第三幕
若干、当初のプロットと流れが変わり作者も困惑しておりますが、まだ終わりませんので悪しからず。後二話で締めます。
12/24 マリアの一人称を変えました。
『12月23日、本来の予定では昨日にはマントヴァに戻っているはずでしたが、旦那様たっての願いで一日遅れの帰宅となりました。
そうして帰りが遅くなった事で、今にも泣きだしそうな顔のマリアお嬢様が皆を出迎えてくれたのです。
私がそんな彼女にお土産の花を差し出すと、それを満面の笑顔で受け取ってくれたので私も心が躍りました。
今回の旅はマントヴァから南方面をぐるりと、ボローニャそれからパルマ、そして私の故郷ロンコーレ村に近いブッセートを順番に回るものでした。
ボローニャで私が驚いたのは製紙技術です。中でも透かし(*1)と言う物に感動しました。
その透かしが施された薄い紙を光に当てると、なんと模様が浮かび上がってくるのです。これにより文書の偽造が難しくなり、また製品を特定する事が可能となります。
そしてパルマではパルミジャーノ・レッジャーノチチーズと生ハムの美味に驚かされました。
旦那様の話では、生ハムは土地によって風味が違うとの事。海に近い所では海風の影響で塩辛く仕上がるし、内陸部のパルマ産はほんのりと甘いのが特徴だそうです。
最後に立ち寄ったブッセートの街は予定外の旅程でした。それは旦那様が駆け落ちしたロメロ様の行方を捜すために強く望んだからです。
その代わり一日だけお暇を頂けたので、旦那様に馬を借りて五年ぶりに帰郷できました。
その後、我々はマントヴァまで急いで帰りました。私の故郷の花をマリアお嬢様に届ける事が出来たので、大変嬉しく思います。』
私が羽根ペンを置くと、すかさず左隣に座るお方が手に取り、先ほど私が書いた日記の『今にも泣き出しそうな顔の』という部分に何本も横線を入れた。
「泣いたという事実は無いから、これは不適切な表現ね」
いつも通りのお嬢様である。私は軽くため息をついて肩をすくめた後、再び羽根ペンを手に取りインクに浸す。
そしておもむろに『心配した心優しい』と先ほどの訂正箇所の上に書き込んだ。
「そうよ、それが正しい認識。適切な表現ね。
それでロメオお兄様の行方はどうだったの?」
私は首を横に振って応える。
「当然よね、そう簡単には見つかりっこ無いわ。きっと二人はいずこかの教会で結婚するの、そして慎ましくても幸せに暮らすのよ」
「マリアお嬢様は何か知っているのですか?」
「いいえ、わたくしは何も知らないわ。でも二人が何を望んでいるかは知っているつもりよ」
お嬢様は手元の小さな黄色の花を嬉しそうに愛でながら、そう言い切った。
「そもそもお父様もお母様も、キャピュレット家の方々も皆が皆とても頭が固いのよ。まるでトレンティーノの岩山のよう。
商売敵が何だって言うのよ。そんな事よりも我が子の幸せが大事じゃないのかしら?」
「確かに仰る通りです。でも旦那様も奥方様も、まさか両家から反対されたお二人が駆け落ちをするとまでは考えていなかったのでしょう」
「そうね、もうこの件はいいわ。
わたくし達は二人の幸せを願って忘れましょうか。
それでブッセートまで行ったのなら、マルコは家族に会えたのかしら?」
「はい、旦那様のご厚意のお陰で、五年ぶりに実家の家族と会えました。
既に二人の姉は嫁ぎ、下の兄は半年前に流行り病で亡くなり、一番上の兄夫婦が年老いた両親に代わって畑を耕して生計を立てていました」
「大丈夫なの?昨年頃から流行り病で亡くなる人が増えたと聞いているけど……」
「はい、加えて今年の冬は寒さが相当厳しくなりそうなので、旦那様から頂いたお給金からブッセートで買い付けた鶏と食料、それに幾ばくかのお金を手渡してきました」
「そう、なら良かったわ。お父様が優しいのは昔から知っているわ。でも駄目、何故なら言葉にして相手に伝えないからよ。
そんなのじゃ誰も幸せになれない。言葉を正しく使わなきゃ、相手の言葉に耳を傾けなきゃ、人と人が理解を深め合う事は難しいの……。
お父様もお母様も何も分かっていないわ。だからわたくしはあの二人に知恵を授けたのよ。
どうか二人には幸せに……なって欲しい」
ご自身の気持ちを全て一気に吐き出したのか、私の左肩に頭を預けてきた。
そして何やらすすり泣く声が聞こえてくる。
「大丈夫です。マリアお嬢様が願うようにきっとお二人は幸せになります。また会える日が来ると良いですね」
今の私にはそう応えるだけしかできない。男女の機微など私には分からないからだ。
ただお嬢様のお気持ちに沿いたいと、ただそれだけを考えての言葉だ。
私如きの言葉には何の力も無いのだろうか?
「それにしてもマルコ、貴方はこの二、三年で随分と変わったわね。
わたくしよりも頭一つ分は背が高い上に、肩幅もロメオお兄様のように立派で広くなってる。
何だか出会った頃の可愛らしい貴方が懐かしいわ。でも今の貴方も悪くはないかしら」
そう言いながら、お嬢様はそっと私の左腕に両腕を回す。
何だろう急に息苦しくなり、私の胸は高まり、全身が熱くなる。
訳の分からない自分の変化に戸惑いつつも、ふと以前にお嬢様が聞かせてくれた歌が心に浮かび上がってきた。
そして自然と私の口から言葉となって飛び出す。
「私は心に感じている 確かな痛みを
それは心の平安をかき乱していくのです
この心には松明の灯火が輝いています
これが恋でないとしても
いずれは恋となるでしょう……」(*2)
私の左肩から心地よい重さが消えると、そこには目を大きく見開いたまま、私を見上げるお嬢様が居た。
「……覚えていたの?……随分前に、一度だけ……聞かせた歌を」
「もちろんです。お嬢様の言葉は何一つ忘れていません。そしてこれからもです」
「……嬉しいわ。
ごめん、マルコ。一つだけ訂正するわ」
そう言うと、お嬢様は急に椅子から立ち上がる。
「今の 君が わたくしはたまらなく好きよ。やっと……見つけたわ」
そしていきなり私の頭を正面から両手でギュッと抱きかかえた。
思わず私も受け止めるようにお嬢様の腰に受け止め、その背中を優しく撫でる。
「恋って何かしらと常々思っていたけど……、遠くばかりを見てるのは駄目なのかしら?」
「マリアお嬢様はいつも遠くを目を凝らしているのが似合っていますよ」
「でもそれでは足元がお留守になって、石に躓いてしまわない?」
「その時は私がちゃんと手を引きますよ。いつも周囲を注意深くみていますから」
「そうね、思えば貴方の行動はいつもわたくしのためだったわ。
ボローニャから送ってくれた手紙には、透かしで『マリアのために』(Per Maria)と入っていたわね。
とても嬉しかった。羊皮紙なんて野暮ったいモノとは違う所がとても気に入ったわ」
「気に入ってもらえて私も嬉しいです」
「高かったでしょ?」
「はい、急ぎで仕上げてもらったので、蓄えが底をつきました」
「しかも、わざわざ早馬で手紙だけを送るなんて……もう」
「マリアお嬢様の喜ぶ顔が見たかったのですよ」
「そう?なら今見せてあげるわ」
そう言うと、私の頭を開放してから改めて私の膝の上に横向きに腰を下ろした。そして私の両肩に手を置く。
お嬢様の目元には僅かな涙の跡が残るだけで、いつも通りの愛らしく美しいその二つの宝石が私をジッと見つめる。
しばしの沈黙の後、先に言葉を紡ぎだしたのはお嬢様からだった。
「本当に紙は人類の素晴らしい発明ね。きっといずれは沢山の人々が書物を手にすることになるはずよ。
そうすればギリシャ悲劇や異国の伝承や伝説、それに歌や詩、素敵な恋の物語も皆で共有できるわね」
「そうですね。そしてマリアお嬢様の唇はいつも愛を紡ぐのですね」
お嬢様はフフっと笑うと、急に真面目な声で私に告げた。
「ねぇ、マルコ。
これからは二人だけの時は必ずマリアと呼びなさい、お嬢様は不要よ」
「はい、マリア……」
すると再び私の頭をギュッと抱くように、お嬢様は両手を回した。
つられるように、私も彼女の背中をそっと抱きしめ撫でたのである。
*1透かし:透かしの始まりは1282年頃のボローニャからと言われています。十五世に活版印刷が実用化されるまでは、アジアから伝わった紙はイタリアで製造供給されていました。
*2:【スクアルチャルーピ写本】より




