第14話:封印の地へ
封書記録に記されていた地図は、王宮の正式な地図には存在しない“余白”に、小さく赤い点を記していた。
その場所は、王都の北西――**禁苑**と呼ばれる、かつて王家の霊廟として使われた山地だった。
百年近く誰も立ち入っていないその場所には、かつて星見の巫女たちが祈祷を捧げたという、封じられた「洞」が存在するという。
「やっぱり、あんた一人で行く気だったのね」
リリィは、リンの荷物から地図を抜き取って言った。
「こういうとき、一人で突っ走るのが、リンらしいといえばらしいけど。だけど、もう“あの頃”とは違うんだから。今のあんたは“宮廷書司”。命を賭けていい存在になってしまったのよ」
「……自覚はある。でも、知ってしまった。なら、見に行くしかない」
「だったら、私も行くわ。薬師として、護衛として。どうせ止めても無駄なんでしょう?」
「……ありがとう、リリィ」
かつては書庫番と薬草係だった二人が、今や王国の命運に関わる“調査”へと向かう。
馬車も兵も使わず、ただ旅装のまま、日の出前に城を発った。
禁苑の入口は、すでに崩れかけた鳥居と、枯れた祠がぽつんと残っているのみ。
苔むした石段を登りながら、リンは懐から巻物を取り出した。
「この先に、“星降りの窟”がある。文献によれば、そこが最後の“門”」
「封印って……人が作ったものなのかしら」
「……いえ。“災厄”は自然の理に近い。でも、それを封じるために“理を欺く知識”が使われた。つまり“言葉の力”」
「呪術?」
「もっと原始的な、“名前”による縛りよ」
そう、名を与えること――それが、存在を縛る最古の呪。
それを失った存在が、“顔のない女”となった可能性がある。
やがて霧が深まり、森の奥で、獣のような低い唸りが響いた。
「……何?」
「これは……“声なき存在”の圧。夢で感じたのと同じ」
目指す洞窟の前には、奇妙な光景が広がっていた。
大地に埋もれたような巨石が、半ば地面から顔を覗かせ、その表面には、かつて書庫で見た星紋と同じ、七芒星の刻印が浮かんでいた。
その周囲には、人の手で作られたとは思えない石碑がいくつも立ち、いずれも表面が焼け爛れ、文字が読めない。
「ここが……?」
「ええ、“星降りの窟”の入口。封印の中心」
洞窟の入口には、まるで意志を持つかのような風が吹き出しており、中からはかすかな音が聞こえる――誰かが「囁いている」。
リンは深呼吸し、懐から小さな水晶のペンダントを取り出した。
それは、第二王子の病を調べたとき、蒼玉石の副反応として見つかった“記憶共鳴石”。
「この石を持って入れば、“声”と繋がれる。けれど同時に、“自分の記憶”を差し出すことになる」
リリィは言った。
「……行きましょう。私たち、ここまで来たんだから」
洞窟の中は、外よりも温かく、湿った空気とともに、古代語の断片が浮かんでは消えていた。
『門は開かれ、名は巡る……』
『忘却は解かれ、声は形を得る……』
──そして、最奥。
そこには、かつての“巫女たち”の像が、七体並んでいた。
だが、最後の一体は、首から上が“空白”のままだった。
「……顔が、ない」
「“あの女”……」
そのとき、洞の奥から響く声。
≪ようやく来たのね、“門を開く者”よ≫
意識がぶれた。視界が染まり、再び“夢”が始まる。
赤黒い空の下、七体の巫女の影が、うごめいていた。
そしてその中央に、あの“顔のない女”が現れる。
≪選びなさい。名を呼ぶか、封を閉じるか≫
「私は……」
リンは、記憶の奥底にある“原初の言語”を思い出していた。
それは、巫女たちが使っていた“真名の言葉”。
やがて、唇がひとつの音を紡いだ。
「――ナアレ・ユル=セリエ」
その瞬間、洞窟が震えた。像の顔が現れ、“女”が微笑む。
≪……ようやく、私は私になれた。名を持ち、言葉を与えられた≫
巫女の像の瞳が輝き、洞窟の奥に眠っていた“封印”が、静かに消えていく。
しかし、同時に、リンの膝が崩れた。
「リン!」
リリィが駆け寄る。
≪その代償は、“記憶”だ≫
女の声が、最後に響いた。
≪私の代わりに、あなたが“忘れる”のだ≫
リンの瞳が虚ろになる。
けれど、口元には微笑があった。
「大丈夫……私は……“私の名”を、まだ覚えてるから……」
その声と共に、洞窟の空気が清浄になる。
“災厄の第一の封印”は、静かに解かれたのだった。




