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即興短編集  作者: 花ゆき
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真奈の救急箱

バイトから帰って俺の部屋に入ると、隣の家の真奈が俺のベッドで寝ていた。


【第12回フリーワンライ】企画参加作品です。

お題は「誘惑の果実」を選びました。


フリーワンライ企画概要 http://privatter.net/p/271257

重複投稿しています。 http://privatter.net/p/354055

 バイトから帰って俺の部屋に入ると、隣の家の真奈が俺のベッドで寝ていた。俺はまたかと脱力した。ベッドまで音を立てないように近づくと、真奈はすぅすぅと小さな寝息をたてていた。高校の制服のまま、俺が普段使っているタオルケットに包まれていた。丸くなって赤子みたいに手を抱えている。一度も染めたことのない艶のある黒髪がシーツに広がっていた。


 俺、男なんだけどな。いっそ襲ってやろうか。無防備に寝てる真奈が悪いんだ。魔が差して、ベッドをギッと軋ませながら、彼女の上に跨がる。そして吐息がかかるぐらいに顔を近づけて気づいた。涙が滲んでいる。あぁ、また真奈は泣いていたのか。



 真奈は真奈の母親が入院してから寝られなくなった。日に日に痩せていく母を見て、真奈の表情は暗くなっていった。目の下のくまも濃いものになって、見ていられない。俺が抱きしめると、真奈は肩から力を抜いた。


「将くんの匂いだ」

「ワリィ、バイトで汗かいてて臭いだろ」

「ううん。将くんの匂い、落ち着く。しばらくそのままでいて」


 真奈は長女だったから誰にも頼れなかった。そんな彼女が俺の前でだけ弱さを見せた。


「お母さんね、もう手術できないんだって。……私、お母さんに何か親孝行できたのかな。大学進学で心配させたから……」

「馬鹿か。お前のところのお母さんは、俺のおふくろにこう言ってたぞ。もう推薦をとって、よく出来た娘だってな」

「私、結婚式はお父さんとお母さんを呼びたかったの。お母さんに、私の産んだ子を抱いて欲しかったの。なのに、もう……」


 何も言えなかった。ただ、その苦しみを分けてくれと強く抱きしめるしか出来なかった。


 それからだ、真奈が俺のベッドで眠るようになったのは。俺の匂いが傍にないと眠れないそうだ。真奈は知らないだろう。彼女の残り香に劣情を持て余している俺を。彼女の残した体温の残るベッドに、寝付くはずが逆に体を熱くして目が冴えてしまっている俺を。



 真奈と俺は幼馴染だ。俺の母と真奈の母が友達で、俺達も自然と仲良くなった。けれど、俺はその関係を壊す勇気がなくて、ずるずるとここまできてしまった。そこに真奈の母の入院だ。真奈はすっかり弱ってしまった。それにつけいるように今の俺がいて、真奈は俺の存在に依存している。


 真奈のグロスで色づいた唇が無防備に視界に入る。この赤い果実を喰んでしまいたい。けれど、真奈は俺の場所でないと寝られない。彼女の安らぎの場を俺が奪っていいのだろうか。いや、よくない。例え夏服のセーラー服の胸元から谷間が覗いていたとしても、真奈の信頼は裏切れない。嫌われるのが怖いんだ。今、真奈の苦しい時期にこそ、一番に頼られるこの位置を誰にも譲りたくない。


 俺は真奈の横に静かに転がり、タオルケットにくるまっている真奈を抱きしめる。俺のものにしたいけど、それ以上に大切にしたい。少し涙の滲んでいるまぶたにキスをして、眠った。その後、朝まで寝てしまった俺は朝スッキリした顔の真奈に寝顔を見られた。


「将くんの腕の中は落ち着くな。ありがとう」

「うるせぇ。人の寝顔見るな。さっさと家帰れ」

「将くんこそ私の寝顔見たくせに」

「あー、あの色気も何もない寝顔な」

「ひどーい!」


 今は真奈の救急箱でいい。

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