265 新米伯爵はやり放題 25
アストルナークが一万人の軍隊と亡命貴族たちを引き連れてグルンバルン帝国を横断しようとしていた時、ファランツ王国王都で異変が起きようとしていた。
ヴァリツネッラ要塞における勝報は王都にまで届いていなかった。
すでに情報が制限されるほどにグルンバルン帝国の手は王国を侵食していたのである。
王都の人々は届かない戦況に苛立ちと怯えに翻弄される日々を送っていた。
そんなとき、王都に強い風が吹いた。
風は王国によって秘された風神の試練場より流れてくる。
「なんだか、変な風ね」
「ああ、ねっとりしてるみたいな。……なんだろ?」
「こんなときに……せめて天気ぐらいよくなってよね」
「ああ……気分が悪くなるよな」
「え? けほっ? あれ?」
「うん? どうしった? うん? げへっ、! ごほっ!」
「なんだこれ? 喉が……がはっ!」
「ごほっ! ごほっ! 苦しい……」
その風を吸った人々は次々と絶え間ない咳に襲われて、呼吸困難となって倒れていく。
風はどこまでも広がっていく。王都の中をどこまでも。城の中をどこまでも……。
……いや。
風は城の最奥、王族の居住区に届く寸前で【結界】に阻まれた。
「陛下、もっと奥へ!」
「重症者を保護してやれぬのか?」
「いけません! なにが原因で結界内に入り込まれるかわからない以上は!」
「ぬう……」
近衛騎士と魔法使いたちに守られ、ファランツ王エンディス・ランツは呻くしかできなかった。
居住区にいた妻たちは無事だが、外にいた王子たちがどうなったかわからない。結界の外から聞こえてくる苦し気な咳の音に嫌な予感ばかりが募り、妻たちの嘆きの声が着実に精神を削っていく。
「くっ! これも帝国の攻撃だというのか?」
「いいえ、違いますよ父上」
その声と共に、居住区に張られていた結界はまばゆい光と共に引き裂かれた。
そして、その光の奥から一人の青年が現れる。
「なっ! 貴様!」
「お久しぶりすね。父上。お元気そうで何よりです」
「ザルドゥル……貴様っ!」
妻たちの悲鳴に押されるようにエンディスの足がよろける。その顔は青かった。
主戦場での戦いで顔を負傷した彼はかつての美貌が陰り、いまは幽鬼のごとき雰囲気を宿している。
「貴様……よくも」
「よくも? なんでしょうか?」
「よくも、顔を見せられたな。この、裏切者め」
そう言われたザルドゥルはかつての美貌を残した半面で唇を吊り上げた。
「裏切者ですか? ではお聞きしますが……《勇者》と認定されたおれをケントーリ家へと臣籍降下させたのはなぜですか?」
「ぬっ……それは?」
「おれはあなたたちの家族ではない。これまでずっとそう言われたような気がしていましたよ。そして父上はそのことに関しておれになんの釈明もなかった」
「な、なぜ王である余が説明をせねばならぬ!」
「そうですね。あなたはそういう人だし、二人の兄もそういう人だ。なるほど、血統はともかく、性格的にはおれはあなたの家族ではなかったのかもしれないな」
「っ!」
暗く沈んだザルドゥルの表情から、エンディスは自分の運命が死の沼に沈みこもうとしており、それはもう不可避なのだということを悟った。
「まっ、待て……」
「ザルドゥル様!」
エンディスが何かを言うよりも早く、側にいた貴族がザルドゥルの前に身を投げ出した。まさか、身を挺して王を守ろうと?
わずかながらにそのことを期待したエンディスだったが、次に吐き出された言葉で絶望することになる。
「すでに当初の予定通りに事は進行しております! ファランツ王国貴族三十三家中、二十家がザルドゥル様を新王として奉ずるこを承認し、血判状もこのように作成しております!」
「さ、宰相! そなた!」
「陛下……いや、エンディス殿、申し訳ありませんがこの国に必要なのは、もはやあなたではないのです」
「そなた……」
「時代は動いております。ならばこの国が新生するためにも、《勇者》が新たな王になることが必要なのです」
「おのれの裏切りを、詭弁で正当化するか!」
「言い訳も思いつかなかった男の言葉とは思えないな」
宰相を責める父親に冷たい視線を飛ばし、ザルドゥルは手を挙げた。
「ぐっ!」
「ううっ……ごほっ!」
背後で機会を窺っていた近衛騎士が突如として苦しみ始める。
「一応、報告をしておきましょうか、父上」
「くっ……あ……かはっ!」
返事をしようとしてエンディスは喉が急激に痛み出したことに気付いて咳をした。
そして、一度咳をすれば止まらない。咳の衝撃がさらに喉を苦しめ、エンディスはのたうち回りたい衝動を必死にこらえるので精いっぱいとなった。
すでに周りも同じような状況となっている。
その中で、ザルドゥルと宰相だけが何事もなくそこに立っていた。
いや、宰相は事態が理解できずに混乱している。
「つい先ほどまで風神の試練場にいたのですよ。シアンリーには遭遇したのですが、報告を
受けていなかったですか?」
報告は受けていた。
だが、シアンリーからはダンゲイン伯爵に助けられたことと、その後に姿を見なくなったという報告を受けていたので、すでに王都から去ったと思っていたのだが……。
「おれは試練場の最奥からさらに奥へと行くことに成功しました。それはおそらく、太陽の試練場でユーリッヒが行った場所と同じような性質のもの、戦神の試練場でアストルナークが消えた場所と同じ性質のもの。おれはそこで、想像を絶する、まさしく試練と呼ぶにふさわしい戦を経験しました」
そう言ったザルドゥルは負傷して醜くなった半面を隠すように手で覆う。
「実に辛い経験だった。だがしかし、おれはその結果、《勇者》を超えた」
「なっ!」
不敵に笑うザルドゥルの手が離れたとき、そこに隠れていた潰れた片目が露になる。
淀んだ色となっていた眼球は緑色に発光し、その性質が変化していることを明らかにする。
「《風魔真将》それが昇華したおれの新たな称号だ」
「がっ!」
緑の眼光を受けたエンディスはさらなる苦しみに襲われ、遂に耐え切れずにその場に膝を突く。
妻たちはどうなったのか? 近衛騎士や魔法使いはなにもしていないのか?
血走った目で辺りを見れば、無事に立っているのはザルドゥルと裏切った宰相だけだった。
妻たちなど、すでに苦しむことさえもない。気を失っているのか、あるいは……。
いや、どうあれこの先にある運命が変わることなどないのだろう。
《勇者》
現在の人類領の多くの国でその根源に存在する称号。
そもそも、称号とはなんなのか?
なんのためにこんなものがあり、なんのためにこんなものが用意されたのか。
世界を作り、世界を管理する神々はなんのためにこんなものを?
それを考えたとき、エンディスは空恐ろしい気持ちになり《勇者》となったザルドゥルを遠ざけた。
こんな恐ろしいものは、もはや人類には必要ないのではないか?
そうか。だから人魔の戦争は存在するのか。
もはや不要な存在である《勇者》たちを戦場という炎で焼却するために。
それはエンディスの勝手な想像にしか過ぎない。
しかしだからこそ、彼はザルドゥルを大要塞へと送った。主戦場へ、人魔の戦争へと送り付けた。
もう戻ってくるなという思いを込めて。
だが、ザルドゥルは戻ってきた。
エンディスの恐れを現実化させたかのような存在となって。
これは杞憂によって生まれた不幸の連鎖なのか。
あるいは神の意図が介在する予定された未来なのか。
「ザ、ザルドゥル……」
「逝くがいい。父であることを止めた者よ。この国はおれがもらう」
「おの……れ」
こうして一人の王が倒れ、一人の王が誕生する。
「ふ、ふふふ……」
父殺しを成し遂げた男は体を震わせ、抑えがたい笑みを零す。
「ははは……はは…………はははははははははは!!」
己を鬱屈とさせていた存在は全て足下に倒れ伏した。
その瞬間に到達した解放感にザルドゥルは笑う。
「ははははははははははははははははは!!」
そう、これだ。
これをこそ求めていたのだ。
風のように自由に、そして邪魔するもの全てを打ち倒す力。
ザルドゥル・ケントーリはいまこそ真なる自由を手に入れたのだと確信した。
そして、彼の自由が求める次なる風の行く先は……。
「さあ、やろうか宰相殿? 新生ファランツ王国の新たな行く先はユーリッヒの向く先にこそあるぞ」
「庶民勇者は廃棄されました2」絶賛発売中です。
今後の続刊のためにも購入による応援をよろしくお願いします。
また、新連載始めました。
『へっぽこ冒険者マダールの秘密』下記のリンクから飛べますので、そちらもよろしくお願いします。
三巻作業他色々と用件が重なっていて執筆時間が取れていません。おそらくこの話が2019年最後の話になるかと思います。皆さんよいお年を。




