013 「竜の御子(1)」
「あれ? 匂いが違う」
鞍馬に突然抱きついた小さな人影が、彼女の体に顔を少しの間うずめた後、そのまま顔を上げる。
年の頃は10歳前後。頭の横の耳まで隠れる大きな袋状の帽子を被っているので、おかっぱ頭の髪型の上にツノがあるのか耳が長いのか、それとも何か別のものが頭の上にあるのかは分からない。
だが注意深く見ると、帽子の上の方、また耳の上の方に何かの突起が2対あるのが見て取れる。
ツノが2対もある魔人や亜人は、アキツでも非常に限られ、それを鞍馬は知識として知っていた。
「『竜の御子』様?」
「ち、違うよっ! それに間違い!」
鞍馬が自身の胸元の双丘越しにそう問いかけると、抱きついていた少女は慌てて抱きつくのを止め、さらに両手を頭にやる。
「鞍馬?」
困惑気味の鞍馬に甲斐は声をかけられないので、鞍馬の目の前の少女を観察する。
そして甲斐が見たところ、鞍馬に抱きついてきたのは鬼の少女。その少女が、甲斐の声に反応して彼の方を見る。そしてすぐにも凝視されてしまった。
「……?」
「あの、何かな?」
「私と同じ匂いがする。おじさん誰?」
少女の言葉に甲斐は内心首を傾げてしまう。なにしろ、見たことも会ったこともない少女だ。ただ、おじさん呼ばわりには、内心少し傷ついていた。何故なら鬼の20代は、彼の中ではまだおじさんに含まれない。それに若作りな方だという自負もあった。
それはともかく、少女の問いかけに答える義務のようなものを感じたので口を開く。
「僕は甲斐。通りすがりの冴えないおじさんだ。君の名前は?」
「カイ? カイ、何?」
「三太。三番目の男の子って意味だけど、甲斐で呼んでくれると嬉しいかな」
「甲斐ね。でも三太なら私と似てるね。あ、でも私も似た感じ。みんな『御子』って呼ぶわ」
「ミコ? 三つに子供の子? 確かに似ているね。それで三子ちゃんは一人かな? 大人の人は?」
「えーっと」と周囲を見渡し、ある方向へと視線を向ける。少女が鞍馬に抱きついた一線上の先から、ちょうど二人歩み寄ってくるところだった。
一人は二十歳前後の女性。動きやすそうな、それでいてゆったりとしたアキツ風の男装で、肩から大きな刀を下げている。あまりに自然体な動きだったが、甲斐はその人物が尋常ではないと一目で見抜いた。
またその女性は、長い耳に長い銀髪の持つアキツに千人といないと言われる大天狗の一人だ。
そして何より鞍馬に似ていた。
もう一人は少女。こちらも長い耳に金髪の持ち主。肌の色と顔立ちは西方風で、絵に描いたような西方の天狗だった。長命な天狗も元服するまでは他の種族と同じよな早さで成長するので、年の頃は鞍馬に抱きついてきた少女と同じくらい。
長く素直な金髪と西方でも北方特有の白い肌、それに西方の精巧な人形のような整った容姿の持ち主だ。
そして3人共が、魔力を大きく抑え込んでいると分かった。
「金剛! お姉さんごめんなさい。匂いが似ているから間違えたの」
そう言うや子供らしく軽やかに駆けて、今度は金剛と呼んだ大天狗にしっかりと抱きつく。
一方の鞍馬は、大天狗に対して恭しく、また少し緊張しながら深々と頭を垂れる。相手が誰かを知っている礼だ。
だから甲斐も、敬意を持って一礼してから相手に尋ねざるを得なかった。
「大変失礼かと存じますが、貴殿は名のあるお方ではないでしょうか。わたくしは甲斐。軍人をしております」
「私は金剛。そう呼ばれていただろ。本当の名前は、もう忘れて久しい。今はこの名が私の名だ。鞍馬、久しぶり」
ゆったりとした自然体の物腰に相応しいと言える、柔らかくゆったりとした話し方。ただ、自身にはあまり関心がなさそうに見える。
そして甲斐としては、彼女の鞍馬に対する言葉と態度に関心を向けざるを得なかった。
その態度は、見間違えでなければ親しい者に対する態度だからだ。
もっとも、大天狗は非常に数が少ないので、どこかで血縁関係にあっても全く不思議はない。しかも千代の命を持つと言われるほど長命なので、血縁者の可能性は非常に高いと言える。
一方で甲斐も鞍馬も蛭子。
蛭子は、生まれながらにして非常に高い魔力を持つが、魔力の悪影響で体が崩れ化け物のような姿で生まれる。赤子の体では、高い魔力を受け止めきれないし、制御もできない為だ。そして化け物の姿で生まれるが故に蛭子と呼ばれる。
特殊な術で癒す事は出来るが、幼い間は発作のような形で再び化け物のような姿に戻る事も多い。
その為、いにしえより忌み嫌われ、穢れを祓う為という理由で竜を祀る社に預けられ、血縁からは切り離されてしまう。当事者も、幼い頃の再発した時の記憶が深い心の傷となる者が少なくない。
だから鞍馬に身内が親身に話しかける事に、甲斐は違和感を感じてもいた。それを鞍馬も分かっているのか、頭をあげると甲斐を一瞬見てから鞍馬に向かい合う。
「お久しぶりです金剛。甲斐、この方は私の遠い先祖筋に当たるの。正確には、金剛の妹の血筋の先が私。そして金剛は、大剣豪の一人よ。更に言えば、私の刀の師匠にも当たるの」
「先祖など水臭い。叔母のようなものだ」
「大剣豪? 伝説の?」
「伝説じゃない。こうして生きている。それに大剣豪なんて大げさなものじゃない。古木よりも長く生き、沢山の戦さ場を見てきただけ」
「これは大変失礼を!」
最初は実感が持てなかった甲斐だが、叫ぶように返して深めに頭を下げる。だがそれは、軽くない動揺を隠すためでもあった。
千代に生きる大天狗だから、実際に長く生きる者は少なくない。中には、伝説やおとぎ話の中に大天狗の大剣豪もいた。
だが、今の時代にもまだ存在し、表立って活動しているという話は少ない。政府に属する一部を除き、噂程度でしか聞いたことがなかった。
それこそ伝説やおとぎ話の向こう側の存在というのが、彼ばかりでなくアキツの民の大天狗に対する普通の感覚だ。
しかも大剣豪が、目の前の長身ながら細身の女性というのも意外だった。大剣豪などと称されると、厳つい男性だと思い込みがちだからだ。
だがこの点は、男女関係なく魔力が高い身体能力を与えるので、単なる先入観でしかない。
実際、中肉中背の甲斐、目の前の女性と良く似た鞍馬も、人とは比較にならない類い稀な身体能力を持っている。他にも、見た目と能力が釣り合っていない者も数多くいる。
そう考え直し、甲斐は頭を上げる。
だがまた面食らってしまった。
顔を上げたすぐ前に、金剛の興味深げな顔があったからだ。しかも単にそれだけなら驚きも少ないが、近づかれ、ましてや目の前にいるのに甲斐は気づきもしなかった。
その事が甲斐の驚きを大きくしていた。
動きがそよ風のように自然過ぎて、気配がまるで感じられないのだ。
(まるで自然と一体化したかのようだな。大剣豪だけある)
驚くと同時に感心する甲斐だが、目の前の女性の視線が甲斐から動く事がない。
「あの、金剛様、何か?」
「うん。手を見せて」
「はい」
言われるままに手を出すと、すぐさまかなり強く握られた。ちょうど握手の要領だが、握手をしたいわけでないのは雰囲気からも強く感じられる。
ただ興味深げな眼差しが更に強まっていた。
「若いのに魔力の扱いが上手いな。それに強い。手合わせしよう」
「は、え? 大変光栄なお誘いですが、予定もあるので後日にお願い出来ないでしょうか?」
「後日とは、いつ?」
握られた細い手だが、甲斐もその手から彼女の強さを十分以上に感じ取りつつも、突然の申し出に困惑していた。
たまらず、彼女をご先祖と言った鞍馬に視線を送る。そうすると、ごく軽く首を横に振られた。
「諦めなさい。滅多にないけど、金剛は言い出したら聞かないから。それより金剛、事情を聞いて構いませんか?」
「ん? ああ、鞍馬になら構わないかな。それに甲斐にも。私は今、三之御子様とこちらのアナスタシア様の御付きをしている。それでお二方が都の賑わいを見たいというので、二人を抱えて宮を抜けてきた。だから、この事は内密にな」
「「え?」」
様々な情報が示されたので、二人は大きく混乱する。
三之御子とは、鞍馬も口にした『竜の御子』の3人目。『竜皇』に認められ力を分け与えられた、いわば皇族のような立ち位置の高貴な人物。その一人に当たるという事だ。
『竜皇』は直接は人の言葉を話せないので、依り代となる者を介して話し、場合によっては力を行使する。この為、その依り代を『竜皇』と呼ぶ事も多いし、実際は依り代を介して話しをする。
そして『竜の御子』は、いわば依り代の予備に当たる。もしくは『竜皇』の力が直接及ばない場所で力を行使する為の、力の発生源のような役割を担う。
現在は5人いると公表されており、言葉通りなら目の前の少女がその中の一人という事になる。
ただし『竜の御子』が誰なのか、どのような姿なのかは、側に使える者か、『竜皇』自らが出席するような国の式典や行事で前の方に位置する者しか目にする事はできない。
ツノが2対で頭髪が『竜』の影響で緑がかるという特徴は、おとぎ話の昔から知られてはいるが、実際に目にする事はない。
そして目の前の子のように帽子で隠すと、普通の鬼の子にしか見えなかった。




