神官の召喚した導き手は瀕死でした
異世界から召喚された彼女は瀕死だった。神官はその罪悪感から、彼女を大切にする。
夢を見ていた。真っ暗な夢だ。その夢が明るくなっていけば、目が覚める。いつもと同じ朝がくるのだ。今回も周りが明るくなっていく。意識が浮上しかけていた時、声が聞こえた。
「私にはあなたが必要なのです、導き手様!」
凛とした男の声だった。けれども、いつもの夢と違っていることが不気味だった。私の恐怖と連動して、周囲の闇が揺らぐ。
「お願いです、導き手様。どうか……」
切羽詰まった声に、もう少し話を聞いてもいいかなと思った。その瞬間足場は水になっていた。なんだろうと思う隙もなく、水かさがどんどん増していく。とうとう水は私を呑み込んで、そこから記憶は途切れた。
急に変な浮遊感がして目が覚めた。なぜか落下しているみたいだ。よく分からないが西洋の建築物が目に入る。どうやら私は夢の続きにいるのかもしれない。水浸しの衣服が気持ち悪い。落下する私を男性が抱きとめてくれた。何だか身体に力が入らない。身体が熱い。男性は私の顔を見て、眉をピクリと動かした。額に彼の骨ばった手が触れる。ひんやりする。その優しい手に意識が沈んでいく。再び、ぼんやりとした意識の中、まだ彼の腕の中にいるのだと気づく。私の手を祈るようにつかんでいた。彼女の手を強く握ると、その手に握り返す感覚がした。
「何……? あなた、誰?」
彼女の黒い髪から水が滴り落ち、朦朧とした黒い瞳が彷徨い、自らを抱きしめる彼に問いかける。彼はそんな彼女を安心させるように、どこか泣きそうになった顔で微笑んだ。
「よくお越しくださいました導き手様。私はあなたにあえてよかった」
彼女は朦朧とする意識の中、彼にだけ笑いかけて、気を失った。彼は探査魔法をかける。導き手は酷く衰弱していた。慌てて応急処置の聖魔法をかけていく。導き手に本来あるはずの身体の頑丈さを、不安定な召喚で呼び出したために損なわせてしまったのだ。だから、彼女を自分が守らなければと強く思った。
目が覚めると、知らない場所にいた。どういうことか分からなくて、ベッドから降りて部屋を出ようとする。身体が重い。こんなに歩くのもままならないなんて、一体どうしたのだろうか。私に声をかけてくれたあの人に会いたいと思った。
壁に寄りかかりながら歩いて、出口にたどり着く。突然ドアが開いた。見知らぬ場所の恐怖がドアの後ろに隠れさせる。そんな私を、あの人が見つけた。
「何も怖くありませんからね。私がお守りいたします」
私はその言葉で、救われた。私は彼から聞いた。ここが異世界であること。王の次世代への継承のために召喚されたこと。そのためには遠く離れて危険な霊山に行かなければならないこと。召喚にともない、身体がこの世界のものに作り替えられてしまったこと。私はもう、故郷の地を踏むことはない。私は身体から力が抜けた。
「導き手様、申し訳ありません。恨むなら私を恨んで下さい。あなたの身体と心を守ると誓います」
異世界で弱体化した身体になじまなくて、未だに霊山に行けていない。また、危険がともなう旅になるので鍛えている。だが身体が弱くて難航している。それが他の連中にはもどかしいらしい。心ない言葉をはかれたことが幾度もある。ただ飯食らいの私は、肩身が狭かった。
「どうして、神官様はそんなに私に優しいの? 私に全部押しつければいいのに。みんな早く私一人で行けばいいって言ってる」
「導き手様、わたしはあなたに初めて会った時、治癒の力をもっていてよかったと心から思えました。それまでわたしの力は、父の出世のためのものだったからです。神から授かった力でありながら、汚いとさえ思っていた。変えてくださったのは、あなたです」
「そんなことない! 私は、あなたのおかげで異世界でも生きようって思えたのに!」
「それでは、わたし達は仲間ですね」
神官様が仲間だと言ってくれて、私は力がわいた。頑張ろう。
私と神官様は旅に出た。お供をつけると言われたが、どれも導き手や神官の地位が目当てだと分かるようなものだったらしく、神官様が断った。私も信頼出来ない人とは旅をしたくない。だから、二人でよかったと思っている。
神官様は異性と感じない、中性的な印象のある人だ。長いローブを着ているからだろうか。ただ、彼の後ろ姿は骨ばっていて、男性ながらも綺麗だった。
心を許すようになってから、距離も近くなった。人一人分の隙間がなくなった。彼の手は大きく、いつも片方の手は杖を持っている。空いた手が揺れるのを見るたびに触れたいと思う。
「あ、あのさ、この村も神殿があるんだって。行こう、神官様」
手を引くように触れるなら、かまわないだろうか。そっと指先が触れ、手を軽く握った時自分とは違う手に男を感じた。けれど、その手はすぐさま払われる。触っちゃいけないんだ……。失望に顔色を暗くしていると、彼は私の顔色をうかがい、眉を寄せる。反射的な行動だったらしく、彼は気まずそうにしていた。
「すいません。私は神に仕える身ですので、むやみな接触は……」
「私こそごめんなさい」
彼は信仰深いのか、時々今のように聖書を読み出すことがあった。そんな彼にとって女は害だろう。私が女でなければ、導き手でなければ、彼の身を煩わせることもなかっただろう。
「神官様、素敵なお身体。今夜いかがかしら?」
神官様が村の豊満な身体の女に誘われている。例え肉欲を禁じていたとしても、あのような身体の前には神官様でさえも陥落してしまうのではないか。
自分の未熟な身体にむなしさを感じた。もし豊満な身体であれば、彼に迫れたかもしれない。しかし、神に仕える彼にこんな感情をぶつけられるはずがない。私は祈るように彼を見た。
「神に仕える身ですので」
どうして、神官なの。どうして、好きになっちゃったんだろう。彼の言葉に安心しながらも、胸に重石が積み重なっていった。
「神官様は好きな人いるの?」
「神はみな、平等に愛しなさいと説いています。そういうわけで、好きな人は沢山いますね」
「もう、そういう好きじゃないのに」
好きになるんじゃなかったな……。叶いそうにない。だからせめて、この旅を成功させたい。私はそう思うようになっていた。
けれどそばで旅をしていると、どうしても抑えた恋心が顔を出してしまう。隠れるようにして一人で泣いていると、彼に見つかってしまった。
「泣かないで、導き手様」
「お願いだから、触らないで。私は触っちゃ駄目って、神官様が言ったんじゃない」
「嫌です。あなたを召喚した日から、あなたをすべての苦しみから守ると決めています。ですから、あなたの涙をそのままになんてしておけない」
「あなたに触れられると、苦しいの」
彼に触れられると、おし殺した恋心が顔を出してしまう。触れられた場所が、熱を持ってしまう。私は心を押し隠したまま、王家継承のための聖遺物を手に入れた。
無事、王の継承は行われた。あんなことのために異世界に召還されて、もう帰れなくなっただなんて腹がたつ。国は導き手という力を抱えたいらしく、とある者と結婚しろと言いつけられた。叶いもしない恋を忘れられるならと、私は承諾した。
結婚式当日。ウェディングドレスのベールをめくられた時、初めて相手を知った。彼が新郎だったなんて。神官の証である長い頭髪はすっきりと短くなっていた。還俗したのかもしれない。再び彼に惚れなおした。
「あなたに触れる許可をいただいてもいいですか?」
震えそうな声の代わりに、涙が零れそうな目の代わりに、瞳を閉じて応えた。
『誓いのキスを』
少しだけ重なった唇は、永遠のように思えた。目を開くと見下ろす彼の優しい瞳に嘘じゃないと感じた。ずっとあなたを求めていた。誓いを唇に刻む。




