしまったほど。けれどもそれはある意味正常な感情でもある。ずっと会いたかった人にようやく会える日だ、いつも通りでない精神状態になるというのも当たり前と言えば当たり前である。
心が弾むと、表情も自然と明るくなるものだ。
まるで快晴の空のよう。
こんな日は瞳の奥底まで透き通っている。
約束の時間に約束の場所へ行って、二人を乗せた乗り物がやって来るのを待つ。
予定より早くその場所に到着してしまった。
それもまた嬉しさゆえだろう。
余分に待たなくてはならないこととなってしまうが、それすらも今は苦痛ではない。
思えば、先代国王が崩御し兄が王城へ戻ってくることとなった日も、こんな風に建物から出て彼の帰還を待っていた。
けれどもあの時とはまったく異なる心でサルキアはそこにいる。
あの時は未来への不安も多かった。
これから訪れる運命の輪郭の曖昧さに、言葉にできないような複雑な想いを抱えていた。
思い返せば思い返すほどに懐かしい――。
最善の道を選び歩んでこられたかどうかは分からないが、それでも、今はただ自分が選び進んできた道が最良のものであったと信じていたい。
待つことしばらく、一筋の風が吹き抜けて、馬車のような乗り物の前面が見えてきた。
着実に近づいてくるそれはサルキアが待つ地点へたどり着くと停止する――数十秒ほど間があって、片側の扉が開いた。
降車する影に迎えの彼女は深く頭を下げる。
やがてオイラーが姿を現すのだが、何やら降ろすべきものがあるようで、まだ何やら車内の方へ目をやっている。それからさらに数十秒ほどが経過して、ようやく、がたんという大きな音と共に何かを降車させた。
「久しぶりだな、サルキア」
オイラーはようやく挨拶をする。
「元気にしていたか?」
「はい」
軽く言葉を交わして。
「アンもきちんと連れてきている」
それから、とても誇らしそうに、先ほど頑張って降車させた車椅子に乗ったアンダーを披露する。
「……アンダー!」
思わずこぼすサルキア。
「よ。久しぶり。てかわりーな、何かこんなで」
重傷であると聞いていたため車椅子に乗っていることには驚かない。
むしろ椅子に座れる状態であるだけまだましだ。
きっと基地でしっかりと治療してもらったからこそ短期間でここまで回復したのだろう、なんて、そんな当たり前なことをつい考えてしまう。
嬉しいはずなのだ、愛しい人の顔を見ることができたのだから。
でも言葉が出ない。
彼の帰還をどれほど待ち望んでいたことか。
言語では表現できないほどに彼が戻ってくることを祈り続けていたというのに――今はなぜか上手く言葉を紡げなかった。
脳が思わぬ方向へ振りきってしまっている。
「おかえりなさい」
サルキアがすぐに発することができたのはそれだけだった。
ただ、それに対して「ただいま」とシンプルに返すアンダーが面に浮かべた良質なコットンのような表情を目にしたら、想いが少しは伝わっているような気がしないでもない。
「アン、さぁ言うんだ」
オイラーは期待した子どものような眼差しをアンダーに向けている。
「はぁ?」
「告げるのだろう、想いを!」
「マジやめろ」
「伝えたいことは少しでも早く伝えるべきだ!」
「うぜぇって」
変わらない二人のやりとりに安堵するサルキア。
きっと向こうにいた間にも色々なことがあっただろう。良いことも悪いこともすべて含めて。けれども二人の関係は負の方向へ変わりはしなかったようで、それは、彼女にとってさりげなく非常に嬉しいことだった。
「なぜ言わない?」
「今じゃねーっつってんだろ!」
幼獣がじゃれ合うようなオイラーとアンダーをサルキアは微笑ましく思いながら見守る。
「お嬢」
言い合いが一旦落ち着くと、真正面に立っているサルキアへ目をやるアンダー。
「オイラーは護った。……文句ねーな?」
嫌みと冗談の境界線を撫でるその雰囲気が懐かしくて、サルキアは思わず呆れ笑いをしてしまう。
「相変わらずですね」
「と言いつつ、最後ちょこっと離脱しちまったけどな」
「文句なんてないですよ」
「そりゃどーも」
「陛下がご無事で、貴方も生きて帰ってきてくれたのですから、それ以上私から求めることなどありません」
その後三人は王城へ向かった。
◆
その日の晩、オイラーの計らいでアンダーと二人になることができたサルキアは王城の最上階にあるバルコニーへ向かった。
エイヴェルンの街を一望でき、無限に広がる夜空を見上げることもできる――そんな場所だ。
「さみぃ」
「すみません、もう少し厚手のものを掛けてきた方が良かったですね」
アンダーは車椅子に座っている。膝にはサルキアの部屋にあった上着を防寒のため一応掛けているのだが、風が吹くと肌寒いようで、彼は顔を少しばかり赤くしていた。
夜のバルコニーが寒いことなど行くまでもなく分かることだ。
だがそれでもここへ来ることを拒否しなかったのは、アンダーにはアンダーなりの想いがあったからなのだろう。
「いや、気にすんな」
「大丈夫ですか?」
固定された右腕を包む白いものは夜の闇によく映える。
戦いの傷痕は確かにそこに刻まれているが、それは同時に、彼が生き延びたという証明でもある。
「アンタこそ風邪引くんじゃねーぞ」
「ありがとうございます」
あの時とは真逆の心で、サルキアはアンダーに向き合えた。
「大変でしたね、色々」
「んーまぁな」
「兄を護ってくださって、ありがとうございました」
純粋に礼を述べるサルキアを見たアンダーは少しばかり気まずそうに「けどよ、最後の最後で逆にオレが護られちまったからなぁ……めちゃくちゃかっこわりぃ」と一息で言いきる。
それに対しサルキアは首を横に振った。
「かっこ悪いだなんて、そんなこと、あるわけがないじゃないですか」
「けどこのざまだ」
「懸命に戦って、傷ついて、それがかっこ悪いことなのなら戦闘職に就きたがる人なんていなくなってしまいます」
そこで会話は途切れた。
今は静寂に佇む二人をいつの間にか冷たくなった夜空だけが見下ろしている。
音は一つもない。
星は煌めいているけれど。
「なぁ、お嬢」
長い静寂の果てに。
「言いたいことあんだけど」
彼はそう切り出して。
「何でしょう?」
きょとんとしてしまうサルキア。
「……笑うなよ」
「はい。もちろんです」
そこでようやく二人の視線が重なる。
一度躊躇った。
だがすぐに息を吸う。
そして。
「アンタが好きだ」
彼はようやく、秘めた想いを口にした。
「いつからかとかは分かんねぇけど……多分、ずっと前から」




