022 「事務仕事」
・竜歴二九〇三年十二月一日
竜歴2903年もあとひと月、12月に入った。
甲斐たちは長めの休暇を終えて軍務に戻り、皇立魔導学園を半ば根城にしている金剛との手合わせも、休日の日曜日だけとなった。
神話の時代からアキツも含めて世界共通で1週間の区切りがあり、曜日始めの日曜日は休日と考えられている。
そして平日の甲斐達は、通常時は部隊を率いる立場で軍務に追われる。それも主に事務に追われた。
甲斐は将校であり、将校の仕事は部下を指揮し、統率し、命令を下し、命じた事に対して責任を取る。だが一番多い仕事は、戦う事ではなく、訓練を監督する事でもなく、事務だった。
だからこそ休日や暇な時に、自身の鍛錬を行う習性が身についたとすら言えた。
なお、時代と共に国の組織、軍の組織は、時代の進歩、規模や組織の拡大などに伴って複雑になり、必然的に事務、書類仕事が増えた。
紙の普及と低価格化も書類仕事が増えた原因かもしれないが、組織の巨大化こそが事務を増やしてきた。
アキツでも、古代から貴族の仕事といえば事務だった。極端に言えば、文字と数字は記録を残し伝える事よりも、事務処理の為に使われてきた。
天下泰平の時代になると、戦国時代に荒れ狂った武家社会を支える者たちの大半も、官吏(官僚)と大して違わず日々事務に追われるようになる。巨大な魔力を持っていても、違いはなかった。
軍事に携わる者も例外ではない。軍隊も一種の巨大な官僚組織だからだ。
竜歴29世紀に入り、近代科学文明が押し寄せて以後も、事務は増え続けていた。
直接戦う以前に、組織が複雑化し、巨大化した。扱う物資の量、種類が増え、戦える状態にする為に行う業務が増えた。
上に立つ者、指揮する者には正確な情報の把握が必要で、全てに命令を伝え円滑に運用する為にも様々な手順が必要だからだ。
そして巨大化した政府組織であるから、何かを行うには書類や帳簿が必要となる。もはや、書類や帳簿が無ければ何も出来ないと言える組織になっていた。
銃や大砲、魔法より、書類や帳簿の方が必須だった。
あまりにも仕事量が増えていくので、軍の一部では軍隊における後方での活動を統括する組織や部署、専門教育の部門を作ろうという動きがあったほどだ。
主に軍隊では、それを主計などと呼んだ。
ただし、軍隊における後方での活動を広義には「兵站」に含めるが、突き詰めると前線の軍隊を健全に活動させる為の全ての活動が兵站に含まれかねないので、他の省庁から牽制されていた。
近代国家の軍隊はそれほど巨大かつ複雑で、維持、運営する為に事務が必要だった。
何しろ、単に必要な弾薬や食料などの物資を、輸送、補給するだけではない。兵器など運用する全てのものの整備、修理、保守管理、兵士への衣食住の提供、兵士の衛生管理、補給の為に使われる輸送路の確保、使われる施設の構築と維持など、様々な事が必要とされる。
そしてそれだけでなく、様々物資を調達し生産する事も兵站に含まれる場合がある。それに兵士を徴兵して訓練するのも兵を整えるという点では兵站の場合があるし、必要な場所に配置、展開する事までも兵站に含まれる。
要するに「やる事が多すぎる」た。
しかもそれが巨大組織となれば、国そのものが支えなくてはならなくなる。
列強と呼ばれる近代国家の軍隊がどれほど巨大かといえば、軍隊に属する兵員数を例に上げることができる。
列強の一角であるアキツの場合、平時、つまり戦争をしていない通常の状態のアキツ陸軍は、本国軍だけで25万名の兵を抱えている。
25万名といえば、この時代の大都市に匹敵する人数だ。
その上アキツには、陸軍とは別に巨大な規模の海軍があり、さらに各勢力圏を守備する軍隊(自治軍、植民地軍など)も陸軍とは実質的に別扱いだった。
しかも大規模な戦争になると、100万を優に超える者が軍人や軍属として所属する計画になっていた。
そして有事に備え、平時から準備と言わないまでも、どうするかの手順を決めておかなければならなかった。
しかも動員される兵員数、必要とされる物資は、年を重ねるにつれて増え続けていた。
10年以内には、国民の全てを軍、そして戦争に動員できる体制が国家によって整えられるとまで言われていた。
書類や帳簿が無ければ組織として動かないのは、ある意味で当然の結果でしかなかった。
そして階級が上がれば上がるほど、事務をする頻度、機会、そして量が増える傾向が強くなる。補佐を入れて自分で書類作成をしなくとも、作られた書類の確認や決済をしなければならない。
特務大佐という高級将校に類別される階級な上に部隊を率いるとなれば、事務に追い回されるのは当然だった。
もっとも、特務の将校・軍人というのはアキツの軍隊においても特殊だ。
近代化以後、正式名称で特務とされた蛭子衆は、蛭子という非常に特殊な生まれの高い魔力を有する、種族を超えた人材が集められた特殊な組織だ。しかし、その特殊性故に数は非常に少ない。
何しろ蛭子に生まれる確率は、10万人に1人とすら言われる。しかも、魔力を持つ種族からしか生まれない。
また、蛭子としての非常に高い魔力を活かすと言っても、普通の人がそうであるように個人個人の適性がある。誰もが戦いに向いているわけではない。
また高い魔力を活かし、主に魔法、魔法物品の研究、高難度の治療魔法の担い手として重宝される。個体戦闘力の高さが利用されるのは、蛭子全体としては二の次だ。
しかも兵士としての適性を持つ者は、強引な訓練を経ても及第点に達する者はどうしても限られる。
平時において蛭子衆の戦闘部隊に属する者の数は、合わせて100名ほど。
たった100名だが、一人一人が一騎当千と言わないまでも一騎当百程度の戦力を期待されている。一人一人では実際そこまで高い戦闘力でなくとも、複数による一つの戦闘単位となると、本当に一人で兵士百人に匹敵する価値が生まれる。場合によっては千人以上の価値が。
この為、蛭子出身者が戦闘部隊に属すると、戦闘力の高さから最低でも特務少尉となる。一般隊員は、中尉か大尉が普通だ。
中でも高い魔力、能力を持つ『二つ名持ち』になると、最低でも特務少佐以上の佐官待遇とされる。それだけの価値があると考えられているからだ。
さらに部隊を率いるとなると指揮する技術や経験も必要で、特務中佐や特務大佐が当たる。
一般的な少佐が1000名の兵を指揮する事と比較すれば、その価値の高さが少しは分かるだろう。
階級に特務とつくのは軍ではなく太政官直轄の為で、階級が高いのは戦力価値の高さだけでなく、任務が特殊なので他からの命令を受けないようにする為でもあった。
一方で、高い個体戦闘力を持つ者だけで組織は動かないし、部隊として運用もできない。上に立てる者、指揮できる者が必要となる。
この為、一部の見込みのある者に将校教育が施される。
支える側も、通常時の身の回りだけでも事務、雑務、庶務などの補佐をする者も必要となる。
この為、蛭子ではないが孤児や身寄りのない者を国が抱え入れて、蛭子衆の運営、維持に利用していた。
なお、個人(個体)での戦力価値の目安はアキツで最も多い鬼で、これを他の地域で一般的な只人基準にすると数字は変化する。
アキツ人の七割を占める鬼は、只人の2倍の戦力価値があると算定されている。これは同じ技量、装備、武装を持った場合で、特に白兵戦の場合に当てはめられる。
また、鬼が魔法など魔力による特殊な技能を習得している場合、数字はさらに変化する。
逆に銃や大砲を用いる場合、あまり関係ないとされる。
白兵戦時の戦闘力面での能力差は「人(只人)<鬼、多々羅<半獣、天狗」で、この辺りまではそこまで大きな個体戦闘力の差はない。人(只人)に対して2、3倍まで。魔術を使う場合でも、差は5倍程度と考えられている。
1人で5人の戦力価値もしくは戦闘力という事だ。
そして人口構成的に鬼と半獣が大半を占めるので、軍事力としての戦力分析でもアキツ兵の白兵戦能力は他国の2〜3倍と算定する。他にも、身体能力が高いので、行軍能力など肉体的な作業でもかなり高い数字が適用される。
当然、他国から見れば悪夢であり、魔物扱いされる所以になっている。
そして過去の戦いで、戦闘力の優位は証明されてきた。
しかもアキツには、数は少ないながらそれ以上の戦力価値を持つ種族がいる。豊富な魔力を有する魔人だ。
魔人とされる獣人の戦闘力は只人の10倍、大鬼になると20倍、様々な魔術を巧みに使う大天狗になると只人とは比較すらできないとすら言われる。
アキツを脅威と見る国からすれば、魔人の数が極端に少ないのは本当に救いと考えられている。
そして魔人よりさらに数が少ない蛭子だが、それぞれの種族の平均より遥かに高い魔力を有するので、数は非常に少ないながら戦力価値は計り知れないとされている。
「多少強かろうと、事務が何倍も出来るわけないんだよなあ。補佐してくれる優秀な人材がもっと欲しい……」
新たな部隊編成の為、個体戦力差を分析した書類を見つつ愚痴る甲斐だった。




