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薄明かりの書庫番  作者: 朝陽 澄
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第10話:終わりと始まりの兆し

第二王子アレンが完全に回復し、王宮は活気を取り戻していた。彼の元気な姿は、王国の安定と、何よりもリンの功績を雄弁に物語っていた。リンは「宮廷書司」という新たな位を得て、以前とは比べ物にならないほど多忙な日々を送るようになっていた。


書庫での仕事は増えたが、その質は以前とは大きく変わった。雑務の合間に、王室の蔵書全般の管理や、特に重要な古文書の解読、そして新たな知識の収集という、自身の能力を存分に活かせる職務が加わったのだ。


新しい執務室は、以前の書庫番の休憩所よりも遥かに広く、窓からは王宮の庭園が見渡せた。上質な木材でできた大きな机には、様々な言語の古文書や、最新の報告書が積まれている。典薬局のリリィも昇進し、リンの執務室を訪れては、薬草や病理学に関する議論を交わすようになった。


「この間、東の交易商人が持ち込んだという薬草だが、やはりこの古文書にある**『夜明けの雫』**の記述に酷似しているわね。効果も同じようだし」


リリィが、リンが解読したばかりの異国の薬草図鑑と、実物の薬草を比較しながら言った。リンは頷く。


「ええ。効能は素晴らしいですが、同時に強い毒性も秘めている。使用には細心の注意が必要です」


知識が、単なる書物の文字から、現実の王宮の運営に役立つ生きた情報へと変わっていく。それが、リンにとっては何よりの喜びだった。宮廷医師団も、当初の反発はどこへやら、今ではリンの知識を頼りに、様々な助言を求めるようになっていた。彼らの目には、もはや侮蔑の色はなく、純粋な好奇心と尊敬が宿っていた。


しかし、リンの心には、まだ拭いきれない影があった。


第二王子の病は治った。それは「土壌の澱み」という、古文書に記された「災厄」の予兆の一つを打ち破ったに過ぎない。古文書は、こう警告していたのだ。


『浄化の儀は一時的な安寧をもたらすも、真の澱みが大地に根差せば、更なる災厄が訪れる。それは、病に始まり、大地を枯らし、空を曇らせ、やがて人々の心まで蝕むだろう』


リンは、執務室の窓から広がる、青々とした庭園を見つめた。空は、王子の病が発る前のような重い曇天ではなく、薄い雲の切れ間から、柔らかな光が差し込んでいる。しかし、その光景も、古文書の記述に重ねると、どこか儚げに見えた。


(「真の澱み」……それは、一体何なのだろう?)


第二王子の病の原因は、彼の寝室にあった蒼玉石だった。しかし、古文書が示す「真の澱み」とは、特定の場所にある鉱物などという単純なものではないはずだ。それは、より根源的な、この王国、あるいは大地そのものに巣食う、何かであるように思えた。


その夜、リンは新しい制服を脱ぎ、慣れ親しんだ煤と埃の匂いが染み付いた、古びた書庫へ一人で足を運んだ。新しい執務室も良いが、やはりここが一番落ち着く。ランプの微かな光を頼りに、彼女はサイラス帝国の古文書を再び開いた。


最終ページに記された、複雑な紋様と、古の言語で綴られた最後の数行。

それは、「災厄」の真の姿と、それを完全に打ち破るための、より深遠な知識への手がかりを示唆していた。


『大地が嘆き、天空が血を流す時、古の星が目覚め、真の知識が開かれるだろう。然れども、その代償は大ききこと、覚悟せよ』


「古の星」とは何か。「真の知識」とは? そして「大きな代償」とは、何を意味するのか。


リンは、書物を閉じ、静かに目を閉じた。彼女は知ってしまった。王子の病は序章に過ぎず、この王国には、まだ見えない、より大きな危機が迫っていることを。


王宮に満ちる安堵の空気とは裏腹に、リンの胸には、新たな使命感が深く刻まれていた。彼女はもう、ただの書庫番ではない。古の知識を読み解き、真実を追い求める「宮廷書司」だ。


第二王子の回復は、希望の光だった。しかし、それは同時に、リンが避けられない、壮大な「災厄」へと向かう、新たな旅の始まりでもあったのだ。薄明かりに包まれた書庫で、リンは静かに、その始まりの兆しを感じていた。

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