217 蒼血の賭博場 05
「だから甘いというのだ」
勝利を確信し高笑いするヤグオートにイルダオラは深く長い溜息を吐いた。
「勝利とはあまりにも簡単に手のひらから零れ落ちる。血よりも儚いものであるというのに。あやつはそれを弄ぶ」
「ああ、それな。わかるわぁ」
イルダオラの言葉にアストルナークはうなずき、手の中のグラスを弄ぶ。
「油断してると、ズダンてやられるんだよ。まったく、たまったもんじゃないよな」
その中に入った血の揺らめきが持つ重力に多くの吸血鬼が捕らえられてしまっている事実を承知し、挑発しているのだ。
いまこの場で、誰よりも危険と遊んでいるというのにイルダオラの口にする慎重さに賛同する。
その奇妙さにイルダオラは表情を歪める。
しかし、アストルナークが分かった気になって敗北へと落ちていくのはこちらとしては望み通りなのであえて口にすることではない。
だが、その奇妙さに吸い込まれようとしていることも事実だ。
吸血鬼の長であるイルダオラを恐れることなく、危険な場での賭け事を恐れることなく、逆にそれを申し出て、そしてこの場で自ら血を出して傍観している者たちを煽っていく。
それはイルダオラの今までの吸血鬼生からするとありえない光景だった。
この男は、それをやってのける。
この男は、いったい何者なのだ?
「っ!」
アストルナークの視線に気づき、イルダオラは思考の迷路に入り込もうとしていたことに気付いた。
いまここで、奴の存在について迷うことは許されない。
奴に気付かれてはならない。
「さてさて、この後どう転ぶのかな? とても楽しみだ!」
「……そうだな」
吸血鬼の城でカラカラと笑う人間と、それを忌々しく睨みつける吸血鬼の王……ありえないような光景の中で見世物となった戦いは続く。
†††††
槍で突かれた衝撃で少しばかり息が詰まった。
高笑いするヤグオートがおかしかった。
薔薇の腕輪が疼いていた。
「お前、弱いからちょっと能力足そう」
かつて主人にそう言われて渡された薔薇の腕輪。それがイルヴァンの呼びかけに応えて力を発揮しようとしている。
「むっ!」
ヤグオートがいまさら異変に気付いた。
「あはははは……遅い。とても、遅い」
「貴様!」
槍を掴もうとしたけれどもう遅い。
とっくに取り込んでしまった。
毒血?
そんなものにいつまでも苦しむほど暢気ではない。あらゆる血を従えてこそ吸血鬼でしょう?
「わたしを敗北できる血はただ一つ、アストルナーク様のものだけです」
槍を掴もうとしたヤグオートの手が空を切る。
寸前で血に解け、ゆらりと武骨な手から逃れる。
宙に舞うヤグオートの血が、薔薇の腕輪に反応して微細に震える。
「お前などただの血袋だ。枯れさせてやるだけありがたいと思いなさい」
【狂神血界】
侵食する血の波濤に飲み込まれヤグオートの体は消えさる。
血液という名の獣が限定された空間を暴れ回る。それから逃れる術はなく、血が去ったあとに残されたのは骨と皮だけのヤグオートだった。
「がっ……あっ…………」
それでも生きているのが、吸血鬼たる由縁だ。
「では、さようなら。お父様」
「あっ……」
枯れ果てた喉では何かを言うこともできず、ヤグオートにできることはイルヴァンのヒールが心臓に突き刺さるのを見つめることだけだった。
「ご苦労ご苦労」
広さだけはある空間にパチパチと寂しく響くのはアストルナークの拍手の音だ。
追随のないその音だが、イルヴァンにとっては万雷のそれよりも価値がある。
「どうでした? ルナーク様?」
「まぁ、そこそこ魅せてくれたよ。に、しても吸血鬼の戦いってなんかもったいぶるよな」
「それをルナーク様が言いますか?」
「ともかく、ほら、褒美だ」
「はい!」
アストルナークに渡されたグラスをイルヴァンは受け取る。
その瞬間、視線の圧が襲いかかってきた。
飢餓、羨望、嫉妬、敵意……。
その血を得られない者たちの負の感情の全てが視線に練りこまれて襲いかかってくる。
「では、いただきます」
傲然とそれらを受け止め、むしろ見せびらかすように一気に煽る。
血の一滴すら残すことなくするりと口内へと導いて嚥下すると、イルヴァンは顔をしかめてアストルナークにグラスを返した。
「少し、錆びてます」
「あははははははは‼」
グラスに貯めて外気に晒しておくからそんなことになる。
この場にいる誰もが垂涎して目が離せなかった血にそんな感想を漏らすイルヴァンに憎悪の視線が集まり、では、その喉首に噛みつけばどれほどの豊潤さを味わうことができるのかと爆笑する血袋に視線が移る。
「……貴様たちはなにを考えている?」
あら、この人はまだ気づいていなかったのかしら?
イルダオラの問いにイルヴァンは嘲笑を込めて見る。
「そんなのは決まってる」
アストルナークは本当に、本当に、他人が見たら誰もが顔をしかめそうな嫌な笑みを浮かべ、言い放った。
「暇つぶしだ!」
「なに?」
「俺はお前らほど気は長くないんだよ。ゾンビ対狂戦士なんて怠い演劇をいつまでも見てられないんだ。そのうえ、近くには虫みたいに影にびっちりと張り付いているくせに人間様より上だとか勘違いしている連中がいるんだぞ! これをバカにしなくて、何をバカにしろっていうんだ⁉」
「うわぁ……」
主人のひどい言い分に、わかっていたけれどイルヴァンはドン引いた。
「かかって来い吸血鬼ども! 虫みたいに潰してやる‼」
アストルナークの挑発に影が動いた。
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