091 4番で主将の俺
後は6回の裏、7回の表、7回の裏が終われば試合は終わる。
これだけの試合内容だったら文句はないだろう。
あとは神月夜の打線が少しでも天田選手からヒットを打てば……。
「星斗!」
6回の裏が終わって、マウンドで星斗が崩れ落ちる。
やっぱり体力の限界だったんだ。
俺と悠宇で星斗を担いで、ベンチまで運んだ。
やはり7回は無理だ。控え投手に投げさせるしかない
「7回……行くよ……」
ベンチで倒れ込み、両目をタオルで冷やし、息も絶え絶えな星斗は必死の形相で語る。
ペットボトルも持てないほど握力が落ちてるんじゃないか……これじゃあ。
「もういい。おまえはよくやった」
「……7回の最後にあのイケすかない野郎が出てくる。そいつさえ討ち取ればいい」
音海選手のことを言っているのだろう。
1打席目は三振、2打席目はセンターフライに抑えることができた。
しかし3打席目は7回に絶対にまわってくる。音海選手を抑えられるピッチャーは星斗しかいない。
「オレがやるんだ」
「駄目だ……もう」
「はい、やめた方がいいと思います」
そんな言葉が生まれたのはアリアの口からだった。
予想もしない急な言葉に皆、止まってしまう。
口を出そうとしたらアリアに手を出されて止められてしまう。口出し無用ということか。
「いける……つってんだろ」
「無理ですね。まったくか弱いせーくんはそんなこともできないのかよー」
「あァ!?」
星斗が起き上がり、頭に乗せていたタオルがひらりと落ちる。
「そうやって寝ていればいいです。せーくんには到底無理ですから」
「言うじゃねぇか、カマトト女」
星斗は起き上がり、アリアの前に立つ。
「相手の選手をみんなオレが抑えられるやるっつーの!」
「本当ですか? ペットボトルも持てないじゃないですか」
「持てる!」
星斗はぐにゃりとペットボトルを潰してしまう。
これは……まさか、こいつ……握力が戻ってやがる。
「じゃあ、せーくんの本気を見せてください。こんな所でおねんねしちゃうような人は知りません」
「一球も見逃すなよ! 全員オレが抑えてやる!」
この段階で神月夜の6回裏の攻撃は三者凡退で終わってしまった。
星斗は両手を回して、マウンドの方へ向かっていく。
「……アリアはひどい子ですね」
「アリア」
「本当は休ませてあげるべきなのに……」
いや、女房役の俺も姉である美月も……他のメンバーも皆、星斗を苦労を思い、何とかしてやりたいと思っていた。
だが……星斗の意思は7回裏まで投げ抜くことだ。
アリアは唯一その想いを理解していた。
だから挑発して、星斗を奮起させたのだ。それは夏の大会まで言い合いしていた星斗とアリアにしかできないことだった。
「またせーくんに嫌われちゃったな……」
いや、ベタ惚れだと思うぞ。
だが……これは本当にチャンスだ。
あと1回、あと1回乗り越えることができるかもしれない。
7回の表、最終回だ。
星斗の体力が少しでも残っていれば……。最悪音海選手は無理にしても次のバッターを抑えれば。
星斗が振りかぶり、ストレートをぶん投げる。
「ストライク!」
え……。
164キロ……?
こいつ……さらに成長してやがる。
もうアリアに恥ずかしい所を見せない。明確な意思を球に込められている。
続くSFFも150キロ後半。こんな早くて落ちる球、誰にも打てるわけない!
「せーくん、いけぇ!!」
アリアの精一杯の声援を経て、星斗は高校生最強のスラッガーの音海選手を三球三振に切って取ったのだ。
俺も気付いていなかったのが……、この段階でチーム打率4割5分の甲子園優勝校に対して、正式試合ではないものの完全試合をしてしまったのだ。
これで神月夜学園の敗北はなくなった。
まさかこんな展開になるなんて思ってもみなかった。
だけど、こちらも未だノーヒット。7回裏も1番バッターから打席がまわる。
4番の俺は誰かが塁に出ないと打席に出ることができない。
2番バッターの悠宇がネクストバッターサークルに行くかと思ったが戻ってきた。
「悠宇どうした?」
悠宇は一目散にアリアの元へ行く。
「ねぇアリアちゃん」
「悠宇様、どうしました?」
「星斗は凄いね。本当にアリアちゃんの言うとおりみんな抑えちゃった」
星斗はベンチの奥で倒れ込んでいる。
「だから僕は塁に出ないといけない。僕にも力を貸してくれないか」
悠宇はアリアに手を差し出す。
アリアはその手のひらを両手でしっかりに握り念じ始めた。
「絶対大丈夫、悠宇様ならきっと……いけます! 悠宇様のことアリアは信じております!」
アリアの念に悠宇は一度頷く。
そのまま俺の方を向いた。
「絶対太一までまわすから」
「ああ、頼む」
「アリアちゃん」
なおも悠宇の手を両手で掴むアリアの黒髪に……悠宇はもう片方の手を当てた。
「え?」
「君は本当に良い子だね。……本気で好きになりそうだ」
「えぇ!?」
悠宇は驚いたアリアからばっと離れて、そのままバットを持ち、ネクストバッターサークルに向かう。
兄である俺の前で妹が口説かれている件。星斗も悠宇も積極的じゃねぇか……。
これ……どうなるのか分からないな。
顔を真っ赤にさせたアリアに……奥から星斗がじろっとさせている。
俺はもう知らん。
1アウトとなり、悠宇がバッターボックスへと行く。
悠宇は打撃力はないが技量のあるバッターだ。犠打と流し打ちが得意な所がある。
しかしアリアの願いがあっても……やはり天田選手の球は当てられないようだ。
2ストライク。
悠宇……がんばれ!
「悠宇様、がんばってぇ!」
その時、悠宇の振ったバットがボールに当たった。
ボテボテのゴロである。でもイレギュラーバウンドをして、捕球に時間がかかる。
これなら行けるかもしれない。悠宇は俊足だ。
三塁手がボールを取って、一塁に投げた。
それと同時に悠宇がヘッドスライディングをすると……ギリギリだ。
……どうなる。
「セーフ!」
よし!
神月夜学園のベンチが湧く。
両チーム通じて初ヒットだ。
これで併殺打させなければ……俺まで順番がまわってくる。
ネクストバッターサークルに入り、じっとその時を待つ。
7回に入っても天田選手の球威は衰えない。
恐ろしく早い速球にキレのある変化球で成す術無く三振となる。
そしてあっと言う間に2アウトとなった。
今日は2打席連続で三振となっている。
4番バッターなのにまったくその役割を果たすことができていない。
星斗が抑え、悠宇が塁に出て……そうなれば俺の役割は1つ。
俺はバッターボックスに入り、天田選手を見据える。
高校最強のピッチャー、まるで打てる気がしない。
緊張はしない性格なのに……なぜか重圧で押しつぶされそうだ。
「ストライク!」
くっ、まったく打てる気がしない。
悠宇はよくヒットにできたな。あいつが4番になった方がいいんじゃと思うくらいだ。
でも、振らなきゃ……振らなきゃ当たらない。
投げられた第2球を俺は全力で振った。
バットは空を切り、ストライクとなる。震えてしまった俺の手はバットを手放してしまったのだ。
バットは飛んでいき、三塁側の所まで飛んでいく。
くっそ……何やってんだ俺は。
タイムを取り、俺はバットの所へ行く。
拾おうとしたバットは俺が手を出す所からすくわれてしまう。
「……美月」
「太一くん、はい」
渡してくれたのは何より美しく恋い焦がれた人だった。
美月に手渡されたバットを受け取る。
美月の顔を見ると駄目だ……不安で甘えてしまいたくなる。
だが……今、星斗や悠宇が頑張ってくれた中で甘えるようなことはできない。
「怖い?」
美月は俺の今の状態を見抜いたのか。
震えた手のままバットを受け取ったからな……さすがにバレてしまうか。
「俺は……打つことができるのだろうか」
「できるよ」
何よりも美しい顔立ちで美月は微笑む。
その好きで好きでたまらない美月のために……みんなのために俺は頑張らないといけない。
でも怖いんだ。
「太一くんに魔法をかけてあげる」
「え?」
美月は俺の両手に触れた、
その柔らかな手のひらを感じつつ、美月の顔が正面ではなく……側面に来ていることが分かる。
「私の想いを受け取って」
俺の頬に触れる、柔らかな感触。美月の甘い吐息とともに……触れた感触がいつまでも残っていた。
美月は顔を紅くして……離れていく。
……そうか。
また間違える所だった。
俺はバットを手にバッターボックスへ入る。
2ストライクだ。恐らく三球勝負でしかけている。
みんなのために野球をやるんじゃない。
みんなと一緒に野球をやるんだ。
星斗も悠宇もアリアも美月も……吉田や監督、部員のみんな、引退した先輩のみんな……ほのかや麗華お嬢さんも含めて、みんなの想いがここにある。
ふぅ……。
よくよく思えば大したことなかった。
天田選手。あなたは最速157キロの素晴らしい投手だ。
だけどな……一つだけ思うことがある。
あんたの投げる球は星斗の球をより遅くて軽い。今日、何十球も受けてきた星斗の球に比べたら大したことないんだよ。
だから……投げられた球が速球であれば……打ち返すことなどたやすいはずなんだ。
よく見て……感じて、振り切れ。
俺ならやれる!
「太一くんがんばれー!!」
美月の声が聞こえた気がした。
それと同時に投げられた最高速のストレート。
俺はジャストミートで打ち返した。
打ち返した先は人の誰もいないバックスクリーン……それも最上段だったのだ。




