最終幕
二人芝居を意識して書き上げました。
当初の設定とプロットからは結構ずれた展開となりましたが、それなりに満足のできる物語に仕上がったと思います。
まだまだ分かり難く、きちっとした文体ではありませんが追々手直しをしたいと考えております。
十二月二十四日、私が生まれてから味わったことのない、非常に冷たい風が吹く厳しい寒さの日であった。
それでも私はフィレンツェでの取引を全て終えてから、大事な買い物を済ませると昼過ぎには馬上の人となり、急いで花の都を後にした。
本来であれば先週には宿を引き払う予定であったが、以前からフィレンツェに積み残していた貸倉庫内の商品の処分や、証文の処理と裁判の手続きに手間取った為だ。
かつては商会の仲間や使用人が同行していたので、皆で手分けすれば三、四日で片付いていた仕事量である。
しかし二年前に旦那様が倒れられてからは、商会所属の主だった商人が次々と独立した為に、商会は慢性的な人手不足だった。
中にはあろうことか、商会の積み荷や金銀を持ち逃げする不当な輩もいたのだ。
そして病床の旦那様も、遂にこの夏亡くなられた。
春先にマリアの二人の兄が流行り病で立て続けに亡くなり、その影響が強くあったのかもしれない。
だが何よりも旦那様が亡くなられた事を機に、今まで資金を提供してくれていたフィレンツェの銀行が手を引いた事が頭を悩ませた。
これにより商会の資金繰りが一気に悪化し、次々と各都市にある支店を閉じる羽目になったのである。
こうした様々な不幸が重なって、今の商会に残っているのは私一人だけとなり、当然のように商会で請け負った積み荷や債券など諸問題全てを私が対処しなければならなくなった。
故に昨日まで朝から晩まで交渉のため奔走し、寝る暇も惜しんで沢山の書類を処理していたのだ。
しかし結果的にそれが偶然と幸運をもたらしてくれたので、私は神様に感謝しなければならないだろう。
流石に昨日の今日で疲労困憊ではあったが、どうしても私は今日中にマントヴァに戻りたかった。マリアに一刻も早く会うために。
だから道中のボローニャとパルマで馬を交換して、ただひたすら一心で馬を早駆けさせた。
そのお陰で何とか夜には、愛する人の住まう屋敷に辿り着く事ができた。
この十年間、私が慣れ親しんだ懐かしい屋敷は、私が留守にしていた僅かひと月足らずで酷い様相を晒していた。
かつての美しい庭園は荒れ放題であり、貴重なガラス板の窓は取り払われたのか全て木の板で打ち付けてあった。
そしてあちこちに見えるひび割れた板の隙間からは、どうやら雨風が吹き込んでいるようだ。
後で聞いた話だが、お給金が遅れがちになったこの夏頃から屋敷を去る使用人は後を絶えず、
つい先週には古くからマリアに仕えていた老夫婦がこの屋敷を後にしたらしい。
その折にマリアからのせめての心付で、屋敷内に残っていた銀の食器類を全て渡したそうだ。
私が屋敷に入ると、広間にポツンと残された古びた長椅子にマリアが横たわっていた。
驚いて直ぐ駆け寄ると、私がたてた騒々しい物音に気付いたのか彼女は弱々しく顔を上げた。
愛らしいその顔はひどく憔悴しており、かつては白く美しかったその手や指も、今は亡き私の母と同様にボロボロに荒れていた。
それから私が不在の間の事をポツリポツリと涙ながらに話してくれた。
急な借金の督促のために家財を全て売り払った事、最後まで残ってくれた老夫婦の事を。
話を聞いている内に堪らずマリアを抱きしめると、安心をしたのか直ぐに私の腕の中で寝息をたて始めた。
今、彼女は私の膝を枕にしてまるで赤子のように眠っている。
私は心地よいぬくもりを感じながら、その預けられた身体が以前よりも軽い事に愕然としていた。
彼女には随分と苦労と心配をかけたようだ。
しかし今の私に出来る事は彼女のそばにいて、優しく背中をさする事くらいである。
暫くすると目が覚めたのか。
「マルコが背中をさすってくれると、心が落ち着く……」
「もう大丈夫ですか?マリア」
「うん、貴方の顔見たら安心して少し眠ったけど、今は大丈夫よ」
そう言って、膝枕のままで私を見上げている。
「……………」
「……………」
互いに見つめ合ったまま時が去っていく。
「マルコも今まで本当に……ご苦労様でした。……ここまでわたくしの我がままに……付き合ってくれ……て、ありがとう……」
意を決したように、涙声で彼女は言葉を紡いだ。
「急にどうしたのですか?私はこれからもマリアと一緒にいます。
大丈夫。昔のように贅沢はできなくとも、二人だけなら十分暮らせますよ」
「あぁ……、違うのよ。わたくしには……もう何も……残っていないのよ?
借金返済のために……価値のある家財は全て売り払ってしまったし……、お父様とお母様の形見も……早々に手放したわ。
それに私には……家族も誰一人いない。駆け落ちしたロメオお兄様をはじめ……、二人の兄も母に続くように、流行り病で……なくなってしまった。
本当に何もないのよ……。残されたのは、この手入れもされなくなった古びた屋敷と……行き遅れた私だけ。
それでも……マルコがくれた髪飾りだけは大事に……、大事にしまってあるわ。
わたくしにとって、たった一つの……最後の大切な宝物なの」
そう言いながら髪留めに手を触れた。
マリアの髪を横でまとめている髪留めは、確かにあの日私がプレゼントしたガラスの髪飾りであった。
「私も自分以外の何物も持っていません。
でもお嬢様……マリアへの想いだけは、昔も今も変わらずこの心にあります」
「違う、違うのよ……。
マルコには知識と知恵、それに立派な教養と商才があるわ。
何よりも、若い貴方には未来があるのよ。
でも……この屋敷のように荒れ果てた私には、未来も……幸せも無いのよ!!」
そう泣きじゃくるマリアからは、かつての意を唱えさせぬ雰囲気は全く見受けられなかった。
私にはただ弱々しく伏せる一人の少女に見える。
「いいえ、君の喜びが私の喜びであり、君の幸せが私の幸せなのです。
私の過去がいつも君と共にあったように、私の今は君のそばにあります。
そして私の未来も必ず君の元にあるのです。
悲しみも苦しみも、喜びも楽しみも幸せも全て二人で分かち合いましょう。
君と一緒にいられるのであれば、私は他に何もいらない……。
例え死が私たち二人を別つとしても、最後まで君と添い遂げる事を神に誓おう」
私の胸の内にいつも止められていた想いの濁流が、ここぞとばかりに心の堰をきって次々と口から飛び出してきた。
「……………………………………………………………………」
しかしマリアはただ押し黙っているだけだ。
だから私はフィレンツェ手に入れた品物をカバンから取り出して見せた。
内側に『MからMへ』と刻印された銀の指輪と赤い花が描かれた小さな絵画である。
「この指輪はフィレンツェのポルタ・ロッサ通りで偶然出会ったさる方々に勧められ、銀細工師に急ぎ作ってもらいました。
そしてもう一つは、土産の花の代わりに頂いた物です」
マリアは二本の真っ赤なバラが描かれた絵画を手に取り。
「本当に、素敵なバラね……。冬には決して見られない花だわ」
暫しの間それに見とれていたが、おもむろにそれを裏返し、署名を確認した時にハッと気づいたようだ。
裏面にはこう書かれていた。
『二人の幸せを願って ロメオとジュリエッタ』
「あぁ……、お兄様は……、二人は無事だったのね……」
マリアの美しい二つの宝石からは、止め止めなく涙があふれてきていた。
「はい、今はフィレンツェ近隣にあるフィエーゾレという丘の上にある教会で下働きをしながら、絵描きで生計を立てているそうです。
来春には二人目のお子様も生まれるとか」
「良かった……、二人が幸せそうで……本当に良かったわ」
「だからこそマリアも幸せになりましょう。これから私たち二人で始めるのです」
そう言いながら、私はマリアの腰を優しく引き寄せてから、強く抱きしめた。
決して離さぬように。
……そしてどちらかともなく、自然と私たちは初めての口づけを交わしたのである。
----------------- 暗転 -----------------
「そう言えば、今日はマルコの誕生日よね。この二人だけの屋敷で静かに祝いましょうか。
贅沢はできないけれども、少しだけ赤ワインと白パンがまだ食堂の棚に残っているわ。
貴方が家に来て、もう十年かしら。
あの小さくて頼りなかった十歳の少年が、今や立派な殿方になったのね」
ベッドから体を起こし、古びた木綿の衣類をその身にまとうマリア。
彼女の左薬指には、あの銀の指輪がちゃんと収まっている。
私も続いて起き上がると、彼女の手を取りながら応えた。
「あぁ、全てはマリアのお陰だ。私の半分は君によって作られているよ。
君がいなければ今の私は存在しえず、ここまで至る事もなかった」
「そう……、貴方の世界の半分を作ったのは、わたくしなの?」
「もちろん、君だけだ。私に愛を注ぎ、いつも暖かく見守ってくれたのは」
「知っているわ。貴方がいつも熱く想っていてくれていた事を」
私とマリアはしばらく互いを見つめ合っていた。
「あぁ、マルコ。死ぬほど愛しているわ……。貴方も?」
「もちろんだ、私も君を愛しているいつまでも」
私がそっと右肘を差し出すと、マリアは一瞬躊躇するかに見えたが嬉しそうに腕をからめ、私の右肩に頭を預けてきた。
『十二月二十五日、この日から私たち二人の新たな生活が始まった。』
-Finito-
最後に、今回の【冬のシンデレラ】という素敵な企画を立ち上げてくださった秋月忍様に敬意と感謝の気落ちを込めて。
Buon Natale!!(メリークリスマス)




