第24話:禁書が語る、最初の沈黙
一
禁書庫の奥、古びた石棚の最下段――。
そこには一冊だけ、他の本とは異なる“金糸の綴じ目”で閉じられた本があった。
火災の記録簿でも、処刑台の台帳でもない。表紙には、ただ一文字。
《黙》
「これは……?」
リンが手を伸ばしかけたその時、誰かの声が背後から降った。
「それに触れてはならぬ」
振り返ると、そこには、王国筆頭宦官・洛匡がいた。
年老いたその男は、衣の裾を音もなく引きずりながら、ゆっくりと近づいてきた。
二
「その本は“開けぬこと”が王命であり、我々の沈黙の原点だ」
洛匡はそう言いながら、リンの手元の本にそっと手を重ねた。
「けれど、わたしはもう、長くはない。……開けなさい。おまえの目で、最後の真実を見よ」
静かな命令だった。
リンは、金糸をほどいた。
ぱらり、と開かれた最初の頁には、誰の名も記されていない。
ただ、その書き出しにはこうあった。
《第一王女・星潤〈せいじゅん〉、民に知を与えんとし、王命により斬首――》
読み進めるごとに、リンの喉は乾いていった。
かつて、“知識の解放”を求めて動いた姫がいた。
疫病の処置、傷の洗浄、食事の保存――それらを民に分け与えたことで、“王家の神秘”が軽んじられたとされ、処刑されたのだった。
「……それが、最初の沈黙」
洛匡は頷いた。
「真実を語ることは、時に国を壊す。ゆえに、王家は“語らぬ者”を作り出した」
三
「だがな、娘よ。そなたは違う」
洛匡の目が、じっとリンを見据えた。
「そなたは、“語れぬ者”を見つけ、記す者だ。そなたが記せば、それは“処罰”ではなく、“証言”になる」
リンは息を呑んだ。
沈黙の王女。仮面の継承者。火で口を焼かれた証人。
そのすべてが、“語られなかった真実”の名もなき記録。
「……わたしは、書きます」
言葉が震えていた。それでも、はっきりと口にした。
「王家が“沈黙”に託した罪と、その犠牲を」
四
書庫に戻ったリンは、紙と筆を取る。
けれど彼女の前に現れたのは、意外な人物だった。
王太子の側仕え・蒼隼。
「君が書くと聞いて、止めに来たんだ」
「……命じられて?」
「違う。自分の意志で」
蒼隼の声には、どこか哀しみが混じっていた。
「君が記せば、国の仕組みそのものが揺らぐ。沈黙の王女の処刑記録は、誰も知らない方がよかったかもしれない」
「でもそれは、“誰にとって”ですか?」
リンは静かに言った。
「沈黙を命じられた人々にとって? 語ることを禁じられた演者たちにとって?」
「……」
「それとも、“真実が語られると困る人たち”にとって?」
その言葉に、蒼隼は目を伏せた。
そして、短く言った。
「ならば、僕も見届けよう。君が書くその記録を、最初から最後まで」
五
夜、書庫の蝋燭の灯りの下で、リンの筆が走る。
一文字ずつ、静かに。
そこに書かれるのは、誰の名前でもなく、誰に対する非難でもない。
ただ、沈黙の中で命を奪われた者たちの「痕跡」。
言葉にされなかった“記憶”そのもの。
筆の音だけが、夜の書庫に響いていた。




