第41話:星見の間にて
「……もう一度、聞かせてほしい。ヨウ様が“最後に向かった場所”を」
調査記録に目を落としたまま、リンは問う。
正面の男──尚書付きの宦官、フウが、少しだけ目を伏せた。
「星見の間、です。夜に、ひとりで」
「記録では“誰にも知られず”とありますが、どうしてあなたはそれを知っているんです?」
「それは……私が、ついていったからです」
一瞬、空気がきしむような気がした。
「命令に反して、彼女を追ったんですね」
「はい。ですが、私にはそれが“命令”でした。……ヨウ様ご自身の」
言い切る声には、迷いがなかった。
リンは帳面を閉じると、少しだけ身を乗り出した。
「なぜヨウ様は、星見の間へ?」
「“香の起源”を確かめるためです」
フウはまっすぐリンを見る。
「蝶香も、星香も、“最初に焚かれた場所”がある。──星見の間です」
言い伝えでは、星見の間は“未来を見る香”が焚かれた部屋だった。
だが実際は、違った。
「……過去を見る香、ね」
リンの独り言に、フウがうなずいた。
「ヨウ様は、その香を使って、ある人物の“記憶”を再現しようとしていました」
「ある人物?」
「──玉葉妃です」
再び、空気が冷える。
玉葉妃は、皇帝に寵愛された妃でありながら、五年前に急死した。死因は“脳の病”。
だが、当時の医官の記録には、不自然な“香刺激過多”という一文が残っている。
「……ヨウ様は妃の最期を疑っていた」
「それは、どこから?」
「妃の侍女──“ミエ”の証言からです」
リンは、思わず視線を上げた。
「生きているの? ミエは」
「はい。ただし“公には死んだこと”になっています。……ヨウ様の手配で、匿われたのです」
香と毒にまつわる秘密を抱えていた妃。その側仕えが“死んだことにされた”。
その意味は一つ──口封じから逃がした。
「その侍女の証言は?」
「妃は亡くなる直前、“香の匂いが変わった”と、何度も訴えていたそうです。まるで誰かの記憶が流れ込んでくるようだと」
リンは唇を引き結んだ。
──香が記憶を混ぜた。
それは、蝶香の“本来の用途”では?
「星見の間で、ヨウ様は……何を見たの?」
フウは視線を落とす。
「……それは、私も知りません。ヨウ様は戻ると、ひとことだけ言いました。“この香は、誰も救わない”と」
そして、その夜を最後に姿を消した。
「記憶の中で、誰かの痛みをなぞったのかもしれない」
リンの声は、ごくかすかだった。
その痛みを知ったからこそ、ヨウは沈黙を選んだ。誰にも話さず、ただ記録だけを残した。
「……星見の間に、案内してもらえますか?」
「危険です」
「記憶の香を、今も誰かが焚いてるの?」
「ええ。星見の間は、今も密かに使われています。“未来を見る”という名目で」
それはつまり、“皇族の未来を整えるために、誰かの過去を弄っている”ということだ。
「私が見たいのは、未来じゃない。過去の真実です」
フウが微かに微笑んだ。
「あなたは、あの方と似ておられる」
「そう言われると、複雑ですね」
リンは席を立った。
室の外には、乾いた風が吹いていた。どこかで香炉の蓋が落ちた音がした。
誰かの記憶が、また煙となって、王宮を満たす。
リンはその中を、足音を立てずに歩いてゆく。
星見の間への道は、思っていたよりも暗く、そして静かだった。
完結済みにしておきます。




