第52話 迷宮の扉、真実の香
書庫の奥、沈香と蜜蠟、甘い花の香が漂う。月光が書棚の隙間を縫い、机の上の香灰を淡く照らす。リンは指先で香灰をなぞり、残り香の微細な変化を嗅ぎ分ける。
「……これが核心か」
香木の出納帳、香炉使用記録、女官や宦官の動きのメモ。すべてが線となり、迷宮の構造が浮かび上がる。香の組成、時間、残り香の微妙な揺らぎ――心理を操るために計算され尽くしている。
「でも、計算され尽くしていても、読めるものは読める」
奥の棚で微かに影が動く。リンは息を殺す。囁き声が書庫の静寂を切り裂く。
「君がここまで読み解くとは思わなかった」
低く抑えた声。影が月光の中に輪郭を浮かべる。宦官の姿だが、後宮の知識と権力を兼ね備えた異例の存在だ。
「あなたが守ろうとした秘密……すべて、香と心理の仕掛けに隠されていた」
影は香炉の煙を指先で撫で、微笑む。
「正確だ。君の観察力と知識は、後宮の誰も真似できない」
リンは机の香灰をじっと見つめる。
「でも、私は理解した。核心は、香だけじゃない。人の欲望、恐怖、秘密――それが迷宮の本質。そして、それを隠すための香だった」
影は微笑んだまま沈黙し、やがて書庫の闇に溶ける。香だけが空気に漂い残り、リンの心を締めつける。
「迷宮の扉……開ける」
リンは深呼吸し、香灰を指でつまみ、分析したすべての情報を整理する。心理、香の揮発、後宮の人々の行動パターン……迷宮の出口は見えた。あとは行動に移すだけだ。
「次の一歩で、秘密は明らかになる」
月光に照らされた書庫の机で、リンの瞳は静かに、しかし確固たる光を帯びていた。香の迷宮の核心、その扉は、今まさに開かれようとしていた。




