99.ずっと親友でいてほしい
ベッドに寝かされていたアンダーが意識を取り戻したのは基地へ連れ帰られてから一日半以上経った後のことであった。
瞼を開いた彼はベッドの脇に設置された椅子に腰掛けながら見守っているオイラーに気づくとまだ眠そうな目をしながら何か言いたげに唇を動かそうとする。
だがそれより先にオイラーが口を開いた。
「アン! 目が覚めたのか!」
雨上がり、空から晴れやかな日射しが降り注ぐ、その光に似た表情。
「……ああ」
アンダーは小さく返して。
「……オレ、負けたんだな」
動かない身体に現実を突きつけられるように、どこか切なげな顔をする。
「君は生き延びた、それだけで勝利だ」
オイラーはすかさずそう言葉を発した。
「あの男は君を追い詰めたかもしれないが、結局、この世から去ることとなった。たとえ戦闘を有利に進めていたとしても死んでしまえば何の意味もない。生きていなければ勝ったとは言えない、だろう?」
そんな風に主張するオイラーだが、アンダーは「そーいう気遣いマジで要らねぇ」と少々棘のある調子で呟く。
「……終わったな」
静かにそう吐き出して、目を閉じる。
「さっさと処分すりゃいーのに」
彼がそう呟いたのをオイラーは聞き逃さない。
「なんということを言うんだ」
「戦えねーやつ置いてても意味ねーだろ」
アンダーが死なずに済んだことを純粋に喜んでいたからこそ、オイラーはショックだった。
心配していた心。
大切にしたいという想い。
そのすべてが崩されてゆくかのようで、辛い。
だが、今は本人の方がずっと辛いのだろうと想像して、オイラーは丁寧な対応を心掛ける。
「戦いしか能のねぇオレみたいなんは戦えなくなった時点で終わってんだ」
「そんなことはない」
「オレが存在許されてたのは戦えたからで、それが欠けたら誰もオレの存在なんて認めねーだろーよ」
それでも耐えきれなくなって。
「やめてくれ、アン……」
思わず俯き声を震わせてしまう。
「確かに君は強いが、それが君のすべてというわけではない」
「相変わらずあめぇなぁ」
「戦いだけが君の価値ではないはずだ」
「オレはそれ以外何も持ってねーよ」
はっきり言われて、心が潰されそうになる。
「それはアンタも知ってんだろ」
オイラーは、アンダーの命さえ助かれば以前と何も違わない日々が戻ってくると思っていた。怪我の治療に日はかかるとしても、だ。また、これまでのように、なんてことのない日々が帰ってくると。当たり前のようにそう考えていた。
だが甘かった。
男が傷つけたのはアンダーの肉体だけではなかった――そのことに気づいても、オイラーは、相応しい言葉をかけることはできないままだ。
オイラーが落ち込んでいるとアンダーはいつも声をかけてくれた。それにオイラーがどれだけ励まされてきたことか。思い悩む時や辛い時ほど誰かが傍にいてくれることが嬉しかったし、アンダーなりの不器用でも優しさをはらんだ言葉にたびたび勇気を貰ってきた。
なのに今、自分は気の利いたことを一つも言えなくて。
ずっと支えられてきたのに肝心な時に支えられないことが、胸の内に黒ずんだ色を塗り広げる。
「……アン、すまない。今の私は……君にかけられる言葉を持っていない」
それでも何か言わなくてはと必死になって捻り出す。
「だが、私は君の良いところをたくさん知っている」
溺れかけてもがいている人間のように。
「だからいなくならないでほしい」
相応しい言葉なんて分からなくて、それでも、目の前の友を手放したくなくて。
「ずっと親友でいてほしい」
溢れた想いは自然に口からこぼれ落ちる。
最初はそうだったのかもしれない。
戦いの強さを得て初めてアンダーという人間の価値が世に認められたのかもしれない。
だが今はもうそれだけではない、と、オイラーは迷いなく言える。
もっとも、それをここで言葉にすることが最善の道か否かは判断できないのだが。
「私も、サルキアだってそうだ、君を必要としている」
するとアンダーは辛うじて動かせる左腕を乗せて顔を隠した。
暫し静寂があって。
その先で。
「……はは、マジで余計なことばっかすんなぁアンタ」
少しばかり鼻声になった彼は。
「未練持たせんなよ」
愚痴を言うようなニュアンスで呟く。
「ホントはさ、最期まで……隣で戦えりゃ良かったんだけどな」
アンダーは気づいていないのだ、自身が良い意味でどれほどのことをしてきたのか。
らしくなく悲しそうな彼を見つめながらオイラーは密かに思う。
アンダーは戦うことだけが自分にできることだと思っているのだろう。
けれども本当は違う。
周囲にとってアンダーは戦うためだけの駒ではない。たとえ昔はそうだったとしても、彼はもうそういう存在ではなくなっている。
ただの駒なら誰も愛さない。
称賛することはあるかもしれないが、それ以上の感情を向けることはないだろう。
「アン、ありがとう。君にそう言ってもらえてとても嬉しく思う。だがもう大丈夫だ。君にたくさんのものを貰って、私は強くなれた。これからはその力を手に戦おう」
一息で言いきって、オイラーは「それならある意味君と共に戦っているとも言えるだろう?」とほんのり冗談めかす。
するとアンダーは呆れたような乾燥した笑いを口もとに薄く浮かべて「何か上手く言った風だな、くだらねぇ」と返した。
二人の包む空気がほんの少しだけ柔らかくなる。
「ところで治療の成果は出ているのか?」
緊張していたのがふわりと解けて、オイラーはようやく話題を次に進めることができた。
「んー、まだあんまねーな」
「そうか……だが、治癒魔法をかけてもらっているのだろう?」
「そだな」
「君自身も元々回復は早い方だし、きっと、あっという間に治るだろう。私はそう信じている」
アンダーはさらに呆れたように「期待すんなて」と短く発する。
「オレもまぁまぁ年だからな……若い時ほどすぐには治んねーかも……」
「まだ三十代前半じゃないか」
「いやマジで、昔の方が治りも早かったわ」
なぜか唐突に年寄り風発言を繰り返すアンダーをオイラーは微笑ましく見守る。
これなら大丈夫そうだ。
きっと傷ついた心もすぐに治る。
そう確信できたからこそ、前向きに考えられるようになってきた。
――それから数日が経った、早朝。
「アン、今日は最後の戦いの日だ」
オイラーは起床すると一番にアンダーのもとへ向かった。
「朝はえぇなぁ」
「準備が色々とあるのでな、早めに起きておいた」
今日この戦いが終わればきっとすべてが一旦解決へと向かう。
だからこそオイラーは張りきっている。
ここを通り過ぎればまた平穏を取り戻せる、それがとても楽しみで。
「で、何すんだ?」
「武装組織の基地に総攻撃だ」
「なるほどなぁ」
戦いである以上危険は伴うものだ。
それゆえ多少は怖さもある。
だが国王として周囲にそんな弱さを見せるわけにはいかないし、一国の主である以上おどおどしているわけにはいかない。
「組織との戦いに決着をつけるにはそれが一番早いという話になったんだ」
「そーかよ。……かなり思いきったな」
はぁ、と息を吐き出して、それからアンダーは左手で作った拳を差し出す。
「ま、頑張れ」
オイラーは差し出された拳に自身も拳を作って応じる。
「アンタならできる」
たった一つ、アンダーはそれだけ告げた。
「ありがとう。最高の贈り物だ」
真面目なオイラーは礼を述べて、受け取った励ましを心の奥にしまった。




