スカウトマンは、自らの鼻を誇る。
ーーーそれから、十数年。
アインスとドライが進めていた魔王政府の解体と移行が最終盤に差し掛かった頃に、それは起こった。
「……いよいよだな」
イストはそう呟きながら笑みを浮かべ、軍議室に備えられた巨大な【遠見の水晶球】に目を向ける。
映っていたのは、魔王城へと侵攻してきた人族連合軍の姿。
神聖都市ナムアミの……というよりも聖教会お抱えの軍隊、通称〝聖架軍〟を中心とした部隊である。
しかも彼らの頭上には、天使達が舞っているのが見えていた。
聖女アルファが関与・指揮しているものであるのは間違いがない。
数の暴力で迫る人間たちは、魔王城の前にある巨大迷宮をかなりの速度で踏破してきていた。
「順調か?」
美しく澄んだ声で問いかけてきたのは、ツヴァイだった。
チラリと目を向けると、そこには他の四天王とアインス、そしてそれぞれに魔道士協会や冒険者ギルドの重職に就いている三人娘たちの姿がある。
さらに、今はアインス直付きになっているノインとミロクも揃っていた。
「連中の侵攻はどう見ても順調だろ。まぁ、罠に引っかかりまくってるけど」
「そういう意味で言っているわけではないのだが。何年経ってもキミのそのふざけた態度は変わらないな」
「ま、今回に関しては向こうもこっちも人的損害は出てねーからな」
言いながら、イストは肩をすくめる。
罠と言っても、設置し直してあるそれは粘り気のある沼や急に成長して絡め取る草など、一時的に相手の動きを制限するようなものばかりだった。
配置しているのも、命のないゴーレムや本来なら浄化して救ってやらねばならない死霊系の魔物だけである。
魔王城も同様で、すでにもぬけの殻。
この軍議室にいる面々以外にはとっくに誰も残っていないのだ。
「全ての生命に慈悲を、ってな?」
「気色が悪いな」
片目を閉じて十字を切ったイストに、ツヴァイがズバッと言って目を細めた。
「何度見ても、不愉快な姿だ」
「仕方ねーだろ。さすがに〝イスト・ヌール〟のまま聖教会にゃ潜り込めなかったんだからよ」
答えたイスト自身の姿は、自分本来のものではない。
腰丈あたりまで長く伸ばしてくくった灰色の髪と、同様に伸ばしっぱなしの同色のヒゲ。
白色の肌に尖った耳。
そして聖教会の貴色である白を基調とした衣服を身にまとっていた。
面差しこそ変えていないが、受ける印象はかなり違うだろう。
それは永続的に《変装》を行うことの出来る魔導具をツヴァイに作らせて作り上げたもの。
『イフドゥア』の名を持つ、長寿を持つハーフエルフの聖教会信徒の姿だった。
現在の地位は、中堅と呼べる『司祭』である。
イストはその姿で、この十数年間、聖教会の内部に潜り込んでいた。
聖教会が魔王城への侵攻を仕掛けたことを受けて、転移魔法によって一時的に魔王城に戻っているのだ。
そこで、ノインが口を挟んだ。
「ていうか、イストさんはいっつもいっつも、なんで忙しい時にいないんですか!? 大詰めになってから出てこないでください!」
十数年前から全く姿が変わっておらず、物言いも変わらない元副官の少女に対して、イストは苦笑する。
「忙しい時はいない方がいい、ってドライに追い出されてるからな」
それに今回に関しては十数年に渡る長期任務で聖教会で窮屈な思いをしているのに、文句を言われる筋合いはなかった。
すると続いて、ミロクが口を開く。
「魔王政府壊滅の瀬戸際だというのに、お主は相変わらず呑気だの、イスト」
「そりゃそうだ」
イストは大きく両手を広げて、ニヤリと笑う。
「ーーーこうなるように、こっちで色々仕込んだんじゃねーか」
向こうの旗頭として、先頭を突き進んで来ている青年……【遠見の水晶球】に映る精悍な顔立ちの勇者は、カイである。
聖剣レーヴァテインを手に〝勇者の生まれ変わり〟オメガ・リヴァイを名乗っている。
その横には、仮面を被って顔を隠した老人の拳闘士タウの姿もあった。
「まぁ、まさか第一回の〝勇者の祭典〟から、ここまで間を置かずに来るとは思ってなかったけどな」
正直、そこは誤算だった。
魔王の勢力を表向き弱体化し、同時に悪評を流して、人類の手に世界を取り戻す機運を高める。
そして『オメガの再来』を求め、 新たな勇者として聖剣レーヴァテインを手にする大会を開催し、カイが優勝する……ところまでは、上手く行っていた。
「せめて邪神に対抗する〝修羅〟とやらを見つけるか、〝真なる魔王の力〟を集め切るまでは、どうにか待って欲しかったがな」
ツヴァイは『ザツヨー奇書』に記された『封印された修羅』の復活や、聖白龍の召喚に関する知識などを蓄えてはいたものの、それに頼るのはあくまでも最後の手段である。
現在、こちらの手中に収めている宝具は、アインスの【バアルの瞳】を含めて三つ。
残りの四つは、その所在すら不明なのだ。
「ま、言ってもどうしようもねーけど」
冒険者ギルドと魔道士協会に権力構造を移行する方については、上手く行ったのである。
それで良しとするしかなかった。
「こっからとりあえず、オヤジにはカイと戦ってもらう。なるべくタイマンになるようにしてくれ」
「老骨に対して、酷い息子じゃのう」
「……魔王の宝具二つ持ってるツヴァイより素で強いくせに、何言ってんだ?」
玉座に座り、杖を足の間に立ててヨボついた演技をするアインスに、イストは呆れた目を向けてやる。
ちなみに『自分が真なる魔王になりたい』というツヴァイの要望を、アインスはあっさり受け入れた。
そもそも地位に固執しているタイプではないので、割とどうでもいいらしい。
「とりあえず魔王は倒される。フリだけどな。そんで、終戦協定。次の魔王はフィーアだ。ツヴァイが先に立っちまうと動きづらくなるからな」
ツヴァイには、魔王の宝具を集めてもらわなければならないのである。
「でも、なんでフィーアなの? ドライじゃないの?」
キョトンと首をかしげる竜の幼女に、ドライが冷たい目を向けた。
「私は魔道士協会を管理する仕事がある」
現在、ドライはイストと同じく《変装》の魔導具で人間の姿となり、『魔道士協会長チューン』を名乗っている。
「じゃ、後は上手く逃げるだけだな。俺とドライは転移で戻る。ツヴァイは適当に人族連合軍を相手にした後、姿をくらます。オヤジは、倒されたフリした後はどうする?」
「ツヴァイと一緒に行こうかの。ノインとミロクはどうするかの?」
「わ、私はアインス様の側付きです!」
「まだオヤジ殿には一度も勝っておらん。せめて一勝するまではついてゆくぞ」
ノインとミロクがそれぞれに応えると、アインスはツヴァイとイストを交互に見てニヤリと笑った。
「ならば、儂はツヴァイの配下になろうかの?」
「「……は????」」
ツヴァイとイストが間抜けな声を上げると、アインスは楽しそうに口の端を上げる。
「魔王軍四天王や配下がいなくては、『真なる魔王』と成って立っても、その名に箔がつかんじゃろう。……そうじゃのう、晴れて宝具を集め切った暁には、ノイン、ミロクと共に『魔王麾下三将』とでも名乗ろうかの?」
「悪くない案かもしれんな。宝具を持つ者が多少強くとも負けるつもりはないが、陛下とミロクがいれば確実に負けん」
「……いやまぁ、好きにすりゃいいけどよ」
『偽名はデュラムでどうかの?』などと、何だか楽しげな二人を放っておいて、イストはフィーアに目を戻した。
「フィーアはカイに倒されて捕まったフリをして、ラピンチと一緒にいてくれ。ラピンチは俺と連絡を絶やすな」
「分かったよ、ナァ!」
「フィーアは何もしなくていいの?」
「実務面に関しては、折を見てオヤジやツヴァイを城に戻す。先にノインだけ戻って貰えば回るはずだ。魔王領程度の仕事なら余裕だろ?」
「簡単に言わないでくださいっ!」
「できないのか?」
「できます!」
「ならいいだろ」
イストは軽く言って、最後に現在、冒険者ギルドを管理している人物に目を向けた。
クスィーだ。
出会った当時少女だった彼女は、今は優しげな面差しはそのままに、美しく洗練された美女になっている。
横に立つアイーダとゼタの双子も、落ち着いた迫力を持つまでに成長していた。
「イストさん」
「何だ?」
クスィーが微笑みながら声をかけてきたので答えると、彼女はさらに言葉を重ねた。
「戦後の魔族や魔物の皆様の扱いに関しては、我々が根回しを終えております。『冒険者』として抱え込むことで、地位を保たせていただきます」
「ああ」
そこについては心配していない。
彼女は、屈指の防御結界の使い手としてだけでなく、人を束ねることについても予想を遥かに上回る才覚を発揮した。
それは、ハジメテの村での一件の後に培った、クスィー自身の努力の賜物だ。
イストがふと目を細めると、クスィーが銀糸の髪をさらりと流して首をかしげる。
「どうされました?」
「いや?」
イストは親指の先で鼻頭を擦り、少し得意げに胸をそらしてこの場にいる人々を見回した。
「ーーーやっぱ、俺の鼻って大したもんだな、と思ってな」
次か、その次で締めますー。もう少しだけお付き合いください。




