040 「移動準備」
・竜歴二九〇四年三月某日
アキツ本土での冬が終わろうとする頃、アキツ軍は『演習』の準備に忙しかった。
基本的には、タルタリアとの戦争は今年の夏に起きる可能性が高い予測されていたので、示威や牽制と今後に備える目的で、自らの勢力圏の黒竜地域で大きな演習をしておこうというのが目的だった。
だが一部の者は、『演習』の為の部隊と物資の移動に疑問を抱いていた。
しかしそれを行なっている兵部省と陸軍は、もはや一部で疑われても仕方ないと考えている。もっとも、情報収集がまだまだ難しい時代なので、他国に詳細が知られる可能性自体が低いからこその考え方でもあった。
だが本音は、規模が大きすぎるのに対して、人手が足りなさすぎて機密保持や隠蔽どころではなかった。
軍の文官の根城の兵部省と陸軍の中枢である参謀本部は、この二ヶ月ほど不夜城と化していた。
「忙しいのに、何しにきた」
「たまに息抜きの一つもしないとやってられん」
美丈夫の青鬼の言葉を強面の赤鬼が返しつつ、部屋にある応接用の革張りの長椅子に大雑把な仕草で大きな体を沈める。
それに「お茶を」と従兵に命じて、奥の執務机を離れた青鬼が赤鬼の前へと無造作に座り込む。その疲れた仕草からも、忙しいのが真実だと知れた。
無限の体力があると言われる大鬼だが、連日連夜の書類仕事は心身に堪える証拠だ。
「いい匂いだな。これが噂の新しい焙じ茶か」
「珈琲だ。それより大隅、本当に何をしにきた?」
「叢雲さんのお使いだよ。周防参謀総長閣下」
「兵部卿の? 実戦部隊を預かるお前が? それよりお前、演習軍と遠征軍の双方の移動準備は? 山を越えたとは聞いたが」
「当座のぶんは越えた。それになあ、現状では大将の俺は執務室でふんぞり返って、判子を押す以外に仕事がない。暇だからと参謀連中の仕事を見に行ったりしてみろ、部下を萎縮させかねん」
「その顔だからな」
「悪かったな。鬼瓦で」
悪態を吐きつつも、二人とも小さく笑みを交わし合う。
大鬼の肌の色は『五色』などと言われるように何種類かあり、肌の色で一族や部族的な分け方をする。だが二人は武士の時代からの友人であり、変革以後の近代化の際の軍大学でも同期で学んでいた。
それ以上に、様々な場所で共に戦った戦友だった。
共に100歳を超えるが、成人年齢に種族の差はない。つまり80年以上も大人をしてきた事になる。それでも長い寿命を持つ大鬼としては、まだ青年と言える若さだった。だが天狗ほどでないにしても不老、老けないので、年齢不詳と見られる事が多い。
だから疲れていても若々しさがある。
「ああ、悪い。こっちも忙しい。それで兵部卿はなんと?」
「まだ表には出ないが、民間の全面協力、というより事実上の動員が政府、軍との間で決まった。目ざとい連中は、随分前から動き始めているがな」
「そんな話もあったが、荷物運びの傭人の手配が楽になりそうだな。それで、どこの大店だ? まだアキツ中の全部ってわけじゃないだろ」
「叢雲さん、というか兵部省は、最終的には国全体の総動員すら考えている。ただ、聞いた話を鵜呑みすると、国はとんでもない散財をする羽目になる」
「我が国には他国の商人がいない。大店は大喜びしそうだな」
「どうなんだろうな。だがまあ俺としては、前線が弾と飯で不自由しないなら何でも構わん」
「前線のお前はそうだろうな。こっちは作戦立案で、まだそこまで考えが及ばないよ」
「俺としては及んで欲しいがな。叢雲さんも、作戦は情報と兵站の次に考えてて欲しいと、ここのゲルマン風のやり方をぼやいてたぞ」
「……お前もそうなのか、周防?」
「ん? 今、言っただろ。弾と飯で不自由しない戦が出来るなら、何でも構わん。相手がどこだろうと、幾らでも悪戦してやる」
「弾と飯の算段を考えずに作戦を立てるな、という事か」
「そこまでは言わん。それに弾と飯で不自由しない戦が一番難しいという事くらい、知っているつもりだ」
「お前は分裂戦争にも行っていたな」
「見物だけなら、姿を偽って世界中歩き回ったからな。大東国、極西、西方、色々行った。今度の黒竜も、前に一度行ったから今回俺が総大将に選ばれたんだしな」
「総大将ではなく総軍司令官だ。それより、もう動いている大店は『東西南北』のどこだ?」
『東西南北』とは、アキツの巨大な勢力圏に君臨する大店。近代風に言えば国にも匹敵する力を持つ大財閥、もしくは巨大な企業集団という事になる。
巨大な資本力でアキツの経済を支えると同時に、国よりも強い影響力を持つとすら言われる。
それぞれの財閥が東西南北を財閥名の中に持つので、いつしかそう呼ばれるようになっていた。
その名は、龍東 虎西 南鳳、北玄。
どこも古い昔に源流を持つと言われているが、それを知るすべはない。もしかしたら伝説級に生き永らえている大天狗なら知っているかもしれないが、長く生きすぎてもう忘れているかもしれない。
ただ、数千年前からアキツの水面下で活動し続けていると一部では噂されていた。
その一方で全てが嘘で、実際はどこも大した歴史は持っていないという噂もあった。
またこの4つの大店には、特に近代に入ってからは分かりやすい特徴があった。それぞれ中心となる支配一族の種族が違う事、自らの名前に含まれる方位の海外市場に強い事。この二つだ。
龍東財閥は、支配一族が大鬼で大陸東南域と大東国。
虎西財閥は、支配一族が獣人で極西大陸。
南鳳財閥は、支配一族が天狗で南天地域。
北玄財閥は、支配一族が多々羅で北氷州と黒竜地域。
また南鳳財閥と北玄財閥は、西方などに同種族がいる優位を活かして情報収集と海外貿易を行い、莫大な利益をあげていた。
一方で、天下泰平の時代に最も栄えていた龍東財閥は、近代に入り落ち目と言われ、実際に4つの大財閥の末席となっていた。
虎西財閥は、広大な極西の開発と40年ほど前の分裂戦争で極西に勢力を大きく拡大していたが、極西に力を入れすぎてアキツ本国で力を失いつつあった。
そして龍歴2900年前後だと、南鳳財閥と北玄財閥がアキツで一番を競い合っている。ただし商業・流通に強い南鳳、製造業に強い北玄という風に得意分野が別れていた。
更に言えば、南鳳財閥と北玄財閥は歴史的と言われるほど仲が悪く、何かと張り合ってもいた。
この二つの関係が、アキツにおいては天狗と多々羅の仲が悪いという俗説の大元だとすら言われている。
「一番に動き出したのは南鳳だ。まあ、当然だろうな」
「確かに聞くまでもなかったか。貿易に強く大商船団を有し、情報収集能力に長けている。それに政治にも強いからな」
「あと海軍へのコネが強い。昔は龍東がこういうのは得意だったんだが、あそこの現総帥が耄碌したのに、まだ後進に席を譲らんからな」
「300近いんじゃなかったか?」
「もう100年は生きると息巻いているらしい。なにせ南鳳の総支配人の方がずっと長生きだから、対抗心が強いんだそうだ」
「南鳳の総支配人は、大天狗という噂もある大きな魔力を持つ天狗だ。しかもおとぎ話の昔から続く名門貴族。武士上がりの大鬼が歳で敵う筈ないだろ。そりゃあ、落ち目にもなるか」
「軍人の俺たちから見てもそうなんだから、商売や政治の世界ではもはや常識らしいぞ」
「……お前、妙に詳しくなったな。兵部卿の受け売りか?」
少し探るような目線を青鬼で美丈夫の周防が送ると、いかにも大鬼といった風体の大隅がニヤリと笑みを返す。
「ある程度はな。なにせ俺の戦争は今回で終い。終われば一度退く歳だ。だから武張ってばかりでなく、次の働き口を探しておかねばならんというわけだ。世知辛い話だろ」
「フフッ。なるほどな。まあ、俺は軍の後は政治に行くつもりだから、その時は後援を頼むよ」
「任せろ。とは言え、まずは目の前の戦だ」
「勝たねば先がないからな。で、大きく動いている大店は南鳳だけか? 北玄は? 黒竜の開発はあそこが力を入れているだろ」
「黒竜の開発、鉄道、道路の敷設、その他諸々は馬力をあげて進めている。政府も軍も矢の催促だ。だから手が足りず、動けなくなっている。あそこは上が多々羅で、凝り性だからな」
「だが港から先は、黒竜鉄道が頼りというわけか。本当に北玄は絡まないのか?」
「その黒竜鉄道がもう取り掛かってる。あそこは半ば国有だから、財閥では手が出しにくい。鉄道以外と海運に力を入れる南鳳が正しいよ」
「鉄道以外? というと、『浮舟』か」
「ああ、もう先行量産も始めている。古の天狗の知識を紐解いたそうだ。実際がどうかは知らんがな」
誰も聞いていないのに、二人して声を潜める。
『浮舟』がそうするだけの価値を持つという事だった。
「『浮舟』に関して兵部卿はどう動いてる?」
「太政官の縄張りで手が出せない。ただ、一つだけ搦め手が使える。それが叢雲さんの今日の本題だ」
そう言ってから一気に珈琲の残りを飲み干した大隈は、周防に視線を据える。
「聞こうか?」
「構えなくてもいい。軍隊の中に太政官直轄があるだろ」
「蛭子衆か。俺がコネを持つから、そこから突けと?」
「そうだ。あそこに装備させ、更に軍が蛭子衆を借り受ける。そこからは戦時という事で、なし崩しに軍全体に導入だ。南鳳が貴族のコネで官民双方を牛耳る動きを見せているから、最低でも楔だけでも打ち込んでおきたい」
「という事は、すぐに動くべきか。しかし財閥が動いているとなると、使えるという事だな。あれは」
「叢雲さんはお忍びで実物が動くのを見たそうだが、『浮舟』は軍にこそ必要だそうだ。それに、同じ席で南鳳の総支配人も見に来ていた」
「そうか。他に動いているところは?」
「開発、製造は、皇立魔導研究所、皇立魔導器工廠が共に動いている。というか、この二つが太政官の命令で随分前からこっそり解析や開発をしていたらしい。そして南鳳の工場で量産の手筈だ。あそこは術者の技師も多いからな」
「神祇省は関わってないのか? あの白狐は? 古文書や古いものは、だいたいあそこが出どころだろう」
「そこまでは知らん。だが総帥が獣人の虎西財閥が動いてないか、動きが鈍い。関わってないだろう。中心は恐らく太政官その人だ」
「白峰直々ね。それに南鳳だから、大天狗の秘儀ということか。……よしっ。早速動こう」
「頼む。俺は来月には黒竜に渡る。それと蛭子衆の先遣隊は、今月中にはタルタリアの国境まで移動する手筈だ」
「そうなると、蛭子衆には間に合わんぞ」
「後から増強させればよかろう。所詮は乗り物だ」
「『浮舟』が乗り物ねえ。世界の常識をひっくり返すかもしれないんだぞ」
「空は竜だけのもの、か? 数千年前、先史文明華やかなりし頃、人は空を自由に飛び、月どころか他の星まで行ったと記録に残されているんだったか」
「我々も、只人と違って飛べるじゃないか」
「それは跳ねると言うんだ。まだ、空を自在に飛べるのは竜だけだ」
「違いない」




