088 「要塞戦開始」
・竜歴二九〇四年六月十一日
「やはり東側にきたか」
「敵の事前の布陣が丸見えでしたし、備えは十分です」
総軍司令官の大隈大将の独白に近い言葉に、側にいた総軍参謀長の北上中将が言添える。そして二人が話すように、タルタリア陸軍はアキツ軍が守備する大黒竜山脈の山岳要塞への総攻撃を開始した。
要塞は、北西から南東へ伸びる谷間を挟んで、谷の東側と南側に広がっていた。そして谷の奥に鉄道の終着点があり、そこから双方に引き込み線も敷かれている。
その引き込み線は、かなりが隧道となって要塞内部にまで続いている。さらに簡易的な軽便鉄道が細部へと続き、小型の手押し貨車、蒸気式の昇降機などで人や物資の移動ができた。
それはまるで生き物の血管のようであり、事実要塞を支える物流の大動脈となっていた。
そして肉体である要塞には優に10万を超える兵力が既に配置につき、タルタリア軍を迎撃するべく待ち構えていた。
アキツ陸軍・大黒竜山脈山岳要塞守備隊
総軍司令官:大隅大将
総軍参謀長:北上中将
要塞守備軍:(司令官:飛騨中将)
第1師団、第11師団
要塞砲兵旅団(6個大隊)
第4軍(増援):(司令官:涼月中将)
第9師団、第7師団、第14師団
※第14師団は増援。7月に到着予定。
以上のような戦力であり、一部がまだ移動中で現状は歩兵4個師団を基幹としている。
各師団に所属する騎兵は平原に派遣しているが、その代わり砲兵が要塞砲兵という形で強化されている。
「北上君、火力は十分だろうな」
「砲門数、備蓄弾薬共に問題ありません」
大隈の問いに天狗の女性である北上が断言する。見た目は天狗らしく不老の若さだが、怜悧で知的な印象を持っている。また彼女は、天狗の中でも優美な耳を持つと言われていた。
「各師団2個大隊の野砲大隊に加えて、重砲兵など6個大隊。合計14個大隊。各砲兵大隊は18門の口径75ミリメートル以上の大砲を装備し、総数252門が展開してます」
「改めて聞くと凄い数だな。昔では考えられん」
「はい。西方では歩兵直協の軽砲を配備する実験も始まっていると言いますが、2個大隊編成は西方世界でも一般的で十分な火力です」
「移動が面倒な大型の各種砲を装備する要塞砲兵の重砲兵が加わるぶんだけ、通常の編成よりも強力だしな」
「はい。さらに要塞守備の為に、近距離で歩兵用の散弾を放つなどする50ミリメートル口径程度の小型の大砲が、要塞各所に多数配備されています」
「臼砲もかなりあるだろ。あれは重いし用途も限られるから、要塞戦でしか使えんがな」
「はい。短射程ながら山なりの弾道は、陣地破壊には最適です。タルタリア軍も多数持ち込んでいる事でしょう」
「なに、こっちは要塞。遮蔽も防御も万全だ。そうだろう?」
「はい。完成には至っておりませんが、問題ないかと」
他の参謀なども近くにいるので、聞かせる為に二人は話し続ける。
もっとも、誰もが要塞の防御力に不安は持っていなかった。
アキツ陸軍に属する多々羅の凝り性ゆえか、砲撃されない尾根の裏側への配置はもちろん、強固な掩体壕に入れた砲座も多く建設されている。
野戦で一般的な、野ざらしの場所に展開するような事は一切ない。
加えてアキツなど魔法が盛んな国特有の、固定の幻影魔術を用いた高度な偽装もしている。
この為タルタリア軍は、初期の目視観測で要塞の砲は少ないと判断していた。また、欺瞞の幻影により露出した大砲も少なくないと判断もしている。
なお、要塞の東と南の区画は、それぞれ中核部分は幅6キロメートル、奥行き3キロメートル程度。主防衛陣地は一線だが、前衛陣地、後方陣地などでかなりの深さがあった。
南側の方が山の広がり具合から大きいが、建設された要塞の規模自体はほぼ同じとなっている。
それぞれの要塞群の間は、最大で2キロメートルほど。そこは谷間で、奥に山を越えて平原へと抜けるこの地域唯一の鉄道が通っている。
そして、真ん中を突っ切って2キロメートルほど奥にある鉄道駅を押さえてしまえば、要塞の補給を断つことができる。何より、要塞を南と東に分断する事もできる。
逆に、要塞の奥、山の合間の谷間にある鉄道駅を占領しない限り、巨大な山岳要塞を攻め落とす事は出来ない。
そして守備側も、当然分断の危険を考えて要塞陣地を構築していた。特に谷間に入る手前は、多くの火力、兵力が集中するようになっている。
この谷間に入る事は、砲弾を弾く能力でもない限り自殺行為で、陣地を構築したアキツ陸軍は一度に10万の兵が濁流のように突進してきても阻止できる自信を持っていた。
要塞自体が、鳥が翼を広げたような陣形とも言える。
その両翼が、麓の要塞前哨陣地から見て、東側と南側にある要塞陣地群になる。
そのような要塞自体は、多数の堡塁と呼ばれる近代的な城もしくは陣地を中核として構築されていた。
堡塁とは、銃や大砲に対応した防御力を有する強固な陣地を指す。複数設置され、それぞれ連携できるように構成される事が多いが、1つでも小型の要塞や出城のような存在だった。
この時代の堡塁は、近代の技術を用いた鉄と混凝土で構築された強固な陣地で、多くの砲座、銃座を有していた。そしてこの山岳要塞の堡塁は一つの城のようなものなので、それぞれが指揮所、観測所、兵舎や弾薬庫が設置された。
また、激しい砲撃などを受けた時に兵士達が用いる掩蔽陣地、砲撃を受けても移動可能な交通路などから構成されている。
周囲を空堀で囲んだ堡塁自体も、地下の隧道で他と繋がっていた。
そして何より、頑丈な塹壕や交通壕によって複数の堡塁や砲座、各種陣地が有機的に結合、構成されていた。
堡塁などの各陣地は互いを支援しあえるように設置され、1つに攻撃が集中しても周りからの支援により敵を撃退できるようになっている。
このような堡塁を中核とした城塞は、西方世界では鉄砲、大砲が日常的に戦場で使われるようになった300年ほど前に誕生。アキツでも、鉄砲、大砲が普及した同時期の戦国時代の末期に原型となる城砦が登場している。
そしてその後、鉄砲、大砲など兵器の発展と共に進化した。
加えてアキツの堡塁は、自分たちが用いる魔法にも対応させたものとなっていた。
もっとも、堡塁を複数持つ大型の要塞を建設するには、莫大な予算が必要で手間暇もかかる。
そのため代替手段も開発された。
比較的最近では、有刺鉄線と多銃身機関砲と射程距離が大幅に伸びた小銃という進歩した火力と掛け合わせる方法がそれだ。
これだけで十分な防御力が発揮できる簡易的な陣地が構築できるようになり、竜歴2900年に入る頃には建設に金と手間暇がかかる堡塁は廃れつつあった。
特に平野部の堡塁は、主に鉄道による軍隊の機動性、補給能力の大幅な向上で迂回される可能性が高まった。
この為、戦略的価値の高い重要な交通の要衝や、孤立した拠点の防衛のような場合にのみ建設されるようになっている。
そしてアキツが建設した山岳要塞は、他に回り道がない点において手間と予算を投じてでも建設する価値があった。
一方、山岳要塞を攻撃せざるを得ないタルタリア軍だが、単に攻撃する以外に問題があった。
アキツが、意図的に自勢力圏内での鉄道敷設を怠っていたからだ。
タルタリアが国内で東へと伸ばしてきた大陸横断鉄道と、アキツ勢力圏内の黒竜地域の鉄道が連結されていないのがその象徴だ。
しかも山間部から240キロメートルも、鉄道は存在していなかった。
この為侵攻を開始したタルタリアは、自国領内から山岳要塞までの鉄道を自らの手で構築しなければ、巨大な軍隊を維持し、さらには軍事行動を行わせる事が難しかった。
なお、タルタリア国境から山岳要塞まで移動時間は、軍隊の移動距離だと10日。馬車でも6日から7日程度かかる。
開戦前から資材などの準備を行い、凄まじい勢いで鉄道敷設工事が行われているが、開戦から2ヶ月では道半ば。
そして敷設が進むまで、タルタリア陸軍は国境から最前線の要塞前面までの補給路を、全て馬車で維持しなければならなかった。
現状での輸送は昔と変わらない無数の馬車で行われていたが、これも前線に投入される軍隊が増えたら破綻する輸送力でしかなかった。
そして山岳要塞の向こうにある鉄道以外に他の鉄道をアキツは敷設していないので、山脈の先にある黒竜地域主要部の平原地帯へと進撃する為には、何があっても山岳要塞を攻略しなければならなかった。
横たわる山脈は巨大で、北東から南西にかけて500キロメートル近くも横たわっていた。そしてそのほぼ中間点に鉄道が通せる唯一の大きな谷間があり、そこにアキツ軍の山岳要塞があったからだ。
しかもタルタリア軍には、別の制約があった。
アキツ軍が軍の動員を本格化させ要塞に大量に配備する前に、何としても突破する必要があった。そうしなければ、最初の障害である要塞より前に進めなくなる可能性が高いと判断されていた。
そのような状況下のタルタリア陸軍、極東遠征軍の6月時点での陣容が以下のようになる。
極東遠征軍
総司令官:アントン・カーラ元帥
総参謀長:ディミトリ・クレスタ上級大将
サハ第一軍司令官:レオニード・キンダ大将
総兵力
8個狙撃兵師団(歩兵師団)
1個騎兵師団(実質旅団規模に減少)
2個直轄砲兵大隊 (他を含めた砲兵大隊の総数は各師団合計で18個)
後方警備に2個師団
2個歩兵師団、1個騎兵師団が移動中。1ヶ月以内に戦闘加入予定
以上の戦力を、2個歩兵師団ごとに軍団という上位の戦略単位でまとめていた。軍団はアキツ陸軍の「軍」に相当する戦略単位になる。
単純な戦力比較だと、アキツ陸軍に対してタルタリア陸軍は5割程度の優位にあった。
しかしそれは、要塞という要素を考えない平原での戦いの場合で、両軍共にその事をよく理解していた。
10月からは、今までの週3更新から、週2更新に減らす予定です。
よろしくお願いいたします。




