第35話 貞操の危機 その1
宮殿の地図は門外不出だが、商人には商人専用の地図がもらえる。それをもらうのが第一の目的だった。オレらが入っていい場所が書かれたそこは、ほんの一部しか明らかにされていないが、それでもないよりはマシだ。
オレ達は時間の節約のためにも分かれて捜索することにしていた。時間を決めて、手掛かりを探す。二人にとっては宮殿や城は勝手知ったるだろうけど、オレには正直右も左もわからない。要するに闇雲に探すことになるけどかまやしない。とりあえず、動かないとね。
アルジュナが俺達を異国風の商人にしたのは理由がある。まず、言葉がわからないふりができる。見つかっても迷ったフリができる。ということだ。ま、それが通じるかどうかはわかんないけど。瞬弥達は、あの容姿と話術でうまいこと躱すんだろうな。
――――これは……。宮殿?
オレは人混みに紛れて奥へと続く扉を抜けていった。陽の光が差し込むそこには、見た事もない景色が広がっていた。
眼前に聳え立つ白い大きな帽子を被ったような宮殿は、幾つもの塔を持つまるで一つの山だ。圧倒的な存在感はどっしりとしていてデカさも半端ない。この位置からでは全貌を目の中に捉えられないほどだ。
その前には池が美しい水面を光らせ、所々に蓮の華が可憐に咲いている。その周りにはどこまでも続くと思われるような回廊が見えた。オレ達がいたのはその回廊に沿っていくつも構えられた建物の一つだ。
――――一体、どんだけ建物があるんだ。どうやって調べろって?
オレは恐る恐る回廊に足を踏み入れる。白い石の廊下はクッションのあるスニーカーでも堅くオレのひざを突っぱねてきた。そこには白を基調にした衣服を着た使用人たちが、急ぎ足で廊下を行き来している。
白い床、壁、天井、全てが白の中で、彼らの肌だけが浅黒い、異様な光景だ。
すれ違う度ドキドキするが、それを悟られぬよう自信満々の知らぬ顔で歩く。だけど、やはり場違いすぎる格好なのだろうか、前から来るでかくて頑丈そうな男が、オレをじろじろ見ている。ヤバイかも……。オレは不自然のないよう目をそらし、桃色の華を咲かせる湖を眺めながら歩を進めた。
「失礼。貴殿はどこから来たのかな」
うわ……。直球で来てしまった。オレは逃げるか誤魔化すか、数秒考えた。男は鼻の下に立派な(多分本物の)髭を蓄え、剥き出しの腕は筋肉が盛り上がっている。筋肉の質では負けるつもりはないが、量は圧倒的にこいつの方が多い。
「迷ってしまったようで……」
と、少しずつ後退りながらそう応じた。もちろん逃げる気満々だ。すると、そいつは急に口角を上げ、
「迷ったのか? それでは、ワシが案内してやろう。いや、どうだ、そこにワシの部屋があるから一緒に来ないか?」
――――え……。
既に後退りかけたオレにふっとい腕を伸ばしてグローブみたいな手を広げてきた。
「い、いえ、遠慮します」
オレは回廊の手摺を伝って、その手から逃れる。まさかとは思うけど、もしかして、この人、そっちの人なの? オレは男には興味ないって言ってるだろう! しかもこんなムッキムキのおっさん!
「何も照れなくていい。つるつるの肌が麗しい。君もそうなんだろう?」
「ち、違います! 誤解だ!」
待て待て! 君もそうって、どうなんだよ!? オレは普通の高校生で、普通におっぱいある女の子が好きだよ!
オレは手すりを乗り越えようと背中を向けた。だが、思いのほかこいつの動きが速く、右手首を掴まれてしまった。冗談じゃない。オレの貞操が! いやマジ勘弁、オレは瞬弥と違って初心なんだよ! 女の子ともまだなのにそっちを先に経験したくない! 後でもいやだけど!
極力、騒ぎは起こすなというアルジュナの指示だったが、こうなったら背に腹は代えられない。オレは掴まれた右腕にぐっと力を入れた。ところが、その瞬間、変態オヤジの手の力が抜けた。
「おや? ムハマド隊長。このようなところで、お珍しい」
また誰か来た……。オレは声のする方をゆっくりと振り向いた。そこには、ここらではめったにお目にかかれない、上半身を光沢のある上等な上着に包んだ紳士然とした男性が現われた。
「これは、ソマカ官吏長。いえいえ、これも見回りの一環であります。見慣れぬものがおりましたので」
と言って、掴んだオレの右腕を上げた。見慣れぬ者……。これって益々ヤバイ状況なんじゃ。あのままおっさんと一緒に行ってたほうが良かったのか? いやいや、それはない。
「ああ、ムハマド殿。彼は私が依頼した武器商人の使用人。慣れぬゆえ、道に迷うたのでしょう。手を放してやってもらえないか? 向こうで主人が探しておりました」
――――どういうこと?
オレとムハマドとかいうおっさんの両方が同様の表情をした。この人、何言ってるんだろう。
「その帽子の印が同じなので、間違いないでしょう」
重ねて言う紳士の目が、今度は有無も言わさぬ力を持っていた。おっさんは仕方なさそうにオレの右腕を放した。美味しいご飯を食べる瞬間に持ってかれた時みたいな顔をして。
「ソマカ官吏長殿が仰るのであれば」
そう言うと、一礼してその場を立ち去っていった。白い回廊で、オレと二人きりになったソマカ官吏長と呼ばれた紳士は、改めてオレの顔から足の先までを眺め見、片方の口角を上げる。
つまり、ニヤリとしたわけだ。その捕食動物的な表情に、オレは背中に毛虫でも這ったような気分になった。
「さて、ムハマドごときに取られてはたまらない。一緒に来てもらおうか」
ヤツの言葉と同時にどこから現れたのか部下らしい連中が三人、オレの回りを取り囲んだ。やっぱりオレの貞操はピンチのようだった。




