65 大要塞のひきこもごも 5
わたしの名前はラナンシェ・ワーンシー。
グルンバルン帝国戦士団に所属する戦士だ。
だが、純粋なグルンバルン帝国の国民ではないし、もちろん爵位など持っていない。
グルンバルン帝国に本拠を置くとある大商人が運営する隊商の責任者……それが父だった。幼いときから父とともに国々を巡る中で、わたしは早くから剣に興味を持った。護衛の冒険者たちに剣を習い、やがてそれを襲撃してくる魔物や盗賊たちに振るうようになった。
十五になって、父が隊商を止めたことを機に冒険者を目指してみることにしたのだが、仲間集めの段階でトラブルに遭い、結局、誘われる形でグルンバルン帝国の戦士団に所属することとなった。
ちょうど、ユーリッヒ様が勇者として認められ修行に出た頃のことだ。
自然と、わたしは勇者のすぐ近くで戦うことになるのだと思い、心躍った。
訓練の時を終え、帝国に戻ってきたユーリッヒ様とともにわたしは大要塞へと向かうこととなった。
それから数度の戦場経験を経て、今日に至る。
わたしの目の前には勇者アストがいる。
ユーリッヒ様、セヴァーナ様とともに修行した勇者の一人。
そして修行の途中に死亡したと言われていた人物。
だけどいま、生きてここにいる。
ルナーク王子の身代わりという形で。
勇者アストの生存については、つい最近、ユーリッヒ様からいま大要塞にいる各国の戦士団全員に発表があった。
勇者アストが実は生きていたことが判明した。
だが彼は勇者として大要塞に戻る気はない。
ルナーク王子の身代わりとして雇われて大要塞にやってくる。
死亡したと思われた事故をユーリッヒとセヴァーナの二人の責任と勘違いし、恨んでいる可能性がある。
ユーリッヒ様……正確には彼の近習からの発表は、戦士たちに勇者アストへの嫌悪感を抱かせるに十分だった。
彼の死に関して黒い噂があるのは事実だ。
何十年ぶりかの庶民出の勇者が死に、貴族出身者だけが無事に修行を終える。そこになにか意図があるのではないか? と考えたがる者はどこにでもいるし、ラナンシェだってその可能性を考えなかったわけではない。
だが、それでユーリッヒに対しての信頼感が下がったかというと、微妙だ。
彼が人間的に問題のある人物であることはわかっている。プライドと貴族意識が高く、戦士たちに対しても出身を気にした対応を取る。
部下に対しての扱いも悪く、決して指揮能力は高くない。
だが、唯一といっていい美点によって彼は戦士たちから認められている。
それは、戦場から逃げる事はないということ。
彼はどんな強敵にも臆することなく立ち向かう。
どんな苦境だろうと自身は決して最初に逃げる事はない。
それだけで、ユーリッヒ様は信頼に値する人物であると戦士たちは判断する。
そしてアストの存在は、そんな風に数多くの戦場を越えてできあがった信頼感をメチャクチャにしようとする異分子に他ならなかった。
何しろ彼は『勇者』でありながら、勇者としてここにやってくることを拒んだのだ。
ならば多少性格に問題があろうとも、逃げる事のないユーリッヒ様の味方をするのは当然ではないだろうか。
そして彼はまさしく、ラナンシェたちの考える異分子として大要塞に来るなり勇者たちに牙を剥いた。
彼は勇者を憎んでいる。
それを彼は自ら証明してしまった。
だからこそ、わたしたちは排除のために動き出した。
そう……タラリリカ戦士団を除く大要塞にいる戦士団全員の意思として、勇者アストの排除を決めたのだ。
だけど……。
荒廃した戦場を見て泣きそうな顔をしている彼を見ているとラナンシェの心は揺れる。
なにより、決闘の時の言葉。
『おれの敵を侮ることは、すなわち、戦ったおれをも侮ることになると……』
あのときの彼の態度は、自分に敵意を向ける者をさらに戦いに引きずり出すための演技ではなかった。
本気でラナンシェたちが侮辱されたことを怒っていた。
もちろん、引いては自分が侮辱されたことを怒っていたのだろうけれど、ラナンシェたちへの侮辱を自分の侮辱と受け止めるぐらいに、こちらのことを考えていたというのは事実だ。
そのことをラナンシェは好ましいと感じてしまった。
「アスト……ルナーク? どちらで呼べばいいのかしら?」
「ルナークだ。アストは捨てた。王子と同じ名前だったのはただの偶然だ。おかげでこんなところに来る羽目になったがな」
そこでアストを選ばなかったことは少し残念だった。
だけど、まだ……とラナンシェは思っている。
「ルナーク。あなたは勇者になる気はないの?」
「戻ってどうする? あいつらを許せってか? いや……」
そういう問題じゃないのだ。
ザルドも魔導王も、おれを勇者に戻そうと提案をした。
それはおれを懐柔させるための方便でしかないのかもしれないし、そう聞こえた。
だがラナンシェの言葉は人生のやり直しを誘う言葉だ。
それだけを受け取れば好ましい。
だがもはや、勇者に対する未練とか、栄誉を取り戻すとか、そういう問題ではない。
ダークエルフ。
彼女との出会いがおれの中での魔族像を変えた。
殺し合うしか選択肢のない相手ではなく、協力し合える関係なのだとわかったのだ。
だとすればいまここで行われている戦いは、世界の命運を賭けた戦いではなく、なんらかの政治的な思惑が出発点にあるだけの普通の戦争なのではないのか?
だとすれば『勇者』だとか『魔太子』とか人類の命運を賭けた戦いとか、そんな言葉はとことんバカらしく陳腐なものなのではないか?
ルニルがやろうとしている停戦交渉……応援する気はないが、成功すればあるいはこんな大層なお題目は外れて、人と魔族たちが交流する未来が訪れることもある……かもしれない。
しかし、それもまた険しい道だろう。
「ここにある戦いと、人間の国同士でやる戦争って、なにか違いがあるのか?」
「なっ?」
「勇者は本当に必要なのか? この戦いに勝利したとき、あるいは敗北したとき、なにが起こる? おれにはそれがわからない」
疑問を口に出すとラナンシェは絶句した。
「……そんな考えは、危険だ」
「どうしてだ?」
「どうしてって……」
「世界の平和ってお題目は確かにすごいが、疑問が浮かんだことに命を賭けられるか? そういうことだ」
「しかし、相手は魔族だ」
「そうだな」
「魔族は、敵だ!」
「殺し合いなら人間同士でだってやってる。戦争もな」
「姿だって違う」
「魔族同士だって単一民族ってわけじゃないし、姿の違いが手を組むのを拒否する理由にはなってないな。そう考えると人類の方がはるかに不寛容で狭量ってことになるんだが、どうする?」
「うっ……」
「……まぁ別に、あんたまでおれの疑問に巻き込みたいってわけじゃないんだ。ここにだって本当なら近づきたくはなかった。勇者どもは嫌いだが、おれのことを放っておくなら別にこっちだって手出しする気はなかった。だが、向こうの方が先に手を出してきた。なら、こっちが黙っている理由も、殴り返しに行かないって理由もない。悪いがおれは狭量なんだ。藪をつついて蛇を出すって奴だよ。出てきた蛇が噛みいて毒を喰らわすか、あるいは殺されるか。ユーリッヒのバカはそういう状況にしてくれてんだよ。あんたら大要塞の戦士はそれに巻き込まれてるんだ。だからさ、おれのことはもう放っておけ。できれば他の連中にもそれを伝えてくれ」
そうすれば、被害は勇者二人だけで済むんだ。
仮面優等生のクリファと男気はあるが性に自由すぎるザルドゥルは見逃してやる。
「…………」
一気にまくし立てたせいか、ラナンシェは混乱しているようだった。
そんな彼女と、いかん胸を見ていて、とあることを思いだした。
うん、気晴らしって奴だな。
「それはともかくとして、決闘後の利益の話はどうする?」
「え?」
「おれとしては、今夜辺り君の部屋にお邪魔することで解決したいんだけど……な」
と、ラナンシェの腰に手を回そうとした。
そのときだ。
「っ!」
殺気は一瞬。
判断は刹那に。行動は迅速に。
右手でラナンシェを突き飛ばし、左手でそれを受け止める。紋章は最大防御を展開中。
だが、完全には間に合わない。
次々と打刻される紋章の隙を縫って、それは掌に命中する。
痛覚はその情報量の多さに沈黙した。
眩い光の後に、結果が粉みじんになった左腕という姿で現われる。
久しぶりの脳が握り潰されるような緊張感におれは唇が緩んだ。
【上位急速回復】で跡形もない左腕を再生しながら警戒するが、どうやら次手はないようだ。再生される神経の痛みは脳に心地よい刺激となり、あの頃の気分を思い出させてくれる。
吸血鬼との逢瀬や暗殺者の殺気なんかとは比べものにならないこの感触。
これは絶対、あいつの仕業だ。
ダークエルフ。
「嫉妬か? だとしたら安心しろ」
そっちにその気があるなら、もうすぐ再会できるさ。
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